殺し屋の意地(1)

「いいかい、こいつはいざという時に使うんだ。あたしのところに、声を伝えることが出来る」


 言いながら、ザフィーが手を伸ばした。ミレーナの胸元に、赤い石の付いたブローチを付ける。


「この石に話せば、あたしに声が聞こえる仕組みになってる。どんなに離れていようが、声は聞こえるから。話したい時は、まず石に強く息を吹きかける。そうすれば、石が光り出す。それが、話せるようになったという合図だよ。覚えたね?」


「うん、わかった」


「いいかい、おかしなことを考えるんじゃないよ。ヤバいと思ったら、さっさと投降しな。そうすれば、必ず助けに行くよ」


「わかってるって。あたしゃ、生きるために何でもするよ。絶対に生き延びるから」

 

 答えた後、ミレーナはイバンカの方を見た。

 少女は、つらそうな顔で天井を向いている。地下の環境は、体によくない。このままでは、確実に悪化する。


「イバンカ、行ってくるからね。おとなしく待ってるんだよ」


 そう言って、ミレーナは暗闇に消えて行った。




 ザフィーらは、暗い地下通路を慎重に進んでいく。

 途中、地下の住人とおぼしき者たちと遭遇した。彼らはザフィーらの姿を見るなり、すぐに逃げ出す。地下の住人にとって、一行は招かれざる客なのだろう。

 もっとも、今は彼らに構っている場合ではない。無言のまま、ミレーナに教わった通りの道順で進んでいく。

 やがて、道は行き止まりになる。壁には、鉄の梯子はしごが付けられていた。上に昇るものだ。

 一行は、梯子を伝い地上へと上がった。周囲は汚れが目立つ壁に囲まれており、嫌な匂いが漂っている。

 ミレーナから聞いた話によれば、この区画は街の中でも最底辺の人間たちが住む場所らしい。いわゆる貧民街だ。あまりにも汚く異臭が漂っているため、衛兵も寄り付かないという。ここが地下に通じているとは、住人以外は誰も知らないらしい。

 ザフィーたちは、周りに気を配りながら進んでいく。と、目の前の道路を一台の馬車が進んでいく。鉄屑屋だろうか。かなり大きく、ボロボロの鍋や釜などが詰まれている。

 見た瞬間、ブリンケンが動いた。すぐさま馬車の前に行き、御者台にいる男に声をかける。


「ちょっと待ってくれ。あんたに話がある」


「な、何だ?」


 唖然とした様子の男に対し、ブリンケンは金貨の詰まった袋を見せる。


「悪いんだが、この馬車を売ってくれないか? ここに、金貨五十枚ある。これでどうだ?」


 聞いた途端、男は目を丸くした。金貨五十枚といえば、この大きさの馬車が馬込みで五台は買える額だ。


「えっ、いいのか?」


 驚く男に、ブリンケンは半ば無理やり袋を押し付ける。


「ああ。だから、早いとこ譲ってくれ」


「わ、わかった!」


 袋を受けとると、ホクホク顔で男は去っていった。カーロフはすぐさま馬車に乗り込み、積んであるものを片っ端から放り出す。


「さあ、これで大丈夫です。イバンカさんを乗せてください」


 その言葉に、ジョニーは頷く。イバンカをひょいと抱き上げ、荷台に乗せた。


「さて、あとはミレーナ次第だね。あの子が、上手くやってくれることを祈るだけだよ」


 ザフィーが、誰にともなく呟いた。




 一方、ミレーナは暗闇の中を進んでいく。迷路のごとき地下通路ではあるが、今も地図は頭に入っている。迷うことはない。

 順調に進んでいた、はずだった。しかし、ミレーナは足を止める。どこからか、足音が聞こえてくるのだ。それも、ひとりやふたりではない。確実に十人を超える。これは、地下の住人ではない。

 思わず顔をしかめた。ついに、地下への捜索が始まったのだ。いつかは来るとは思っていたが、こんなに早いとは予想外だった。

 しかも、足音はこちらに向かっている。何と運が悪いのだろう。ミレーナは、素早くその場を離れた。幸いにも、ザフィーらは既に地上に上がっているはずだ。

 どうにか隠れるしかないが、隠れられる場所もない。この辺りは一本道だ。その一本道を進むしかない。ミレーナは、凄まじい勢いで走っていく。

 だが、背後から声が聞こえてきた。


「いたぞ!」


 同時に、後方から矢が飛んできた。一本は外れたものの、続けて放たれた矢が右の太ももに突き刺さる。痛みのあまり、彼女は片膝を着いた──


「クソ……」


 思わず呻く。だが、ここで止まってはいられない。衛兵たちが、すぐそこまで迫っているのだ。必死の形相で、何とか立ち上がる。片足を引きずりながら、どうにか進もうとした。

 だが遅かった。その一瞬の間に、周囲を衛兵に囲まれてしまった。彼らはボウガンを構え、こちらを狙っている──


「動くな! 動いたら撃つ!」


 ひとりの衛兵が怒鳴る。暗がりのため顔はよく見えないが、宿屋に来た者たちとは違う。若い女ひとりが相手だというのに、警戒し距離を置いているのだ。

 これは逃げられない。ならば……。


「ちょ、ちょっと待って!」


 ミレーナは叫んだ。直後、額を床にこすりつける。


「抵抗はしないよ。お願いだから、命だけは助けて。他の奴らの居場所を教えるからさ」


「本当か?」


 衛兵の声。ミレーナは卑屈な態度で、ペコペコ頭を下げつつ答える。


「ああ。命さえ助けてくれるなら何でもするよ」


 その言葉に、ひとりの衛兵が近づいていく。


「ちゃんと案内すれば、命だけは助けてやる。ただし、下手な真似をするようなら命はないぞ。それも、ただでは死なせん。じっくり苦しめてから殺す。わかったな?」


「も、もちろんだよ。あたしゃ、何より自分の命が大切だからね」


 ミレーナは、卑屈な態度で愛想笑いを浮かべた。




「こっちだよ」


 言いながら、ミレーナは進んでいく。衛兵たちは、すっかり緩みきっていた。武器は全て取り上げられ、戦う術ほない。

 彼らは、美しいミレーナの顔や体つきを見ながら、下卑た表情を浮かべていた。さすがに隊長の前で露骨な態度はとらないものの、嘲笑の音や卑猥な囁き声も聞こえてくる。

 不意に、ミレーナは立ち止まった。


「ちょっと待って。悪いけど、用足しさせてくれないかな」


「構わんぞ。そこでしろ。嫌ならするな」


 隊長の態度はにべもない。ミレーナは歪んだ笑みを浮かべつつ、ペコペコ頭を下げる。


「わかったよ。ありがとう」


 言いながら、壁の方を向いてしゃがみ込む。直後、液体が滴り落ちる音がした。

 衛兵たちは、軽蔑の眼差しを向ける。


「人前で小便とは、どうしようもない女だな」


「いや、あれは女ではない。犬畜生と同じだな。後で、犬のように可愛がってやろうか」


「そうですね、後のご褒美が楽しみですよ」


 もはや隠す気も感じられない。衛兵たちは、聞こえるような大きな声で言っている。

 そんな中、ミレーナはなおも液体を流し続ける。やがて、胸に付けたブローチに息を吹きかけた。

 すると、石が赤く光る。ミレーナは、その石に語りかけた。


「姐御、聞いてるかい? 悪いけど先行ってて。今から、ド派手に爆発させるから」


(ちょっと! 何を言ってるんだい!? 何がどうなってるのか説明しな!)


 ブローチから、ザフィーの声が聞こえてきた。ミレーナは、くすりと笑う。声が聞けて、本当によかった。

 その目から、一筋の涙がこぼれる──


「最高の死に場所をくれて、本当にありがとう。他の連中に、よろしくね。地獄で待ってるよ」


「おい! お前、ひとりで何をブツブツ言っている!」


 ひとりの衛兵が喚き、こちらに近づいてくる。だが、遅かった。

 次の瞬間、ミレーナが隠し持っていた火打ち石を取り出す。高速で石を打ち当て、火花が散った。

 火花は、彼女の撒いていた液体に引火する。そう、液体は尿ではなく油だったのだ。それも、火花で引火する特殊なタイプのものである。油は、一気に燃え上がった。

 燃え上がる炎が、周囲を明るく照らす。衛兵たちが、驚愕の表情を浮かべているのがよく見えた。

 同時に、地面に埋まっている岩が、一瞬にして真っ赤に変色する。

 衛兵たちは、慌てて火を消そうと動く。だが遅かった。真っ赤になった岩は、凄まじい勢いで爆発する。その周囲にあったものは、瞬時に吹き飛ばされた──


 爆発するまでの僅かな間、ミレーナは笑っていた。

 最期の言葉が、その口から漏れる。


「へっ、ざまあみやがれ。バーカ」


 言い放った彼女の頭の中で、これまでの人生の画が走馬灯のごとく流れていった──





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