「こんな格好、時代錯誤って思ってるでしょ」

 ぎくりとして顔を上げた。見ていたことがばれていたようだった。女はうつむきがちに、かすかに笑った。

「私ね、生贄なのよ」

 思いもよらぬことを言われ、俺は面食らう。

「生贄……?」

「そう。熊害ゆうがい祓除ばつじょの人身御供よ」

 ぽかんとしている俺に、女は訥々と話し始めた。

「昔からここあたりはひぐまが多くてね。何十年かに一回は人を襲う羆が出るの。熊は一度人間の味を覚えたら、呪われたように人ばかり狙うようになる。そして、いちど人喰い羆に目をつけられた村は餌場と化してしまう。そうなってはもう人間にはどうしようもなくて、人身御供を立てて、引きかえに山の神様に羆から村を守ってもらうしかないの」

 でね、と女は俺に目を向けた。

「今からその大事な儀式だから、あなたにいられちゃ困るのよ」

 だからそんな白装束なのか――。俺はあらためてまじまじと女を眺め見た。

「……神頼みで、獣害がおさまるものなんですか?」

「おさまるの」

 女は、妙にきっぱりとした語調で言った。

 この令和のご時世に生贄など、とても信じられた話ではなかった。ていよく自分を追い出すための口実なのではないだろうか。

 だが女は真剣そのもので、淡々とした語り口には妙に真実味があった。

「……生贄なんて、何かのたとえですよね?」

「本当よ。うちの一族は代々そうゆう役割を担ってきたんだから。……まあ、今の若い人にこんな話をしても信じられないわよね」

 若い人って――俺より十ほども歳下ではないか。

 それにしても、生贄だとか儀式だとか、なんと現実離れしていることか。この山小屋は本当に迷い家で、俺はことわりを外れた世界に紛れ込んでしまったのではないだろうか――。

 込み上げてきた不安をごまかしたくて、俺はわざと苦々しく笑ってみせた。

「神頼みで熊退治なんて、普通にありえなくないですか?」

「その通り。ありえないわよ」

 女はあっさりと言う。

「羆を退治してくれる神様なんていやしない。神事なんていうのは建て前で、実際には私が熊をたおすの」

「……あなたが熊と戦うんですか?」

 唖然とした。そっちのほうがありえないように思えた。その細腕で——しかも身重の体である。

「正面からやりあって勝てるわけないでしょ。我が一族には羆を倒す秘伝の技があるのよ」

 これよ、と女が袖から取り出したものに、俺は仰天した。それは戦争映画かなんかでしか見たことない――手榴弾だった。

「アップルグレネードよ。殺傷能力のある破片を飛散させて、五メートル範囲にいる生き物すべてに致命傷を与えることができるわ」

「こんなもの、どこで……」

「知らない。私は父に渡されただけだから。今はこうゆう既製品を使ってるけど、昔は手作りしてたそうよ。火薬と一緒に金属片やトリカブトの粉末なんかを混ぜてね」

 生贄という言葉が唐突に現実味を帯び、俺の心臓は早鐘のように鳴り始めた。

「……つまり、羆と共に自爆するってことですよね……?」

「そうよ。だから最初から言ってるじゃない。うちはね、村でその役割を課された一族なの。村の人たちだって本当は、私たちがどうやって熊を退治するかなんてちゃんとわかってる。でも神様を介在させて土着の宗教行事にしてしまえば、罪の意識も減るでしょ」

「そんな……」

 これは、儀式という名を借りた村ぐるみの自殺教唆——いや殺人ではないのか。

 あんまりだ、と呟いた俺に、女は冷めた目を向けた。

「そんなことないわ。いつ来るかわからない人喰い羆のために、村は私たち一族を養っているのよ。うちだけは働かなくていいし、村で一番大きな家で贅沢な暮らしをさせてもらってるんだから」

 俺はごくりと生唾を飲み込むと、女を見据えた。

「もし失敗したらどうするんです。手榴弾に点火する前に、羆にやられてしまうことだってありえますよね?」

「そんなの、羆を殺すまでやるに決まってるじゃない。本家には私のほかに兄と妹と弟がいるし、いとこだって何人もいる。全員食べられてしまっても養子をもらえばいいし。いくらだって控えはいるのよ」

「……お兄さんがいるのに、最初に生贄にされるんですか」

 女は一瞬、言葉を詰まらせた。

「私、私生児を妊娠しちゃったから。順番、繰り上げにされたのよ。……ていのいい厄介払いよね」

 女は長い睫毛を伏せ、腹部を撫でた。その目が優しくて、俺は胸を衝かれた。

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