②
「こんな格好、時代錯誤って思ってるでしょ」
ぎくりとして顔を上げた。見ていたことがばれていたようだった。女はうつむきがちに、かすかに笑った。
「私ね、生贄なのよ」
思いもよらぬことを言われ、俺は面食らう。
「生贄……?」
「そう。
ぽかんとしている俺に、女は訥々と話し始めた。
「昔からここあたりは
でね、と女は俺に目を向けた。
「今からその大事な儀式だから、あなたにいられちゃ困るのよ」
だからそんな白装束なのか――。俺はあらためてまじまじと女を眺め見た。
「……神頼みで、獣害がおさまるものなんですか?」
「おさまるの」
女は、妙にきっぱりとした語調で言った。
この令和のご時世に生贄など、とても信じられた話ではなかった。ていよく自分を追い出すための口実なのではないだろうか。
だが女は真剣そのもので、淡々とした語り口には妙に真実味があった。
「……生贄なんて、何かのたとえですよね?」
「本当よ。うちの一族は代々そうゆう役割を担ってきたんだから。……まあ、今の若い人にこんな話をしても信じられないわよね」
若い人って――俺より十ほども歳下ではないか。
それにしても、生贄だとか儀式だとか、なんと現実離れしていることか。この山小屋は本当に迷い家で、俺は
込み上げてきた不安をごまかしたくて、俺はわざと苦々しく笑ってみせた。
「神頼みで熊退治なんて、普通にありえなくないですか?」
「その通り。ありえないわよ」
女はあっさりと言う。
「羆を退治してくれる神様なんていやしない。神事なんていうのは建て前で、実際には私が熊を
「……あなたが熊と戦うんですか?」
唖然とした。そっちのほうがありえないように思えた。その細腕で——しかも身重の体である。
「正面からやりあって勝てるわけないでしょ。我が一族には羆を倒す秘伝の技があるのよ」
これよ、と女が袖から取り出したものに、俺は仰天した。それは戦争映画かなんかでしか見たことない――手榴弾だった。
「アップルグレネードよ。殺傷能力のある破片を飛散させて、五メートル範囲にいる生き物すべてに致命傷を与えることができるわ」
「こんなもの、どこで……」
「知らない。私は父に渡されただけだから。今はこうゆう既製品を使ってるけど、昔は手作りしてたそうよ。火薬と一緒に金属片やトリカブトの粉末なんかを混ぜてね」
生贄という言葉が唐突に現実味を帯び、俺の心臓は早鐘のように鳴り始めた。
「……つまり、羆と共に自爆するってことですよね……?」
「そうよ。だから最初から言ってるじゃない。うちはね、村でその役割を課された一族なの。村の人たちだって本当は、私たちがどうやって熊を退治するかなんてちゃんとわかってる。でも神様を介在させて土着の宗教行事にしてしまえば、罪の意識も減るでしょ」
「そんな……」
これは、儀式という名を借りた村ぐるみの自殺教唆——いや殺人ではないのか。
あんまりだ、と呟いた俺に、女は冷めた目を向けた。
「そんなことないわ。いつ来るかわからない人喰い羆のために、村は私たち一族を養っているのよ。うちだけは働かなくていいし、村で一番大きな家で贅沢な暮らしをさせてもらってるんだから」
俺はごくりと生唾を飲み込むと、女を見据えた。
「もし失敗したらどうするんです。手榴弾に点火する前に、羆にやられてしまうことだってありえますよね?」
「そんなの、羆を殺すまでやるに決まってるじゃない。本家には私のほかに兄と妹と弟がいるし、いとこだって何人もいる。全員食べられてしまっても養子をもらえばいいし。いくらだって控えはいるのよ」
「……お兄さんがいるのに、最初に生贄にされるんですか」
女は一瞬、言葉を詰まらせた。
「私、私生児を妊娠しちゃったから。順番、繰り上げにされたのよ。……ていのいい厄介払いよね」
女は長い睫毛を伏せ、腹部を撫でた。その目が優しくて、俺は胸を衝かれた。
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