14.メイドと媚薬(?)

クロエが淹れてくれた紅茶は見事だった。

微かにマロンの香う中、彼女は言った。


「人間界に戻る方法ですか?」


紫色の目が、大きく見開かれる。私はカップをテーブルに置いた。


「ええ。家族の様子が知りたくて」

「ご家族の?」

「父と母、妹ふたりね」

「申し訳ございません。私も存じ上げないのです」


彼女は深々とお辞儀をした。頭を上げる気配を見せない。

つむじのてっぺんが、城の庭に同化してしまうのではないかと思った。


「そんな大げさに考えなくて良いから、顔を上げて?」

「サラ様のお役に立つことがメイドの勤めですのに……」

「素敵な紅茶を淹れてくれたじゃない。このアップルパイも、素晴らしいわ」


パイ生地はさくさくとしていて、とろとろの密に包まれたリンゴは絶妙な甘さだ。

私は彼女を見つめた。相変わらずポーカーフェイスだ。でも少しだけ、すまなそうな顔が和らいだ気がする。


「サラ様は寛大ですね。他にお役に立てることはありますか?」


お代わりの紅茶を注ぎながら、彼女は言った。


「んー。じゃあ、私のメイドを希望した理由を教えて」

「そんなことで良いのですか?」

「『巨乳にして』とでもオーダーした方が良かった?」

「……」

「いや、メモ取らなくて良いから!」

 

彼女はメイド服の内ポケットにメモ帳をしまい、私を見つめた。


「私はサラ様に命を救われました」

「え?全く覚えがないんだけど?」

「私が一方的に見ていたので。魔法界からは、人間界の様子を覗けますから」

「人間界を!?じゃあ、私の家族の様子も……」


彼女の顔は、またすまなそうな顔に戻った。


「人間界を覗くには、厳しい要件があるんです」

「クロエはどうして見れたの?」

「病気の治療のためです。命に関わると、特別に許可が下りることがあります。人間界の方が魔法界より、医療が進んでいるので」


たっぷりクリームをつけたスコーンを、口に入れた。クリームは重たすぎず、甘すぎない。今まで食べたどれよりも素晴らしかった。


「ある日、私は咳が止まりませんでした。あと数日続くと死に至ると言われて、人間界を覗く許可を得たんです。そこで、サラ様が薬を作る姿を拝見し……」

「薬!?」


食べたものたちが、すごい勢いで逆流してきた。ごほごほとせき込む私を、クロエは不思議そうに見つめた。


「その薬を飲んで、私の咳は止まりました。サラ様は命の恩人です」


彼女の瞳は、次第に熱っぽい色を帯びていった。

恋する乙女にも、狂信家にも見えた。そこは紙一重だ。結局は同じなのかもしれない。『相手に騙される』という点では。


確かに私は薬を作っていた。

人間界の王子である婚約者レオナルドに「何を作っているんだ?」と聞かれ、「せ、咳止めシロップよ。レオナルドが咳してるの聞いたから」とも返した。


本当は、媚薬を作っていたのだ。



そんなことを知らずに、クロエは続けた。


婚約者レオナルド様は、薬を飲みましたか?」

「ま、まあね」


ええ、媚薬を飲んで、真っ先に別の女の所へ行きました!

元婚約者リリーと会っていたのかもしれない。知らないけど。


「悲惨な婚約生活を何とかするために、できることなら何でもしてたからね……」


クロエは感心したことを示すように、ほうっと甘いため息をついた。


「その努力が、彼だけでなく、私も救ったのですね。素敵です」

「……ねえクロエ。私が作っていた通りに、薬を調合した?」

「はい。一つだけ魔法界にない薬草があり、同じ成分のものを使いました」


理解できた。『媚薬』は一つ成分を間違えると、『咳止め薬』になるのだ。

黙って紅茶をすする私に、彼女は言葉を続けた。


「サラ様の頑張りは、執事ジェフリーに変身したローラン様から聞いていました。私もサラ様みたいに、努力できる女性になりたいです」


あれ、ちょっと泣きそう。報われなかった日々も、思わぬところで誰かの役に立っていたのだ。でも、いきなり泣かれても、クロエを混乱させてしまうだろう。

私は努めてクールに声を作った。


「そう、良かった。無駄にはならなかったのね」

「ええ。いつか必ず良いことがあると、サラ様はご自身で証明されました」


彼女は微笑んだ。あたたかく、きれいな笑みだった。


心地良い風が吹き、頬を撫でる。風は花の香りを運んできた。

紅茶に交じって、甘い匂いが漂う。まるで天国のようだ。


「その薬、僕にも作ってもらおうかな?」


しかし風が運んで来たのは、花の匂いだけではなかった。



いつの間にか、ローランが真向いに座っていた。

クロエは驚いた様子がない。ただ微かに眉を上げ、彼の行為をとがめているように見えた。


「ローラン様、姿を消して近づくのは控えて下さい」

「美しい花の香りに誘われてね。ちょうど最近、咳がひどくてさ」


確信犯だ、この男。

私は黙って紅茶を口に運んだ。飲み物は便利だ。口から言葉が出ない理由になる。


「でしたら、サラ様に薬を作っていただくべきです。あの薬は本当に効きました」

「代わりの成分を教えてあげたのは、僕だったよね」


私は飲み物を吹き出しそうになった。

彼はそんな私を見つめ、長い足を組みなおした。


「危ないところだったよ。成分を一つ間違えると媚薬になるからね。賢い君なら知っていたよね、サラ」

「それは……」


手をカップから離すと、彼に手を握られた。

テーブルの上で手を繋ぐ。彼の手はいつものように大きく、温かかった。


「なんてね。もう頑張らなくて良いよ。薬を作る必要もない。魔法使いの人生3回分くらい、君は努力してきたんだ」


私たちは見つめ合った。彼は微笑み、穏やかな時間が流れる。

そのまま永遠に時が流れるかと思っていたら、ローランは言った。


「でも麗しい香りは、聞き捨てならない言葉も運んで来た。人間界に戻りたいの?」


彼の目は、全く笑っていなかった。

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