08.図書室の秘密

城の図書室は、ひんやりとした冷気と、古ぼけた紙の匂いが混ざり合っていた。雨の日の街灯を思わせる、ぼんやりとしたオレンジ色の照明が室内を照らす。


「すごい。こんなに本が……」


どこか幻想的な空間に、私は息を呑んだ。

すぐ横からため息が聞こえた。中性的な美少年、ノアのものだ。


「朝ご飯を終えて『行きたい場所がある』って言い出すから、どこかと思ったら。図書室だとは思いませんでした」

「ありがとう、ノアくん」


ノアは家来が案内しようとすると「僕が行きます」と言ってくれたのだ。

彼の頭を撫でようとすると、手を払いのけられた。案内役を買って出てくれたから少しは距離が縮まったのかと思いきや、難しいお年頃だ。


「もう。子供扱いしないでください」

「だって、さらさらヘアとかわいい顔を見るとつい……」

「僕はもう二百歳です」

「え、十歳じゃなくて!?」

「やれやれ。そこから学ばなくてはなりませんね」


彼は慣れた足取りで本の間を進み、ある本棚の前で立ち止まった。

そして私の方へ振り向いた。いつになく真剣な眼差しだ。


「本当はここで書物を読んで、魔法の国について学ぶのが王道です」

「別にそれで良いわよ。本は好きだし」

「『モテる力~実践編~』のような本ですか?」


私は言葉に詰まった。前夜に私との婚約を破棄した王子、レオナルドを振り向かせるために読んでいた本だ。

量産型の、十年後には誰からも忘れられる類の本。城の図書室なんかには絶対に格納されないだろう。


「どうしてそれを知ってるの?」

「お兄様から聞きました。執事ジェフリーに変身していた時に見たと」

「まさか下着の種類まで聞きました、なんて言わないわよね」

「え、えっと……」

「何?」

「た、確かに素敵な身体をしているので、似合いそうだなとは思いましたが……」


顔を赤らめるな、二百歳。

公務に出かけたローランを、帰宅後にどう懲らしめてやろうか考えていると、ノアが口を開いた。


「と、とにかくカスみたいな本と違い、歴史書は読み解くのに時間がかかります」

「そうね。魔物とかも、よく分からないし」

「なので、特別にこの賢者の部屋へ案内します。そこに行けば、この世界の仕組みはだいたい理解できるはずです」


裏技のようなものがあるらしい。さすが魔法の国だ。

ノアは本棚に手を当てた。そして声変りのする前の、少年の声で叫んだ。


「古の書物たちよ。築け、『賢者の部屋』へ繋がる扉を!」


本たちが次々と本棚から抜けて、ふわふわと宙に舞う。それらは光りながら一か所に集まった。

眩しさに目を閉じて、目を開くと、そこには扉が出現していた。


「これが部屋の入口?」

「はい。早く入ってください。閉じてしまう前に」


彼は私に懐中時計を渡した。きらきらと輝く、黄金の時計だ。

見とれている私に、どこか緊張した声でノアは言った。


「一時間以内に、来た扉から戻ってきてください。絶対ですよ」

「ノア君は行かないの?」

「はい。この部屋は、入った者に必要な知識を見せてくれるので」

「私だけの方が都合が良いってことね」

「部屋に一冊の本があるはずです。それに手を触れてください」


扉は色とりどりの光に包まれていて、私を誘惑しているようだ。

光はきらきらと、何かの形を表している。


「この形、どこかで見たような……」


何だかとてつもなく嫌な予感に襲われた。

知ってしまうと二度と戻れなくなるような、そんな期待と不安が入り混じった感情だ。


尻ごみする私を見て、ノアは心配そうに聞いてきた。


「怖いですか?」

「本当に一人で行かなきゃだめ?ノアくんと一緒は?」

「僕と二人でこの部屋に行くのは、また違った意味になりますよ」


くすくすと笑う様子は、美少女のようにも見える。

どうしてこの兄弟は、こうして人を誘惑せずにはいられないのだろう。顔が良いだけに、質が悪い。


私はやけになって、扉を開いた。どこかで嗅いだことがある匂いが、鼻をつく。

思い出そうと努めていると、ノアくんが声をかけてきた。


「あの本に、略奪愛のテクニックはありましたか?」

「寝取りテクニックならあったけど。なんで?」

「……次に人間界へ行ったら、その本を持ってきてください」


いつになく真剣なノアくんである。


「わ、分かったわよ。もう行くね」


彼を図書室に残して、扉の中へ入って行った。



そこは薄暗い、石造りの部屋だった。蠟燭がぼんやりと部屋を照らしている。

狭い空間に、木製の勉強机と、椅子と、クローゼットが置かれていた。


「愛らしい小部屋にも、独房のようにも見えるわね……」


机の上には、一冊の本が置かれている。私は机に向かい、足を進めた。


「これかな、ノアくんが言ってたの」


手を伸ばした瞬間、大きな音が部屋に響いた。

クローゼットの扉が開いた音だと気付いたのと、頭を殴られて床に崩れ落ちたのは同時だった。


意識が遠くなり、吐き気と眠気が同気に襲ってくる。

手から懐中時計が奪われる感覚がして、唯一働いている嗅覚が、覚えのある匂いを察知した。


元婚約者リリーからの手紙と同じ、甘ったるい罪の香り。


「あの光の形は……キャンベル家の紋章……」


そう呟こうとしたけど、口からは吐息が漏れるだけだった。

いつだって、手遅れになってから思うのだ。「そういえば」と。

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