02.王子からの婚約破棄

昔は魔法使いが存在したと、本で読んだことがある。

万能に思えた彼らだが、命を生み出すことと、死者を生き返らせることだけはできなかったという。


私は死者からの手紙に書かれた、署名を眺めた。

『リリー・キャンベルより。愛を込めて』


「ジェフリー」

「はい」

「レオナルドは五年前に彼女リリーと婚約していた。そうよね?」

「ええ。第一王子の婚約者が自殺したと、当時は騒ぎにもなっていました」

「死因?」

「溺死です。湖で遺体が発見されたはずです」


私はもう一度、差出人の名前と住所を見つめた。新聞で見た情報と一致している。

何より、キャンベル家の紋章が入っている。特徴的な蛇が絡み合う、おぞましいマークだ。


「イタズラにしてはやけに手が込んでるじゃないの」

「……あの事件には、不可解なところが三つありました」


彼はゆっくりと口を開いた。


「事故死の場合は検死にまわされて、医者が死亡判定をします。今回は夜に失踪して、朝に発見されました。そして昼前には、溺死で死亡という噂が広まっていました」

「どこがおかしいの?」

「早すぎるんです。キャンベル家のような公爵令嬢なら、もっと検死に時間を割いても良いはずです」


彼は一息ついて、話を続けた。かたちの良い鼻と唇が、微かに上下する。

ジェフリーとこんなに話すのは始めてだな、と思った。


「二つ目は、婚約者レオナルドさまに遺体を見るか確認が来なかったことです。普通、遺体がどんな状態でも、遺族には連絡が行きます」

「レオナルドが婚約者だったからじゃないの?」

「王族の婚約ですよ。村人がする酒場の口約束とはわけが違います。三つ目は、検死をした医師が不審死を遂げたこと。それに手紙の紋章には魔法が……」

「え?まほう?」


聞き返したが、その答えを得ることはできなかった。

ジェフリーの背後に来た男が、それを阻止したからだ。


「いつの間に執事から探偵に転職したんだ?」


傲慢で、冷ややかな声だ。ジェフリーはすぐさま頭を下げた。


「申し訳ございません、旦那様」

「サラも、そんな姿で執事と話すべきじゃない。人として失格だな」

「人として失格なら、女神としては合格ですかね?」


男はジェフリーをにらみつけた。執事は私に目配せをし、片目をつぶって見せた。

「手紙は任せた」という意味なのだろう。


彼のユーモアは、いつも私を救ってくれる。彼が居なければ、今頃「こんな時間まで外をうろつくなんて、夫として失格ね」と言っていただろう。


ジェフリーは笑みを浮かべ、主に言った。


「旦那様。今夜のサラ様は、いつもに増して美しいです」

「気でも狂ったのか?早く持ち場に戻れ」

「粗末にすると、奪われてしまいますよ?近くで彼女を見ていて、とっくに狂ってしまった誰かに」


呆気に取られる私たちを残し、ジェフリーは去って行った。


寝室の入口には、私と男が残された。

男は背が低くて猫背、赤毛で口髭が生えている。菜食主義者の会計士のようだ。

公務の服でなく、カジュアルなスーツ。襟元が少し乱れている。


どこかで女と遊びんでいたのだろう。そう思いながら、私は優しい声を絞り出した。


「おかえり、レオナルド」


返事の代わりに鼻が鳴らされた。険しい顔をしている。

微笑むのは四年に一度と決めているのだろう。


彼はソファに腰を掛け、私は隣に座った。

先程の手紙を、ネグリジェのポケットへしまいながら。


レオナルドはベッドの上に散乱している本を眺め、忌々しそうに呟いた。


「まったく、本なんか読んで……」


本を読まないと、あんたみたいな人間になるからね。

そう心の中で毒付いて、顔に笑みを張り付ける。かつてメイドは言っていた。

「モラハラ夫はかねだと思いなさい。人だと思っちゃだめ」。


「我慢、がまん。私は家族を養うために、この男と結婚する必要があるんだから」

「何か言ったか?」

「いや、別に」


気まずい沈黙が流れた。彼の手に、私の手を重ねてみた。

本をバカにしてはいけない。モテるためのテクニックだって、本で学べるのだ。


「……チッ」


彼は即座に私の手を振り払った。私は『モテる力~実践編~』の著者を呪った。


「あー、サラ。お前に話したいことがある」

「明日の結婚式のこと?」

「いや、違う」


彼の目は、どこか遠くを見ていた。そわそわと落ち着かない。

しかし、ある一点に視線を定めると、急に晴れやかな笑顔になった。四年に一度の微笑みだ。


視線の先は部屋の入口で、ある女性が立っていた。


「あなたが話すまでもありません、レオ」

「来てくれたのか……!」

「ええ、愛する人。あたしから話しますわ」


漆黒のドレスを揺らし、彼女は妖艶にほほ笑んだ。黒髪で、肌は雪のように白い。

しかし赤い目は獲物を目にした捕食者のように、ぎらぎらと輝いている。


彼女は私を真っすぐに見た。甘ったるい香水の匂いが鼻をつく。


「初めまして。形ばかりの婚約者さん」 


私は確信した。彼女こそが、リリー・キャンベル。

墓から蘇ってきた、死んだはずの元婚約者だと。

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