きっと、お前だから

沈黙さえも愛おしい

「なあ、そろそろ帰ろうぜ」

「あともうちょっとだけ。お願い」

「ちっ、しゃーねぇな」


 放課後の図書室、いつもの特等席に分厚い小説で居座る幼なじみの隣に許可なく腰を下ろして。


「なあ、それ面白いか?」

「うん。面白いよ」

「ふーん」


 中身のない会話。することもないから、無意味に横顔を見つめてみる。さらりと落ち着いた黒いストレートの髪。俺の遊んだ茶髪とは正反対の。俺も縮毛矯正でもしてみようか。癖の強い毛先を弄ぶ。


「うるさい」

「は?」

「視線の話。こっち見すぎ」


 ページを捲る手は止めることなく、横目でちらと睨まれる。


「うっせぇ、自過剰」

「なんで俺がキレられてんの」


 呆れた言葉の後で、目線はまた、手元の小説におとされる。この、言いようのないイラつき。こんな紙の束ごときに負けた、とは、別に思ってないけど。待ってやってるんだから、ちょっとぐらい相手してくれたっていいじゃんか。声に出したら女々しいって笑われるだろうから、死んでも言ってやらないけど。少し空いた窓から風が入って、本の匂いが鼻に残る。もう嗅ぎなれたインクの奥のカビ臭さ。歴史を思わせるこの匂いは嫌いじゃない。


「お前、案外寂しがりだよね」

「……急に何言ってんだよ」

「違うの?ちょっとでも俺がほっとくと拗ねるのに」

「拗ねたことねーよ」

「嘘つき。いつも俺の読書を邪魔してるのは誰?」

「あーあー、そーかよ。じゃあ俺は帰るぞ。邪魔みたいだからな」


 荷物を掴んで腰を浮かせるも、襟を乱暴に引かれ戻される。


「怒んないでよ。俺のこと嫌いなの?」

「……性格が悪いヤツは嫌いだね」

「そっか。あのね、俺、好きな子がそばに居てくれるだけでいいタイプなんだ」

「だから何。聞いてねぇから。その好きな子ってやつ連れてこれば」

「……俺の好きな子知りたい?」


 こてんと首をかしげるわざとらしさに少し腹が立つ。


「知らない」

「えっとね、俺のことが大好きな子」

「聞いてねぇって。この自過剰が」

「好きだねその言葉。お前はもっとそうなった方がいいよ」

「うるさい。大体、となりに居るだけって、何が楽しいんだよ。感性ジジイか?」

「分かってないなあ。お前の感性がお子ちゃまなだけでしょ」

「若いうちからジイサン呼ばわりされんなら、ガキのままのがまだマシだね」

「そう。じゃあ試しに今日は何も話さないでさ、のんびり歩いて帰ってみようか。少しはオトナの良さが分かるんじゃない?」


 そう言って手を引かれる。大人ぶってんじゃねぇ、と口を挟む暇はなかった。いつの間にか机上の小説は片付けられていて、俺は手を引かれるまま図書室をあとにする。


 心地よいカビ臭さが、澄んだ外の空気に洗われる。呼吸は自然と深くなり、隣を歩く幼なじみをそっと見上げた。ほんの少しだけ高い背丈。整った横顔は凛としていて。苦手なはずの静けさも、掌にだけ伝わる温もりに支配される。いつもと変わらないはずの帰路。なのにどこかくすぐったくて、気を抜いたら溶けてしまいそうなほど頬が火照る。


 バチ、と視線が交わった。耳がおかしくなったかのような沈黙。相変わらず歩みはゆっくりで、心音だけが加速して。


 あぁ、これは。認めるのは、ちょっと悔しいけれど。


 少し大人びてみるのも、悪くないのかもしれない。

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