第25話 愛蔵の親友・井口喜源治と研成義塾の発足 🏫



 お良が俊子の育児で忙しくしているあいだも白金耕地のサロンたる相馬家の洋間は夕方から頻繁に出入りする若者でますます活況を呈していた。昼となく夜となく乳を欲しがり、おしめが濡れたといっては泣いてばかりいる赤ん坊につきっきりで暮らしてみると、貧乏のただ中で大勢の子どもを育てあげた母の奮闘がより尊く思われる。


 少しでも俊子が泣くと安兵衛か義姉、ときには両方が「おお、どうしたどうした」とやって来る煩わしさに閉口しながらも、家計の心配をせずに育児に専念していられる身がありがたく、ときには寮の下級生の縫物や洗濯までして生活費や学費を稼がなければならなかった明治女学校時代の屈辱がはるか遠い日のように思われて来る。


(いまごろ、あのころの先輩や同級生はどうしているだろう。年の離れていない教師との恋愛に盛んだったひともそうでないひとも、幸不幸は糾える縄の如しであること密度の濃い経験で分かっていたつもりだけど、まだまだ人生はほんの序の口なのね。この先なにが待っているか分からないけど、あくまで自分らしく生きたいものだわ)


 お良の性分として赤ん坊の世話だけに満足できるわけがなく、こうして部屋に閉じこもっていると、自分だけ世の中の流れから置いて行かれるような焦りを感じたが、かと言って育児経験がないだけ赤ん坊に大甘に甘い義兄夫婦に預ける気にはなれず、夜遅くサロンから引きあげて来る愛蔵から話を聴くだけで満足せねばならなかった。


      

      *



 そんなある夜、いつになく物々しい気配が伝わって来て、俊子に乳をやりながらもお良は全身を耳にして洋間に意識を貼りつかせていた。愛蔵が盆にのせた急須や湯呑を運んで行くのはいつものとおりだが、珍しく安兵衛までが扉の内に消えたようで、その扉はぴたりと閉ざされ、外に話し声が漏れないように用心を重ねているらしい。


 日付が変わってから寝室にもどって来た愛蔵の話をお良は息を詰めて聴いていた。密議の内容は喜源治さのことだった。日曜の夕方、宿直当番の小学校に出向くと、小使いさんから「今朝、数人の先生方が芸者を学校に引き入れた」と告げられた。禁酒や芸妓置屋設置反対活動に熱心な喜源治さは、宿直日誌にそのことを認めた。


 翌日、それを読んだ校長に呼ばれ「どうして同僚を陥れるようなことを書くのか、きみこそ校内の秩序を乱す胡乱な輩だ」として譴責処分を受けたうえ隣村の小学校に転勤を命じられた。不本意ながらもその小学校へ挨拶に出向くと、そこの校長から「まあ一杯やろう」と言われたが拒否、その足で相馬家サロンへ来たのだという。



      *



 当初は愛蔵たちの活動を遠巻きに傍観していたが、近ごろしだいに締め付けの輪を縮めて来つつあるように思われる村のムードから、遠からずそういう日が来るのではないかと感じていたお良はそのこと自体にはさして驚かなかった。それより小躍りしたいほどうれしかったのは、ここ一番で発揮したという愛蔵の立派な男気だった。


 ――喜源治さよ、ここが覚悟のしどころだな。天下の教育界広しといえど札付きのおめえさんを受け入れる学校はないだろう。そのおめえさんを無条件で受け入れる学校、それはおめえさん自身の学校だ。それならだれにも文句は言わせない。おめえの好きなように生徒たちを教育できる。その気なら、おれが応援するぜ、どうだ。


 即座にそう宣言したという夫をお良はそれまでにない尊敬の目で見た。やさしいはやさしいが、なんとなくのんしゃらんとして掴みどころがないことがひそかな不満だったが、大事な場面でそんな潔い啖呵をきれるとはなんという清々しさだろう。それに呼応して、安兵衛ともうひとりの有力者の臼井喜代が支援を申し出たという。


(わたしの選んだ男はやはり間違いじゃなかった。同窓生と婚約という最大の裏切りをやってのけた布施淡への復讐のための結婚だったように自分でも思っていたが、なんのなんの、どこに金襴が眠っているか知れたもんじゃない。もしあのとき、布施と結婚していたとしたら、わたし、貧乏絵描きの妻の座に満足できたかどうか……)


 人生万事塞翁が馬という諺も浮かんで来るが、常識とか、型にはまるとかが大の苦手だったはずの自分もずいぶん丸くなったものだという苦い思いにも駆られる。だが、なにかを失ってなにかを得られれば、さらに後者の実が重いのであれば、なにを悔やむことがある。プロセスより結果が大事であることを身をもって知ったのだ。



      *



 大物双頭のバックアップを得たことでとんとん拍子に話が進み、とりあえず矢原の集会所を仮校舎として、喜源治さの学校がスタートした。迎える第一期生は十二人、いずれも尋常小学校の卒業生だった。名称は、明治のはじめに当地に開校し、愛蔵も寄宿舎で学んだ経験があり、厳格な教育方針で知られる学校にあやかることに。


 ――研成義塾。


 同い年の親友から「おまえを受け入れる学校はどこにもない」と言われた喜源治は狭いながらも充実した自分の学校で思う存分に生徒たちを愛育した。そんな喜源治を支える双頭の資金で三年後には糸魚川街道沿いに新校舎が落成する。設立趣意書には臼井喜代、相馬安兵衛、井口喜源治の名前が連署され、それがお良の誇りとなった。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る