第3章 山岳の圧と人間関係に苦悶

第20話 相馬家の洋間サロンに集まって来る若者たち 🎨



 ところで、百姓女たちの批判にさらされたお良の嫁入り道具の内でもことに奇抜と思われた三点、すなわち豊壽叔母から贈られた小型のオルガン、巌本善治が持たせてくれた勝海舟揮毫の李白の詩、西洋画家・木下杢太郎の二十号の油絵『亀戸風景』はひとつところに置かれ、東京の女学校出の士族のむすめの嫁をアピールしていた。


 それが安兵衛が後継の愛蔵の結婚祝いに建てた別棟の三十畳の洋間である。このころの信州の農村で洋間のある家はめったになかったが、ハイカラな嫁を迎える弟にふさわしい異空間に当主は相馬家の未来を託すつもりだった。図らずもお良が持ちこんだハイカラ三点が村人の度肝を抜く洋間にぴたりと収まったのは不思議な縁だった。



      *



 幼いころに両親を亡くした十五歳年下の末弟をじつの子のように可愛がり、早々に次弟・宗次を分家に出して、愛蔵を本家の跡取りと決めた安兵衛だったが、一方で、東京専門学校在学中にキリスト教に入信し、卒業後は北海道で農園を開くと言い出したが反対されるとあっさり断念する、そんな恬淡とし過ぎる気質を危ぶんでもいた。


 思い立てば、あと先を顧みずに行動に移す、糸の切れた凧のようなところがある。一歩間違えば先祖伝来の田畑まで失いかねない気風は旧家の当主として困りものだ。自分の眼鏡ちがいにならぬよう、安兵衛はあの手この手で、物事にこだわらず飄々とし過ぎているように見える末弟を地元に落ち着かせようと画策していたものらしい。


 士族のむすめを娶りたいと言う愛蔵の話に鷹揚に同意してやった安兵衛は、東京や横浜の西洋館を自分の目で見てまわり、自身で設計図面を引き(まことに有能な人物なのだ)地元の大工に噛んで含めるように説明して納得のいくものを仕上げさせた。そんな曰く付きの洋間(母屋と棟つづきの別棟)を見物したがる村人にも公開した。



      *



 安兵衛の入魂の洋間は、お良が嫁ぐ前に、すでに地元の若者たちに使われていた。夕食が澄むと、三々五々、このお伽の部屋に集まって来て、野沢菜漬けをお茶うけに渋茶で腹をガブガブにしての談論風発。それが相馬本家の新たな日常になりつつあったが、安兵衛もその状況を受け入れ、むしろ積極的に応援しているふうでもあった。


 というのも愛蔵が書いた養蚕の手引が評判になり、最新技術を学ぼうと村外からも若者が集まり始めていたからで、その支援者たちに推されるかたちで南安曇基督教青年会や東穂高禁酒会を組織し折りからの芸妓置屋設置反対運動の先頭にも立つなど、新時代のリーダーとして人望を集める弟を安兵衛はどんなに愛しく思っただろう。


 一週間にわたる結婚式のあいだは洋間のカーテンも閉ざしたままになっていたが、終わると待ちかねたようにサロンが復活し、都会の匂いを運んで来た新妻をひと目見ようという若者の熱気でむんむんしていた。愛蔵も誇らしげにお良を紹介し、ぜひにと請われたお良はオルガンを弾きながら讃美歌をうたい、やんやと喝采された。


(豊壽叔母の家の集いとは比較にもならないけど……、あら、いけない、またしてもわるい癖が顔を出したわね……とにかく東京と、この田舎とでは、文化程度がちがいすぎるのはたしかだけど、それでも、ここに集まって来る青年たちには素朴ながらに向上心や向学心がある。それはわたしにとって小さな灯にならないわけじゃないわ)


 憧れの目を向けられる自分にもひそかな快感を覚えた。なにしろ嫁いでこの方家族からも近所からも戸惑いや侮蔑の視線を投げられるばかりで、さすがの強気も自信を失っていたが、そういえば明治女学校では男性教師とも対等に渡り合っていたのだ。不当に貶められ、悄然としている自分であっていいものか。強気が少し復活した。



      *



 花見へ行けない日、そっと洋間に出向いたお良は、窓を閉めきったままでオルガンを弾くことがあった。そんなとき、ふと気づくと窓いっぱいに村の子どもたちの顔が重なっている。お良が立ち上がって行って「みなさん、こちらへお出でなさいな」と呼ぶと、なにか卑猥なことを口々に囃しながら蜘蛛の子を散らすように逃げて行く。


(まあ、なんということなの、大人の悪習に幼い子どもたちも染まっているんだわ。本当の意味も分からないのに、なんとなく淫らなことはニュアンスで分かるのよね。わたしだって仙台でそうだったもの。母の目をかくれて夜ごと色街に出かけたのも、なんとなく妖しげな雰囲気を察知したからで、その手のことに子どもは敏感だから)


 方言なのではっきりとは分からないが、きっと顔を赤らめずにいられないことを囃し立てて無邪気に喜んでいるにちがいない腕白坊主たちを疎む気にはなれなかった。子どもは大人の鏡と言われるとおり、あの子たちになんの科もあろうはずがないわ。わるいのは平気で子どもたちの耳にきたないことを吹きこむ大人たちなのだから。




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る