第19話 花見の湧き水&榛の木林のやさしいひみつ 🌳
日ごと夜ごと東山を仰いでは、愛蔵と馬で越えて来た保福寺峠の記憶を振り返り、あの峠を逆にたどれば東京に着く……そのことばかり思っていたお良は、ある午後、気うつを散じようと屋敷の裏に出てみた。やさしげな小川がちょろちょろ流れている水車小屋に行き着くと、それから先は、さみどりも瑞々しい
――
集落のひとたちがそう呼ぶとき、だれもが目を細めずにいられない湧き水の草原。木洩れ日に反射する水がきらきら輝き、その光がまた木々の葉に反射して得も言えぬ美しい光景を現出させている。安曇地方でもひときわ低地にあるこの一帯には山脈の雪解け水が伏流水になっているので、井戸を掘らなくても生活できるのだという。
(ああ、ここがあの……こんなに美しい場所がすぐそばにあったというのに、わたしったらなぜ早く来てみなかったのかしら。あちこちに気兼ねしながら重苦しい家に閉じこもっているより、この自然に抱かれているほうがどんなに気がやすまるか。こうして誘い出してくださったのも神さまのお導きかも知れないわね。ありがたいこと)
愛蔵から聞いていた話に納得しながら草原に足を踏み入れると、見覚えのある道具が置いてある。女中が水汲みに使う桶と天秤棒にちがいなかった。あの子ったら、こんなところで骨休みしていたのね。なんだかむかむかして来たので、思わずふたつの桶に水を満たして天秤棒で担いでみたが、バランスが取れずすぐに草に放り出した。
(軽快な身ごなしの女中を見て、あんな程度は自分にだって出来る、むかしから身体を動かすのは大好きなんだから、わたしの運動能力を見くびらないでちょうだいよ、そう思っていたけど、とんでもなかった。生まれついてこの地に根づいたひとにしか出来ないことがあったのね。ごめんなさい。その点については、あなたに脱帽だよ)
*
花見で味わった幸福感を愛蔵にも秘密にしておいたのは、夫以外の家族や使用人に自分の心の動きを知られたくなかったからだが、そう警戒するのは、夫が妻の自分よりも義兄夫婦により近い証しと自己分析してみて、お良はいっそうさびしくなった。そのうちに本当の夫婦になれるだろうか、義姉より妻を愛してくれるだろうか……。
それからお良の足は、ことあるごとに花見に向くようになった。ときに漆黒の髪を湧き水に浸して頭皮はもちろん澱んだ頭のなかまで洗い流すのは気持ちがよかった。頭がすっきりすると心も軽くなって、この場所があれば、なんとかこの地域で生きていけそうな気もしてくる。いつしか湧き水の草原は、お良の心の故郷になっていた。
*
ある夕方、だれからも必要とされていない所在なさに草原に彷徨い出ると、はるか遠くにいままで気づかなかった小さな島が浮かんでいる。近づいて行く途中から榛の木は杉林に変わり、老杉のなかの赤い鳥居に「厳島神社」の扁額が掛けられている。金色の文字の先に小さな祠があり、水の神さまの弁財天が祀られているのだった。
さらに進むと、二十坪ほどの舟の形状をした墓域に行き着いた。たくさんの墓碑のいずれにも「相馬安兵衛」「相馬甚兵衛」と刻まれているのを見て、代々が安兵衛と甚兵衛を交互に名乗るしきたりと聞いたことを思い出した。弁財天にせよ、墓碑銘にせよ、相馬家の先祖が古くからこの地域に住んだ証しがここに集積しているのだ。
(祖父が儒者だったこともあって仙台の実家は日本式だったけど、父の実家の多田家の墓碑には、いずれもクリスチャン・マークが刻まれていたっけ。同じ日本でもこうまで文化風土が異なるのね。なんの因果か、旧習を尊ぶ地方に嫁いで来たわたしは、なにかにつけ批評眼を向けたくなるけど、そろそろこの地域一辺倒にならなきゃね)
若さの特権でもあったか、自分なりにある程度の打算を働かせての結婚だったことも都合よく忘れかけているお良は、見るもの聞くもの批判ばかりせず、この地に骨を埋める覚悟を固めたほうが、結局は自分のためなのだよと自身に言い聞かせながら、だれからも人間として尊重されていない婚家へ重い足取りで帰って行くのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます