第17話 晴着一枚持たない花嫁は田舎の陰口の標的に 🍶



 それからの一週間が異郷からの花嫁にとってなお身の置き所がない日々になった。重畳たる山並みに囲まれ、松本のまちへ出るにも半日がかりの僻村に暮らす人たちにとって、庄屋の結婚式は生涯に何度もお目にかかれないとっておきの見世物であり、のち何年にもわたって語り草にする絶品の娯楽である事実をお良は思い知らされる。


 相馬本家のご祝儀に招かれるのは、近い親せき、遠い姻せき、白金耕地の役職にある人たち、むかしからの縁故でつながる村外の縁者、小作人、出入り業者らで、それぞれ日ごとにグループ分けされ(むろん安兵衛の采配によった)、過不足なく趣向を凝らした酒肴を惜しみなく提供して、文字どおりの大盤振る舞いをするのだった。


 母屋の裏の蚕室を当てた広い台所には、朝飯も食べず集まって来た(家で待つ家族の分まで三食を賄うしきたり)近所の女衆が大勢たむろし、紺前掛けに襷掛け姿もいなせな旅まわりの料理人の指揮で、野菜、根菜、豆腐、揚げ、野鳥、鯉、玉子などを彩りよく調理していく。田舎料理らしく食紅もふんだんに使う大ご馳走になった。



      *



 新婦のお良は自室で声がかかるのを待っていたが、髪を結い(義姉のたっての希望により親せきを呼ぶ初日だけは丸髷にしたがそれ以外は女学校時代の束髪で通した)化粧をしてもらい胸高に帯を締められて座布団に座っているのは案外な労苦だった。大人数が動きまわる音、声、蜂の巣のような騒々しさは持病の頭痛をも誘因する。


 こめかみを揉むことすらできず、人形のように金茶色の座布団に畏まっていると、来客好きな豊壽叔母がひんぱんに開いたホームパーティの場面が思い出されて来る。気の置けない客に出す料理は洋食主体で、会話も、政治や文学の話ばかりだったが、ところ変わればということか、穂高では家人ではなく村の世話人が仕切っている。


 ハレを目いっぱい楽しむつもりの女衆の関心は、なにかにつけてお良に集中する。百姓女たちの歓声と羨望と嫉妬を一身に浴びる上等な晴着を着替えてみせるのが上に立つ者の役目であるらしいが、あいにくお良は一枚の晴着も持ち合わせていないのでどの宴も相馬家から贈られた黒羽二重の一張羅で通し、当然、かげ口の的になった。



      *



 朝から晩まで他人でごった返す一週間がやっと終わると、広い屋敷は空気が抜けた風船のようになった。ご祝儀の主役と言われて心ならずも上げ膳据え膳に甘んじていたお良も、一夜明ければ相馬家で最下位の新米の嫁になった事実を、ひしひしと感じずにはいられなかった。文字どおり一から教わらなければなにも出来ないのだ。


 まずは母屋と土蔵を往復して婚礼に使った漆器や陶器の整理に忙しい義姉に手伝いを申し出てみる。「あの、わたしにも教えてくださいませんか。少しでもお役に立ちたいので」「……」「義姉さまの足手まといにならぬよう一所懸命いたしますので」「……」「これは、どこに仕舞えば?」「……」「あのう、こちらは?」「……」


 そんな調子で少しも埒があかない。都会から来た嫁に遠慮しているとも見えるが、根っからの親切心とも思えず、かといって早くも姑の嫁いびりが始まったというわけでもない。鄙びた小づくりな顔に曖昧な笑みを浮かべて黙っているだけの義姉の心が読めず、冗長なおしゃべりが苦手で、まず結論から述べたい性質のお良は当惑する。


(この方はどういう方なんだろう。なにかひどく片意地なものを大豆のような身体の内側に秘めておられる。まあ一週間前にはじめて会ったのだから当然といえば当然かも知れないが、申してはなんだが、人を迎える側の心得を承知しておられぬようだ。外国仕込みの洗練されたホステス役が身についた豊壽叔母ならば、こんなとき……)


 すぐにそんなことを考えたがる自分を戒めながら、この義姉のもとで暮らす日々が半永久的につづくことを考えると、どうしても気持ちが滅入って来る。なかば失恋の勢いで決めたような結婚の報いが早くも来ているのだろうか。陸奥随一の都・仙台と横浜と東京しか知らない自分にとっては別天地の田舎暮らしに堪えられるだろうか。




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