第13話 あのころの自分はなにも見ていなかった 🛤️



 新婚初夜を料理屋で迎えたお良は、翌朝、晴れて夫となった愛蔵を家族に会わせるため夫婦で仙台へ向かった。そそけ立つ白髪を隠そうともしない母・巳之治は、貧窮いよいよ極まった苦悩をげっそり老けこんだ顔に滲ませていたが、体格も気質も大柄で頼もしげな婿を紹介されると、皺だらけになった頬を堪え性もなくゆるめた。


「まあまあ、これはこれは、こんなに遠くまでお越しくださって、ほんとにまあ……ごらんのとおりの茅屋住まいでございまして、気の利いた料理の一品もお出しできませんが……とにかく、こんなじゃじゃ馬をもらってくださってありがとう存じます」


「いやだわ、おかあさまったら、なにをいまさらごちゃごちゃと言い訳してるのよ。うちが底なしの貧乏であることも、わたしが手に負えないことも、とうに愛蔵さんは合点承知の助よ、ねえ、あなた。いまさら飾ってみたってしようがないでしょう」


「いやいや、おかあさん、もう身内の仲なんですし、堅い挨拶は抜きにしませんか。自分は万事おおざっぱな方でして、どちらかというと型にはまったことが苦手な性質ですので、お良の伴侶として、ざっくばらんにおつきあいいただけると助かります」



      *



 八年前、同居させてもらっていた東京の豊壽叔母宅から、理由を明かされないまま送り返されて来て心を病む姉・蓮の症状はさらに進行しており、ときどき裾を乱して遠走りしても以前のようにお良のサポートを期待できない老母は、息をきらして追いかけるのが困難になって来たので、かわいそうだが座敷牢のようにしているという。


 隻脚の弟・文四郎が亡くなったとき、よんどころのない用事で外出していて臨終に立ち会えなかったことがいまだに悔やまれてならないと言って泣きくずれる母の薄い肩を抱いてお良も泣く。その母と子とをうしろから愛蔵が大きな手で包んでくれる。三人ひとかたまりの場面をとなりの部屋の蓮が昏い目を光らせて見ているらしい。



      *



「こんなありさまゆえ、お良には結婚の支度もしてやれなかったこと、本当に申し訳なく思っています。愛蔵さんの前だけど、信濃のお宅にもさぞや肩身が狭いだろう。不甲斐ない親でごめん」そう言って母はまたひとしきり泣きじゃくった。そんな母に追い打ちをかけるようなことは言えないが、お良には胸に収めていることがあった。


 ほかならぬ蓮の破談の件について。豊壽叔母自身からは相変わらずなにも言われなかったが、周囲の話から推測できたのは、婦人矯風会の書記だった叔母の、創設者の矢嶋楫子やじまかじこを押しのけて代表になろうとする言動が目に余ったからのようで。なるほど姉の巳代治にも破談の理由を告げられなかったわけだわと得心する思いだったのだ。



     *



 なにも知らなかった幼いころは、頭脳明晰にして英語が堪能、父・雄記の全面的な支援を受けて上京し、アクティブに自分の道を切り開いていく叔母が新時代の女性の花型と見え、逆に、ぬかみそくさく家庭に埋もれている母親が旧時代の化石のように思われて、生意気なことを平気で口にしていた自分がいまさらながら悔やまれる。


(おかあさま、ごめんなさい。あのころのわたしにはなにも見えていなかった。姉妹のどっちが偉いかなんて、ずいぶん高慢な言い草だったし、人間の価値を図る基準も持ち合わせていなかったのに……おかあさまがどんなご苦労をなさってわたしたちを育てあげてくださったか、いまは痛いほど分かるわ。本当にありがとうございます)


 そんなことを新婚のむすめが思っているとは露知らない巳之治は、ただひたすらに貧乏を詫び、自分の力の至らなさを済まないと言って褪せた古着の身を揉みつづけ、偉丈夫の身体と同じく人柄もおおらかな婿さんに「ふつつかなむすめを、くれぐれもよろしくお願いします」と言い、ことあるごとに深々と頭を下げつづけるのだった。




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