第10話 名づけて「石炭ガラ」こと島崎藤村先生 🧟‍♂️



 やっと憧れの明治女学校に入り、これで時代を先駆ける女性の仲間入りができると意気ごんだお良だったが、その期待はみごとな肩透かしを喰らうことになった。先述のように、当時の明治女学校は最盛期を過ぎ終焉に向かってフェードアウトする過渡期に当たり、その明白な事実を、雇われ教師たちの覇気のなさが端的に示していた。


 なかでもお良の勘に障ったのは「石炭ガラ」のあだ名をつけた島崎藤村だった。見るからにやる気のなさそうな腑抜けた表情で教壇に立ち、ただ持ち時間をつぶすだけのメリハリのない授業をつづけ、向学心旺盛なお良が質問をしてもいかにも迷惑げに「……ああ、それでいいでしょう」と答えてさっさと教室を立ち去る体たらく。


 なんなの、あのひとは、俸給をもらっているくせにあんな不誠実が許されるの?! 生徒のわたしは同級生や先輩の縫物から洗濯まで請け負って学費に当てているのに、突っこんだ質問をさも面倒くさそうにするなんて、教師の風上にも置けないよね~。ひとたび、きらいになると、とことん、きらい抜かずにいられないお良だった。



      *



 根深い不信はくだんの「石炭ガラ」教師の女性関係のだらしなさに起因していた。のち同居の姪とのただならぬ関係が取り沙汰されるようになる島崎藤村は、教え子の佐藤輔子(岩手県花巻出身)と相思相愛と認識されており、北村透谷と斎藤冬子(宮城女学校の敬愛する先輩)のカップルともども生徒たちの憧れの的だったはず。


 なのに「万里の旅に死すべき覚悟は御座候」などと気障な文面の手紙を星野天地に託し、西行や芭蕉を真似る漂泊の旅に出た「石炭ガラ」は、その口も乾かぬ旅先の神戸で広瀬恒子(明治女学校出身)と懇ろになり、東京へもどってからも優柔不断で傷つけた佐藤輔子に許婚のもとに行くよう(許婚がいたのだ?!)示唆しただけ……。


 思い余った輔子は許婚にすべてを打ち明けて寛大に許してもらい、「石炭ガラ」を忘れて嫁いだが、間もなく重い悪阻で急逝する。一方の冬子は重篤な病を得て仙台へ帰り、北村透谷の自死も知らされずにやはり早逝する。みんなの憧れの的の巨花がふたつともに無惨な萎れ方をしたので、お良は男の身勝手さを恨まずにいられない。


 情欲が人一倍強いのにあと始末ができない島崎藤村はもとより「恋愛は人世の秘鑰 ひやく なり」の美文で青少年を虜にした北村透谷だって、さらには最愛の妻と思われた若松賤子を亡くしたあとの女性遍歴が世間の顰蹙ひんしゅくを買い明治女学校の衰退を招く一因になった巌本善治にしても、男性どもの汚らわしさたるや、なんということだろうか。



      *



 潔癖なお良の嫌悪にいっそうの拍車をかけたのは、例の漂泊の旅とやらの途中で立ち寄ったという仙台で、何用あってか自分を訪ねて来た島崎藤村と広瀬川畔の宿で一夜を語り明かしたと告げる、布施淡からの長文の手紙だった。もともと人情の機微に疎かった淡ではあるが、なんだろう、こちらの気持ちを逆撫でするような……。


 気味がわるいのは「石炭ガラ」の謎の行動だった。さして親しくもない、というより他の生徒より距離があるはずのお良の友だちと承知しての訪問としか思えないが、いったいなんの目的で? 一見、インテリ然としたあの風貌の裏でなにを考えているのか。「石炭ガラ」も「石炭ガラ」だが、疑いもせずに歓迎した淡も淡ではないか。




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