第7話 宮城女学校から豊壽叔母を頼って上京する 🚃
なんとか母を説得したお良が宮城女学校に入学できたのは高等小学校の卒業から一年後のことだった。合衆国改革派教会本部が建築費から備品まで負担したことから「ノアの方舟」と呼ばれていた女学校は校長もアメリカ人で英語の授業に力を入れており、豊壽叔母と同じく英語が得意なお良は、授業で指名される瞬間を楽しんだ。
校長は英語以外に家事、音楽、体操を担当し、さらに放課後は希望者にオルガン、裁縫、編み物などを教え、ときには読書会も開くなど、日本女性の教育に熱心に当たっていたが、批判精神が旺盛なお良の向学心を満足させることはできなかった。科目はいいとしても基底になる教育の芯 、 哲学 or イデオロギーが少しも感じられない。
(せっかく入った学校だけど、ベクトルがなんかちがうような気がしてならないわ。流暢な英語が話せるようになるのはありがたいけど、ほかのことは旧来の女子教育と変わりがない。もっと斬新な、社会をリードする力を身につける授業を希求する)
俊才で知られた同級生の小平小雪が教育方針の是正について英語の要望書を提出したが、激怒した校長に新約聖書を読み直すように言われたと聞いてお良の不満はいっそう高まる。東京の明治女学校で発刊している『女学雑誌』の熱心な読者だった小雪は寄宿舎仲間の四人に決起を訴えて、同系列の押川方義を巻きこむ騒動に発展した。
アメリカ人と日本人教師の対立も表面化し、優等生五人に退学が申し渡されると、シンパのお良も授業料免除の申し出を振りきって退学届けを提出する。渋る母に明治女学校への進学を認めてもらって押川と島貫に挨拶に出向くと、実践的な英語が身につくし明治の自由過ぎる気風は危ないとフェリス女学院への進学を強く勧められた。
*
かくて横浜のフェリス女学院に学ぶべく下宿先の叔母・佐々木豊壽(艶)の家に向けて発つ朝、お良は狭い鳥籠から大空に放たれようとしている自分を感じていた。貧乏を極める家計を双肩に担っている母、狂乱の姉、隻脚の弟……なにひとつ明るい話題がないこの家を自分ひとりで立ち去ろうとしている。その罪悪感に解放感が勝る。
――そう、わたしは生まれてこの方、一刻も早くこの家を出たかったのだ。
駅頭のだれそれに向かって大声で告げたいような気持ちだった。考えてもみてよ、なにも好きこのんでこの大変革の時代の、それも没落の的を一手に引き受けたような武家に生まれたわけじゃないんだし、ただ一度の人生を家や家族のために浪費するのは理不尽の極みだよね。ならば、上の学校に進むぐらいのことは許されるでしょう。
(そういうおまえは、いまだに武家出自のプライドを捨てきれないくせにですって? そうよ、そのとおりよ、だけど、それの、なにがいけないの? 武家に生まれた事実は動かしがたいでしょう。与えられた条件をどう使おうとわたしの勝手でしょう)
かつての仙台で英語が堪能な女性はただひとりと言われた豊壽叔母は、父・雄記の勧めもあって、あの時代に単身で上京してフェリス女学院の前身であるミス・キダー経営の学校で英語をマスターし、英国帰りの中村正直塾で男女同権を学び、師の推薦で日本初の官立女学校・東京女学校の教壇に断髪で立った伝説のひとだった。
のちに同じく開明思想の持ち主だった妻子ある軍医・伊東本支と意気投合して相思相愛の仲になり、次々に四人の子を設けたが、世間の非難に抗しきれなかった本支は退官して町医者になった。先妻との離婚後に後妻におさまった豊壽は矢嶋楫子の率いる耶蘇教仲間による東京婦人矯風会に参加し、先進的な洋装で溌溂と活動していた。
*
身なりにもかまわず内職仕事に明け暮れてばかりの母親とは正反対の華やかな人生を歩んでいるアクティブな豊壽叔母を、お良は少女のころから憧れの目で見ていた。なにかにつけて叔母さま叔母さまと言うむすめに、母は一度だけ言ったことがある「そんなに叔母さまがいいなら、おまえいっそ叔母さまのむすめになったらどう?」
そのころは母に似合わない冗談だと思っただけだったが、少しものごとを考えるようになって、いや、あれはそうじゃない、意外と本気の部分もあったのではないかと思うようになっていた。故郷の姪の一途な憧憬を受けやすい妹への嫉妬というより、もっと切実な、ひとり分の食い扶持を減らせるならそれもいいというような……。
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