第6話 キリスト教の受洗&初恋のひと・布施淡 💚



 いっときは政治活動に関心をもったかに見えたお良のなかで日曜学校に通っていた仙台教会が再びクローズアップされ始めたのはいかなる心のプロセスだったろうか。武家の拠りどころを失った仙台藩士の救世主となったキリスト教への関わりは、儒者の祖父・雄記を筆頭に家族一同から大反対されたが、お良は自分の意志を押し通す。


 小学一年の子が人一倍の謹厳実直で知られる祖父の意見に逆らって教会へ通いつづけるとは尋常ならざる事態と思われるが、星家には早くから自由な空気が流れ始めていたのか、それとも、すぐれて聡いお良のことゆえ、国史始まって以来と言われる大変革期における大人たちのカオスを肌身で感じ、幼いなりの保身を図っていたのか。



      *



 お良が教会に初めて足を踏み入れたのは、初等科の帰り道だった。荘厳な雰囲気に惹きこまれて「子どもながらに法悦の境地に浸った」というから恐ろしいほど早熟だったことがうかがわれる。やがて大人の礼拝にも出席するようになると同教会の開設者・押川方義への傾倒を深めて、ますますキリスト教にのめりこんでいった。


 皮肉なことに星家で唯一の理解者は、家族から相手にされない父の喜四郎だった。維新後、王政復古を図る薩長政府は禁令五条に切支丹邪宗門を指定したが、喜四郎の生家の笹川定吉(お良の従兄)は「耶蘇の信教を貫いて二度も投獄されたが、切支丹の魔法で馬の草鞋に化け牢屋の窓から逃げた」とは祖母・定のひとつ話だった。


 そうこうするうちにも、お良はもうひとりのかけがえのない人物と出会うことになる。武家の出身で小学校教師になってから押川の門をくぐった神学生の島貫兵太夫がそのひとで、九歳年下のお良をじつの妹のように可愛がってくれ、下宿に呼び寄せてはいろいろな話をしてくれて「真実に徹せよ、偉い女になれよ」と励ましてくれた。


(押川方義先生と島貫兵太夫先生。このおふたりはわたしの生涯の師となるでしょうね。申し訳ないけど、じつの兄より学校の先生方より尊敬できて心から信頼できる。このおふたりに巡り会わせてくださったイエスさまに真心をもって感謝したいわ)


 生来の生一本に後押しされたお良は、日ならずして洗礼を受ける。しかも母と祖母を巻きこんでの熱の入れように、自分が勧めた自由民権運動への道を反故にされた兄の圭三郎は憤激して「もう家のことは知らないから、みんなで好きなようにするがいい」と放言してみせたが、そうもいかないのがまた癪の種でもあるようだった。


 ちなみに、仙台藩とキリスト教の絆は、初代藩主・伊達政宗の時代にさかのぼる。幕府の禁制に呼応して表向きはキリスト教を取り締まらざるを得なかった政宗だが、正室・愛姫も長女・五六八姫もゆるぎない信者だったし、兄である二代将軍・秀忠に改易された女婿・松平忠輝(徳川家康六男)も隠し孫の黄河幽清もシンパだった。



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 そんなお良にもひそかに胸をときめかせる異性ができた。高等科男子部の運動場で格好よくテニスのラケットを振っている長身痩躯の青年で図画の助教師・布施淡ふせあわし。伊達の支藩・元柳津領主の孫で中学在学中に耶蘇教に入信して祖父から勘当された貧乏教師という情報を得て自分に近いものを感じたお良は、ますます熱をあげていった。


(なんなのかしら、この気持ちは。あの方を見かけただけで胸がドキドキ高鳴るんだけど……いやだわ、頬までほてらせたりして、どうしちゃったのかしら、わたしは。もしかしたら恋? そんなわけないよね、このわたしが平凡な女子みたいなこと)


 かたや真剣にお良の将来を心配してくれている島貫兵太夫は、並みはずれて聡明なお良をどうしても女学校へ進ませてやりたかった。この優秀な女子を上の学校に行かせないことは近代国家の損失なりとまで思い詰めるようになって、神学校と兄妹学校のミッションスクールである宮城女学校に進むように言葉を尽くして勧めてくれた。


 スカラシップ(奨学金)を受け取れるようにするとも言ってくれたが、誇り高いお良は「わたしは西洋人の世話にはなりません」きっぱり撥ねつける。そう言われた島貫は怒りもせず「お良さんはアンビシャス・ガールだな」とかえってうれしがった。お良の本命は、意識高い系の先輩たちがいる東京の明治女学校だったのだが……。




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