第5話 八人兄弟姉妹の母・巳之治が背負う星家 🌓



 上から順に梅子、彦太夫、時二郎、蓮子、圭三郎、良、文四郎、喜久、四男四女、計八人の兄弟姉妹がいるのに、不甲斐ない夫・喜四郎に代わり星家の大黒柱になった巳之治が頼りにできるのは、真ん中の圭三郎と良のふたりしかいなかった。その峻厳な事実がこの不運なひとの最大の薄幸だったかも知れない。のちに良は思い至る。


 まず総領の長姉だが、若くして嫁いだものの早々に離婚し、その後は各地を転々としての身過ぎ世過ぎ、自分ひとり生きるのが精いっぱいで家のことどころではない。つぎなる長兄は東京の医学校に進んだが学業を成就できず自ら廃嫡を申し出る始末。次兄は若くして病死したので、必然的に家督は三男の圭三郎が背負うことになる。


 次姉の蓮子は妹のお良とちがって温和な性格で人に好かれやすく、東京で名のある医師の妻(不倫の果てではあったが)になっている豊壽とよじゅこと艶叔母(巳之治の妹)の活動の補佐をしていた。社会活動の母体である婦人矯風会の会長の息子と縁談が決まったが、挙式直前にとつぜん「心身不調につき」と艶叔母から送り返されて来た。


 家族はもとより蓮本人にも事の真相が明かされないままの破談だったが、矯風会の運営方針をめぐり次席の艶叔母が会長と揉めたことが原因だったと風のうわさに知る。当初は「東京へもどって事実を確かめたい」と言っていた蓮が塞いで自室に閉じこもり、やがて通行人に石を投げるようになったので、家族はその対応に追われた。


(すごいスピードで走るおねえちゃんを追いかけるのも、ほとほと疲れたわ。最初は近所に恥ずかしかったけど、もうそんなことを言っていられる場合ではなくなり、人さまに怪我などさせないように、おねえちゃんが水に飛びこまないように見張っているのが精いっぱい。破談の訳を明かしてくれなかった艶叔母がつくづくうらめしい)


 父親の喜四郎に似たのか末弟の文四郎もいたって穏やかな性格だったが、ある日、足の激痛を覚え、医師に急性骨髄炎と診断されて、ついに片足切断の手術を受けた。術後も失った足の痛みを訴える息子の病状を知らせようと家に取って返した巳之治を迎えたのは喜四郎の「そうか」のひと言だけ。のち、父と息子は相次いで没する。



      *



 三男に生まれながら没落家系を一身に背負うことになった圭三郎は、成績優秀者の当然の向学心を封じこめて、尋常小学校を卒業すると県庁の給仕として働いていた。その兄に母がどれほど遠慮しているか、兄が諦めた上の学校に妹だけ行かせるわけにいかないと、不甲斐ない母親である自身への責めを含めて堅く決意しているか……。


 年端がいかないとはいえ、お良も察していないわけではなかったが、とかく自分のこと一辺倒で、家族といえど他者の苦労は二の次になりがちな年ごろの狭量さで、高等科に進ませてくれない母親がひたすら恨めしく、よりにもよってこんな貧乏な家庭を選んで生まれて来た自分自身まで疎ましく、捨て鉢な気分にかたむきがちだった。



      *



 成りゆき任せで裁縫学校に通い出したが、自身の現況からむすめの手には職をと切望する母にせっつかれて針仕事の修業をしていても心ここにあらずは当然のこと。通学路ですれちがう高等科の生徒たちの、ピラミッド型のインク壜を収める毛糸の袋が高嶺の花に見えてならず、プライドが高いお良の心は、いよいよ屈折を深めていく。


(なによ、あんたたちなんか、ろくに教科書も理解できなかったくせに。平凡な頭脳の人たちがきれいな格好をして高等科へ行けるのに、図抜けて優秀なこのわたしがなにゆえにお針子の真似なんかしなきゃなんないのよ。こんな不条理、許されるの?)


 そして、ついに母が折れる。むすめの苦悶を見かね三兄・圭三郎を説得してくれたおかげで、お良は一年遅れで念願の高等科・東二番丁小学校に進んだ。持ち前の冴えでたちまち頭角をあらわし飛び級で同学年に編入。若くして苦労人の圭三郎も流行りの自由民権運動の本を貸してくれて「お良、偉い女になれよ」と励ましてくれた。




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