第3話 ひとつとや人よりきれいなお良さん 📖



 自ら望んで生まれて来たのではないといえど、ひとたびこの世に生を享けたからには、なにがなんでも死ぬまで生き通さねばならないのが神ならぬ人間の宿命である。怒涛に渦巻く社会の混沌をよそに貧乏ながら大過なく歳を重ね、数えで八歳になったお良は一八七二(明治五)年発布の学制にしたがって片平丁尋常小学校に入学する。


 星家や新興遊郭とは広瀬川対岸の下流に位置し、「伊達騒動」のとき家老職にあって幕府審問の席でライバルの安芸宗重を斬り捨て自身も斬殺された原田甲斐の屋敷跡に隣接しており、さらには裁判所と監獄の狭間にも当たる、いわば時代の変転の縮図といえそうな場所にあるのが旧藩士の子女を主な対象にするその尋常小学校だった。


 有名な伊達安芸家の広大なお屋敷は見るも無惨に荒れ果てて、その向こうに聳える青葉城跡も草の生い茂るに任せている現状を、生まれついて利発にして多感な少女はなにかにつけ大きな双眸を潤ませがちに、といってそれだけではなく、歴史の大きな変革の時期にいる自分をおもしろく観察しつつ、ぐんぐん読み書きを吸収してゆく。


(学校なんて大したことないよね。おじいさまの儒学の本を見なれたわたしには、読み書きそろばんなど、簡単すぎておかしいくらいだわ)お良は不遜にも思っていた。


 担任の秋保あきう先生はひと目で武士の出自と知れる骨ばった長身痩躯で、紬の紋付きに縞の袴で教壇に立ち、大半が侍の末裔の子どもたちに若い情熱を注ぎこんだが、その授業は偏向していた。要領を得ない子から順番に当てていき、さいごはいつも秀才のお良で「どうですみなさん、星さんは出来ましたよ」得意げに締めくくるのだった。


 ――ひとつとや 人よりきれいなお良さん

       秋保の惚れたも 無理がない 無理がない


 やっかみ半分の戯れ歌が耳に届いてもお良は平然としていた。だって、本当のことなんだもの、成績抜群も器量よしも……胸に思っていることが様子にあらわれやすい損な性質で、それがまた生意気だというので鼻たれ小僧どもや気位の高い令嬢たちに邪険にされると、平気で「論語に曰く女子と小人とは養いがたし」と言ってのけた。


 もっとも当時は、旧幕時代からの戯れ歌で新政府への不満を晴らそうとする風潮が敷衍ふえんしていたので、とりたててお良だけが現代ならSNSに相当しそうなバッシングに遭遇したわけではない。作文の得意な同級生の何某による「西郷隆盛 枕はいらぬ いらぬはずだよ 首がない」の片平丁尋常小学校 version に過ぎなかったろう。



      *



 傍目にも見苦しいほど贔屓されたからといって、その教師の期待に応えて模範的な優等生に治まろうとはまったく思わないのがお良のお良たるゆえんだった。身体は小柄でも心が図抜けて早熟な少女は、煽情的な色街の音や空気の誘惑に抗せず、内職に忙しい母親に見つからないよう古めかしいお高祖頭巾で顔を隠し夜遊びに出かけた。


 遊郭に通う男たちや出迎えの女たちの雑踏にまぎれて思案橋を渡ると、露天の大道芸人の艶笑劇を見物したり「さあさあ、寄ってらっしゃい、見てらっしゃい、かわいそうなはこの子でござい」の口上に釣られて見世物小屋の板壁の隙き間を覗いたり。さすがに足を踏み止ませる三階建ての大店では神棚の燈明が妖しく揺らめいていた。


(大人の世界っておもしろいわ。家では四角四面のおじいさまも、自分というものを持たないおとうさまも、一歩外へ出れば白粉の匂いに吸い寄せられたりするのかな)


 そんな夜遊びをぴたりと止めさせたのは、ある夜の衝撃的な出来事だった。とつぜん学校へ来なくなった同級生がいたが、どうやら元武士の生家が困窮して遊郭に売られたらしいといううわさを耳にする。持ち前の義侠心発露の機会とばかりに単身訪ねて行ったお良は「お願い、先生に言わないで」なみだながらに哀願されたのだった。




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