第1章 旧仙台藩士のむすめに生まれて

第2話 大玄関のお駕籠と祖父・星雄記の武勇伝 🦅



「おとうさま、もっと押して~、もっともっとよ~。お空まで高くのぼりたいの~」

 庭の杉の木に架けられたブランコを漕ぎながら、りょうは色白の頬をほてらせている。請われるままに、小柄だが敏捷な三女の背中を押してやっているのは父親の喜四郎。有能な儒者で知られる舅のかげに隠れて、家族間にも存在感がうすい婿養子である。


 子どもは残酷なものだから大人の社会の空気を小さな心身で感受し、祖父・雄記と祖母・定の支配下にある家庭の順位として、温厚な父親を最下位に位置づけている。大番士三千六百家(幕府なら旗本の待遇)を誇る星家にも引けを取らない元仙台藩士の多田家から婿養子に入った喜四郎も、歯がゆくも、それをあっさり甘受していた。


 若くして世捨て人めいた風貌は、練れているとか達観しているとか、諦念に達しているとも言われたが、それは無責任なうわさで、家族にすれば堪ったものではない。とりわけ家付きむすめの巳之治みのじは、子どもだけ産ませておいてあとの家事は丸投げの夫の不甲斐なさが情けなくて、やり手の両親に申し訳なくていつも苛立っていた。



      *



 目立つ聡明を抑えよと言われたのちの相馬黒光こと星良は、一八七五(明治八)年九月十一日、仙台市定禅寺櫓丁通本材木町西裏末無に四男四女の三女に生まれた。『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの秀作群を書き上げて二十四歳で早逝した樋口一葉より三年後輩といえば、そのころの時代背景が、より鮮明になるだろうか。


 丁は侍町、町は足軽や町人町を示すとおり、広瀬川の畔のそのあたりは幕藩時代は由緒正しい武家屋敷が質実にして豪壮な軒を連ねていたが、会津に味方した戊辰戦争で官軍に敗れると、どっとばかりに乱入して来た薩長侍相手の遊郭がたちまち出来て真昼間から三味や小唄、俗謡が聴こえ、嬌声や艶話の坩堝と化す一画になっていく。


 生来の気質なのか後天的に身に着けた処世術なのか、何事においてものんしゃらんと無関心を押し通そうとする父親はともかく、維新後も厳格な武士のむすめの規範を守ろうと懸命な母親は、そんな今様の風潮をけがらわしいと言って毛ぎらいしたが、いくら足止めしようとしても、成長期の子どもたちの好奇心は外に流れやすかった。


 分けても早熟な良を丈高い老杉が鳴り騒ぐ屋敷に留めおくことは至難の業だったが、とはいっても子どものことゆえ、ぶらんこにも乗るし、他愛ないかくれんぼもする。八人兄弟姉妹のかくれんぼの一番人気は、新時代には朽ち果てる一方の当家にも輝かしい歴史があったことの証しとして大玄関に置かれたままの一丁の駕籠だった。


 ――よいか、おまえたち、よく覚えておおき。おじいさまはそれはご立派な業績を積まれたのじゃぞよ。あるとき、となりの南部藩の一揆勢が江戸のご公儀(幕府)に直訴するため伊達さまのご領内を通過しかけたとき、おじいさまがあのお駕籠で国境まで出張り、心得違いを諄々と説かれたので、南部藩はことなきを得たのじゃよ。


 わが夫を天下一として疑わない祖母は、ぴんと背筋を伸ばして孫たちに説明する。祖母がもっと誇らしく思っているのはむしろ後日談であることも子どもたちは耳ダコで承知していた。すなわち「のち南部藩のお歴々が名産の南部鉄瓶を手土産にお礼に見えたのじゃが、清廉なおじいさまは一物も受け取られなかった」そのことである。



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 厳格で誠実な気質を見こまれ、旧藩時代には要職を歴任した雄記だったが、維新後の新体制からお呼びがかかることはなく、先祖代々の遺産を食いつぶすしか生きる方途がない没落武士の典型となり果てた。その明白に過ぎる事実さえ、祖母からすれば世間の見る目がないのだということになり「世が世であれば」の繰り言につながる。


 日本の武士階層にとっても仙台藩にとっても星家にとっても、いい時代を知らずに生まれて来た良たち世代は、ある意味、幸いだったかもしれない。もっとも憂き目を見たのは父母の世代で、没落する一方の家運を一手に負うことになる母親はもちろん無能呼ばわりに堪えた父もまた時代の犠牲者だったと、良はのちに知ることになる。


 やたらにお転婆だった当時は、成長期の体力の使い道に困ると、旧藩時代のまま広いだけは広い庭に裸足で走り出て折れやすいと注意されている柿の木にのぼり、熟した実をもいでむしゃむしゃと頬張ったり「投げて投げて」とせがむ弟妹たちにペッと種を吐き出したり、母がいやがる町人の子どもと変わりがないやんちゃぶりだった。


 ちなみに、伊達騒動で知られる伊達安芸家の二万三千石を筆頭に二千または千石クラスの武家屋敷がならぶ一画でわずか七十二石の星家が六百坪の敷地を所有できたのは、けつ屋敷(四方を他家の尻に囲まれている)と呼ばれる地籍のためで、名より実の家風が、心ならずも末代の位置づけに甘んじた雄記まで受け継がれていたのだろう。




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