第8話 己の中にあるもの
夜の森は危険なことこの上ない。その中に何かがいなくても、先の見えない暗い世界に進んだら転ぶだけである。それでもアヴェリーには目的があるのだろう。
何か目的があるわけじゃないなら、わざわざ根源的な恐怖を引き起こせる真っ暗な森に入るなんてしないはずなんだから。
彼女はしばらく行くと外延部に留まり、屈んで枝を拾い集める。それで何をするつもりなのかはさておき、私は森の中から何かが飛び出て来るのではないかと、目を光らせて闇の中が見通せないアヴェリーの代わりに注意深く森の内側を見つめた。
今の私はアヴェリーの肩の上に載っている。水でしっかりと自分を固定しているので、アヴェリーが姿勢を急に変えたり早く動いたりしてもここから落ちることはない。
何分そうしていたか、急激に予感めいたものが働いた。何か来る。それが襲来してくる方角へと向かい、私はウォーターカッターを放つ。しかし速度が足りなかったんだろうか、その鳥はそれをあっさりとかわし、スピードを下げることなく真っすぐ向かってきた。
あれはフクロウだ。しかしその大きさは普通のフクロウとは思えないほど巨大だ。鑑定してみる。
名前 なし
性別 オス
種族 フクロウ(魔物)
レベル 13
HP 248/248
MP 213/213
力 183
敏捷 366
耐久 157
魔力 213
スキル
風魔法 気流感知 暗視
称号
森の捕食者
加護
ジェフィーラの恩恵
説明
寿命以上に長く生きたフクロウは魔物に変じることがある。その個体が同じく変じた魔物とつがいを作ると魔物が生まれるようになる。そうやって生まれた個体の一匹。
羽を最大まで広げた時の大きさは3メートルにも及ぶ。危険な風魔法を使い、空を飛べることから推奨討伐難易度はC。夜の森に子供が入って、狼の遠吠えが聞こえなかった場合は大体これに食べられると見ていい。
ジェフィーラとか推奨討伐難易度と言う用語が気になるところだが、それは後で確認してもいい、今はこいつを殺さないとアヴェリーが危ない。私だけなら、多分捕まったところで毒で何とか出来る。しかしアヴェリーは違う。
気流感知なんて持っているんだから、生半可な投射体はかわしてしまうはず。幸い私はこいつよりずっと小さくても、水流感知を持っているあのアンチョビもどきをたくさん倒した経験がある。だからと油断はしないが。
先ずは奴の顔面にウォーターボールを浮かばせて貼り付けることを試す。これで決められたらいいが、出来なかった場合も考えて四方八方からウォーターバレット作って発射する準備をする。
奴との距離が急激に狭まる中、アヴェリーの視線が奴に向かう。同時に私のウォーターボールが奴の頭を覆いつくす。しかしそれは一瞬のことだった。奴は周りに風を
引き起こしてウォーターボールを霧散させた。
そう簡単にはいかないか。体内で水を作るなんて芸当が出来たら簡単に倒せると思うが、一応魔力を使うには目に見える範囲という条件が付くため、今は難しい。どこかに透視のついた魔物が転がったりはしないんだろうか。
私は慌てることなく、待機させておいたウォーターバレットを発射した。殺傷力のある速度にまで加速したウォーターバレットは、あっさりと命中し、奴の胴体を十回以上貫いた。秒速1kmを超える弾丸を避けられるわけがない。気流感知にも限度があるのだ。ただ秒速100メートルのウォーターカッターは避けられても、それの十倍は無理だったようである。
秒速1kmは銃弾はライフルで発射されるのと変わらない。質量も鉛弾と大差ない。液体ではあるが、魔力で固められた水はぶつかったところで霧散されないので、慣性は保存されたまま硬い物体にぶつかっても飛び散ることなく進められる。
奴が同じく風の弾丸などを使って先制攻撃をしてきたらこちらがやられていたところだ。果たして物理法則を用いた攻撃を魔物が使えるかは疑問ではあるのだが。
奴が飛んでくるスピードが軽減されてはないので、奴の死骸はこのままこちらに向かってくる。このままだとアヴェリーとぶつかって大惨事になるだろう。私はそれを防ぐため、すぐに水で壁を作った。奴の死骸がそれにぶつかって地面に落ちる。アヴェリーは何事かと音を立てて落ちたフクロウの魔物の死骸を見る。
これで食糧を確保、棚から牡丹餅。
しばらくフクロウの魔物の死骸を観察していたアヴェリーは、完全にそれが死んでいることを確認したんだろう、それを担ごうとして転びそうになる。仕方がない。私は水でその死骸を包んで浮かせた。MPが少しずつ消費されるが、なぜか私のMPは減っても少し経ったら回復するので、問題ない。
というか、この世界ではMPは減ったら数十秒で全快するのではないのだろうか。そんなとんでもない勘違いをしている間に、アヴェリーは私の背中を指で撫でた。何か言っているが、意味はわからない。
アヴェリーと一緒に砂浜へと戻ると、アヴェリーが腰にぶら下げている小さい皮の袋から小さい石英を二つ取り出した。アヴェリーはそれを拾い集めた枝の上でぶつけさせた。火花が渇いた枝の上へと移り、それを燃え始める。火打石を持ち歩いているのか。
アヴェリーは半魚人の槍でフクロウの魔物の肉を切って、槍に刺してからそれを焼き始めた。焼いている肉からは美味しいにおいがするのだろう、今の私はわからないが。アヴェリーは焼きあがったであろう肉を刺した槍を海の方へと持って行って、それを海に付けてからまた戻って、水分がなくなるまで焼いてから食べ始めた。
塩を付けたのはいい考えだと思った。アヴェリーは肩の上に載っている私にも肉をくれて、私は遠慮なく食べた。食べ終わったアヴェリーは槍で素振りをしたり、アクロバティックな動きをしてみたりと、体力を散々使ってから疲れたのかそのまま薪の隣で眠りについた。
私はというと、彼女が眠りについてからフクロウの魔物の死骸の、アヴェリーでは食べられない部位を食べ始めた。羽根は残す。何となく使いそうだったので。骨と内蔵、頭を丸々と食べる。当然のように味は全くしない。
食べ終わるとレベルがたくさん上がって、風魔法と気流感知を習得出来た。進化も可能。スキル覧に精神魔法がある進化先を確認してみると一つだけあった。
精神魔法が欲しい理由は簡単だ。私は悪人として前世を生きた。今度は魔物以外の生物なら、自分から傷つけずに相手を操作してどうにかしたい。そうするためには物理的な手段で無力化させるより、より少ない被害で済むはずだ。例えば自分に危害を加えようとしている人を殺害する代わりにすべてを忘却させてしまえば、その人はすぐに赤子のようになるはず。
残虐な人間が一瞬で赤子となる。これはとても愉快なことではないだろうか。そのためだけに精神魔法を習得したいわけではないが。
人の残虐さと言うのは、実は状況によるものに過ぎない。どこまでも善良な人間でも、極限状態では残虐なことを行うことを躊躇わないだろう。逆もまた然り。
前世の私は人の痛みがわからなかった。人の感情がわからなかった。だから連続殺人犯にもなれたはずだ。だがそうはなってない。
その理由は至極単純なものだ。そこまでして得られるものがなかったから。得られる物がなければ人は行動には移せない。欲が生まれた時、その欲をぶつける対象を簡単に手に入れるとしたら、犯罪に走るなんてただリスクを増やして、捕まったら欲が生まれてもどうしようもない刑務所の中から出られなくなる。
個人の善悪なんて、社会の仕組みの前ではあまり意味をなさない。この事実を私は身をもって体験している。だから、人や人のような知的生物を殺すのはあまりしたくない。魔物は、そういう知的存在を食べるように設計されているため、殺さないわけにはいかない。
それで見つけた進化先が幻惑蝶。説明欄を読んでみる。
幻惑蝶
説明
人を惑わす小さな魔物。羽を広げた大きさは13センチほど。魔力が少ないため、軽い幻惑を起こすだけに留まるが、その幻惑は至福のひと時を与えてくれるとされている。ただ彼らは群れを作るため、捕まることは先ずない。永遠に終わらない幻惑へといざなわれ、眠りにつくまで幻惑を見続ける。眠りから覚めた時、被害者は森のど真ん中にいて、そのまま帰らぬ人となるだろう。
自分から人を攻撃することはないため、討伐対象になることはない。冒険者ギルドでは発見したら避けることを進められている。
続いて精神魔法を鑑定してみる。
精神魔法
説明
精神を操る魔法。魔力の消費が激しく、一部の魔物しか使わない希少な魔法。その希少さ上に耐性を身に着けにくく、一般的には精神魔法が存在する事実自体を知らされていない。
存在しない記憶を植え付けたり、逆に忘却させられたり、幻惑を見せたり、特定の感情を呼び起こせることも可能。ただ何をするにしても消費する魔力は極端に高い。費用対効果が少ないこともあって、すべての魔法が扱える、数少ない古代種のエルフでさえ滅多に使うことがない。
精神魔法の魔力消費が激しいというのは、予想外のことだった。ただまあ、何とかなるだろう、私は幻惑蝶で進化を終えるつもり何てない。これからも進化し続けていたら、魔力も突き抜けて高くなるのではないだろうか。
ただ今は待つ時だ。とても短かった海洋生物の時代がこれで終わり、陸上生物となる時。しかし今から幻惑蝶に進化したらきっとアヴェリーは混乱するだろう。別に彼女のために自分の全てを捧げたいなどという事は考えていないが、そもそも彼女を助けようとしたのは私が自分の意志で決めたことである。
心から動いたというわけではなく、そうした結果自分がどう変わるかが知りたかったから。実際に変わったのかどうか、今はまだよくわからない。ただ始めたことを諦めるわけにはいかない。
だから進化はアヴェリーが起きたら、彼女の前で、彼女が見ている間にすることにしよう。そう思いながら、私は砂浜の上に水たまりを作り、その中で眠りについた。
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