母につらく当たった祖母に、私は似ているそうだ

uribou

第1話

 昔からだ。

 私は母が怖かった。

 いつも何を考えているかわからない澄まし顔で、笑ったところなんか見たことがない。


 私に対してやるべきことはやってくれていた。

 不自由したことはなかった。

 ただ一つ、愛情以外は。


 母クローディアはイングラム伯爵家に嫁いできた当時、祖母に大変つらく当たられたそうだ。

 それこそ毎日のように使用人の前で叱られたとか。

 次期伯爵夫人たる立場なのにそんな扱いではたまらないだろうなあと、想像はできる。


 祖母については、私が物心付く前に亡くなってしまったので記憶はない。

 兄によれば優しい方だったそうだが。

 母だけに厳しく当たっていたのか。

 嫁姑問題ってどこにでもあるんだなあ。


 問題は私が祖母に似ていることだ。

 もちろん私は知らないのだけれど、これは父からも親戚からも言われる。

 そして母からも。


『義母はわたくしには大変厳しかったです。本当に何度殺してやろうかと』


 これに類することを複数回聞いたことがある。

 淡々と言うのは怖い。

 それでも祖母のことを話す時だけは若干感情がこもるのが、わたしにもわかった。

 恐ろしくて指摘することなんかできなかったけれども。


 母は私に厳しい。

 特にマナーの類は、幼い頃からビシビシ躾けられた。

 おかげで王立学院に通うようになってから淑女扱いされているのは嬉しいことだが。


 母は私のことをどう思っているのだろう?

 愛情は感じない。

 が、特に憎まれているようにも思えないのだ。

 無関心というのも違う。

 不自然というのが近いだろうか?

 

 私が母に持つ感情?

 とにかくよくわからなくて怖い。

 その怖いの中に、自分でもわからない微量成分が含まれていると気付いたのは後のことだった。


          ◇


 ――――――――――王立学院にて。


「やあ、パトリシア」

「ファルシオン様」


 私の婚約者ファルシオン様だ。

 溌剌とした気持ちのいい方で、しかも我が家より格上のアランダイル侯爵家の跡取り。

 三ヶ月ほど前に婚約が成立した時には、ウソかと思ったくらいのいい話だった。


「今から帰りかい? 今日も可愛いね」

「まあ、ファルシオン様ったら」

「今日はより一層可愛いね。どこか影があるように見えて、それがより美しさを際立たせる」

「……そう御覧になられますか?」


 貴族の娘として、表情から相手に内心を悟られるようでは失格だ。

 でもファルシオン様はとても鋭いのだ。


「心配事があるならオレに話してみなよ」

「実はお母様のことで」

「クローディア夫人の?」

「ファルシオン様はお母様のことどう思います? 率直なところをお伺いしたく」


 ファルシオン様には隠し事は通用しない。

 心配させてしまうくらいなら、最初から打ち明けた方がいい。

 婚約者として私が学んだことの一つだ。

 首をかしげながらファルシオン様が言う。


「……一見隙のない御夫人だと思う」

「一見、ですか」


 私から見れば隙がないというより、取り付く島さえないように感じる。

 ファルシオン様の目には私と違ったものが見えているのだろうか?


「ああいう方の娘だから、パトリシアはどこに出しても恥ずかしくない淑女なんだろうなあと思う」

「恐れ入ります」

「パトリシアが何を気に病んでいるのかがわからないな」

「それは……」


 学院の卒業が近い。

 卒業すればファルシオン様と結婚の運びだ。

 ファルシオン様と私の婚約は母の尽力で成ったと聞いている。

 あの何を考えているかわからない母が何故?


「……私は母に愛されているという実感がないのです」

「ふむ?」

「必要なことはしてもらっていますし、教えてもらってもいます。でも、ただそれだけという感じが拭えないのです」


 私は母の嫌う祖母に似ているという。

 だから私は母に愛されないのではなかろうか?

 私は母が怖いだけじゃなくて、母を理解したいんだと自覚した。


 こんなことを言ってもファルシオン様は苦笑するだけかもしれない。

 全て私の勘違いで、母娘の関係とはこういうものなのかもしれない。

 誰にも言ったことのない、わだかまる思いをファルシオン様に話した。

 少し気分が軽くなった。


「パトリシアが祖母に似ている、か」

「すみません、愚痴を吐き出してしまいまして。はしたない」

「いや、パトリシアはいい子過ぎるからな。言いたくないことだったろうに、話してくれて嬉しいぞ。オレが信頼されている証拠だからな」


 思わず顔が赤くなる。

 ファルシオン様は優しい。

 ならばどうして私を愛してくれない母は、いい縁談を成立させてくれたのだろうか?

 魂胆がわからない。


「オレはクローディア夫人とそう何度も会ったことがあるわけじゃないから、パトリシア以上のことはわからないな。うちの母とクローディア夫人が学院時代からの友人ということは知っているんだろう?」

「もちろんです」


 侯爵夫人に私のことを悪く吹き込んで、嫁虐めをさせようとしている?

 あり得ない。

 侯爵夫人が私のことを悪く思っているのだったら、そもそもファルシオン様と婚約なんてなかったから。

 じゃあどういうことだろう?

 不安が胸に渦巻く。


「クローディア夫人に直接聞くことを勧める」

「お母様に?」

「何ならオレが同席してもいい」


 ファルシオン様は頼りになるな。

 でも私と一対一でなければ、母から本音が漏れてこないだろう。


「……いえ、私一人で」

「そうかい? どこかに誤解があるんだと思うよ。うちの母はクローディア夫人のことを愉快な人だと言うんだ」

「えっ?」


 愉快?

 あの母のどこが愉快なのだろう?

 学生時代は今とは性格が違ったのだろうか?


「特に嫁姑漫才は最高だったと。姑って要するにパトリシアのお婆さんのことなんだろう?」

「そうですね」


 嫁姑漫才?

 母は祖母を嫌っていたのではなかったのか?

 殺してやりたいって言ってたくらいなのだが。


 ファルシオン様がニッコリする。


「混乱した思いをそのまま夫人にぶつけてごらん」


          ◇


 ――――――――――イングラム伯爵邸にて。


「お母様、お話があります」


 言った、言ってしまった。

 いつになく覚悟を決めた表情だったからか、重要な話だとわかってもらえたようだ。


「伺いましょう。居間でいいかしら?」

「はい」


 一旦出て行ったかと思えば、母は扇を手にして戻ってきた。

 面と向かって話す機会とあれば、娘の私が相手であろうとも扇で口元を隠す。

 母はそういう人だから、特に疑問にも思わなかった。


「何でしょうか?」


 母が特に何の感情も見られないような目を私に向ける。

 どう話したものだろう?


「……学院を卒業すれば私はファルシオン様の元へ嫁ぎます」

「あなたも一人の妻として、ファルシオン様の恥となってはいけませんよ」

「はい、心得ております」


 相変わらず何を考えているかわからない母だ。


「お母様とファルシオン様の母、エミリア侯爵夫人とは学院で同級でいらしたのでしょう?」

「そうですね。学院時代が懐かしいです」


 やや目元が緩んでいる。


「侯爵夫人はお母様のことを愉快な人だと仰ってるそうなのです」

「エミリアも余計なことを言いますね」

「ちょっと私もどういうことなのかわからなくて、お母様に話を伺おうと思ったのです。将来義母となる方と認識の違いがあるようですので」


 こういう理由のある聞き方ならば、母は答えてくれるだろう。

 いかに?


「パトリシアはわたくしのことをどう思っているのです?」

「教育に厳しく、所作においては淑女としてほぼ完璧だと思っております」

「そのようなことはないのです。あなたに隠していただけです」

「隠す、ですか?」

「わたくしの正体を隠していたということです。あなたの認識からすると完璧だったようですね」

「はあ……」


 困惑。

 母が何を言いたいのかサッパリわからない。


「あなたも婚約しましたからね。わたくしもそろそろ普通の女の子に戻りたいのです」

「女の子? ごめんなさい。わからないです」

「パトリシアはこのようなわたくしを知らないでしょう?」

「えっ? あっ!」


 すうっと下げられた母の扇の向こう側には付けヒゲの顔が。

 えっ? どういうこと?


「やりますね、わたくしのこのヒゲ面を見て笑わないとは。淑女教育の賜物でしょうか」

「ええと、どういうことでしょう?」

「わたくしはお笑い体質なのです」

「お母様の笑い顔など、私はついぞ記憶にないのですが」

「当然です。わたくしは笑わせる側ですから」


 理解が追いつかない。

 あっ、真ん丸伊達眼鏡と赤っ鼻を追加した。


「……私はお母様に笑わせられた覚えがないのですけれども」

「パトリシアには淑女教育が必要でしたから。お笑い根性が身に付いてしまうと、矯正が大変なのです。本当に大変なのです」

「……大事なことだから二度言ったのですか?」

「その通りです。ですからあなたの前では一切お笑いについては話さないようにしていました」


 どうやら本当のことのようだ。

 今までの母はお笑い体質を隠していたから、何を考えているかわからない不自然さだったということ?


「お兄様はお母様のお笑い体質を知っているのですか?」

「どうでしょう? 教育が必要なのはザカリーも一緒でしたから、あえて見せたことはありません。でもまだお義母様が生きていらしたから」


 来た。

 お母様の本音が知りたい。


「お母様はお婆様を恨んでいらしたのですか?」

「えっ? そんなことはありませんよ。わたくしがイングラム伯爵家に嫁いできたのは、お笑い好きのお義母様のお誘いがあったからですし」


 何と、お婆様もお笑い好き?


「お母様がイングラム家に入った時、お婆様に大変つらく当たられたと聞きました」

「仕方ないのです。わたくしのマナーは甘かったですから、お義母様にはやかましく教えられました。基本ができていないと崩しの笑いの魅力が半減しますよ、と」

「……」

「だからあなたには最初から淑女教育を叩き込もうと思ったのです」


 なるほど?

 理にかなってる気もする。

 私は確かに学院ではマナーで注意されたことはない。


「……お母様は、お婆様を何度殺してやろうかと思ってた、みたいなことを仰っていましたが」

「わたくしとお義母様は嫁姑漫才の掛け合いをよくしていたのです。例えば『あらクローディアさんったら、何事も手配が遅いんですから』『御心配なさらず、お義母様の棺桶は既に発注してありますので』みたいな」


 ひどい。

 懐かしむような表情を見せる母。


「だからお義母様が亡くなってしまってからも、つい憎まれ口を叩きたくなってしまうのですよ。パトリシアはお義母様に似ていますからね」


 そこで私が祖母に似ていることが関係してくるのか。


「……お母様は私を愛してくださっていないのかと思っていたんです。私がお婆様に似ているから」

「ごめんなさいね。あなたがそんなことを考えているとは、思いもしなかったわ。母親失格ね」

「失格だなんて……」

「あら、ではギリギリセーフかしら?」


 今日の母は少しおかしい。

 もとい、大分おかしい。


「お母様が私にぎこちなく接するのも、教育の一環だからでしたのね?」

「ええ。我流のクセが付いてからマナーを学び直すのが大変、というのは身をもって知っていますから。わたくしが素で接するとどうしてもお笑い精神が発露してしまうので……眼鏡外すわね」


 目をウルウルさせながら鼻ちょうちんを膨らませるという芸を見せられているので、話す内容が頭に入ってこない。


「それにしてもぎこちない、と感じられていましたか。わたくしもまだまだですね」

「お母様は私を愛していらっしゃらないのではないのですね?」

「もちろんですとも。お笑いと同程度には愛していますとも」


 何その比較対象。

 そして鼻ちょうちんが付けヒゲに移動している。


「わたくしの愛を疑われてしまうとは……。パトリシアの育て方を少し間違ってしまったのかもしれません。ごめんなさいね」

「お母様……」

「お笑い回路の方がまったく未熟です」

「愛はどこ行った!」


 ついツッコんでしまった。

 母が淑女の仮面を脱ぎ捨ててニッコリしている。

 こんな満面の笑顔を見たのは初めてだ。


「やはりパトリシアにもお笑い精神が受け継がれていたのね。お義母様と同じ、ツッコミに才能があるようです」

「お母様、そろそろ鼻ちょうちんがしつこいです」

「あらあら、才能は争えないわね」


 心の中の淀んだ部分が全て浄化された気がする。

 ファルシオン様の言うことに従ってよかった。


「お母様と腹を割って話し合うことができてよかったです」

「わたくしもよかったわ。もうあなたの前で自分を取り繕うことは卒業です」

「長年気になっていたことが解消されました。スッキリしています」

「きっとパトリシアのお笑い精神が軛から逃れたせいね」

「ちがわい」


 淑女らしくない大笑い。

 ああ、幸せだ。

 私にもお笑い回路が備わっているからだろう。


「近い将来お嫁に行くパトリシアに一つ、言っておかなければならないことがあるわ」

「何でしょう?」

「世の中、夫婦漫才というものもあるのよ?」


 ファルシオン様はボケだろうか?

 ツッコミだろうか?

 鋭いところがあるから、ツッコミ属性のような気がする。


 そうだ、ファルシオン様にも心配をかけてしまっていた。

 母のことは報告しないと。

 昨日よりも一歩踏み出せた自分が誇らしい。

 これも母に直接聞くことを勧めてくれたファルシオン様のおかげだ。


「ファルシオン様はいい夫になると思うわよ?」

「私もそう思います」


 今頃ファルシオン様はクシャミしているかしら?

 などと考えるのは、私のお笑い回路が発達してきたせいだろうか?

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