第9話 元ホスト吉崎の懺悔話 鎖をかけ地雷を踏む

 私はふと吉崎に同情心を感じた。

 確かに吉崎は橋野おじさんの娘、るみ子を騙して風俗に追いやった悪質ホストであることにはかわりはないのだが、吉崎一人が悪者ではなかったことがわかりかけてきた。

 吉崎が先輩から教わったのは、女性客の心に鎖をかけることだった。

 先輩曰く

「ホストは会話が勝負、沈黙は邪魔なだけだ。

 まあ、昼間の世界では、無口な人でも通用するが、そういった人はセールスのような接客業ではなく、機械相手の製造業につけばいい。

 一般の会話でも返す言葉が無い、返答の仕様がないからつい口をつぐんでしまうケースはよくあることだ。それを沈黙と受け取るか、単なる自分を突き放した無視として判断するかは、相手の自由意志だな。

 しかし、目に見える商品ではなく、女性客の心を扱うという究極の接客業であるホストの世界では、沈黙はマイナスでしかないんだ。

 たとえ女性客から「あなた、気に食わない。向うへ行って」と言われても、沈黙するのではなく、つくり笑顔で

「まあまあまあ、そんな冷たいこと言っちゃっていいのかなあ? あっ僕がイケメンすぎてそう言われちゃうんですね」とトンチンカンな会話でもいいから、ここはひとまず笑いを取ることが必要だよ。

 それによって、相手の心になんらかの関係性のテープをつなぐんだ」

 吉崎は感心した言った。

「なるほど、たとえ的外れのトンチンカンな会話でも相手を笑わせることによって、関係性が生まれますね。それをテープのようにつないでいくことによって、相手とのきずなが生まれ、それが相手を縛り付け、身動きさせない鎖へと発展していくわけですね」

 先輩は答えた。

「水商売というのは、まず敵をつくってはならないし、客と対等の立場になってはならない。いつも一歩ひいて、半歩下の立場から、いつもお世話になりますという感謝の気持ちがなければならない。

 悲しく辛い事実だが、水商売というのはたとえトラブルがあり、こちらが被害者であったとしても、なぜか疑いの目を向けられる。

 また対等な立場でケンカしても、半分以上は勝ち目がない。

 だから、金持ちケンカせずじゃないが、こちらが一歩ひいて相手と同じ土俵に立たないことが、身を守る処世術なんだ」

 吉崎の納得顔を見て、先輩は話を続けた。

「いつも仲良くさせて頂いてますじゃなく、あくまで女性客をお世話させて頂いてますという下手のスタンスが必要だな。

 客は異性ではなく、金をとる客でしかない。距離感を取らないと飽きられてしまって、次回は来店してくれなくなるよ」

 吉崎は思わず僕なりの意見を展開した。

「女性客の心に私の話をわかってくれる親以上にいい人であり恩人という心の鎖をかけたあと、ラインをスルーしたり少し冷たくするという地雷を踏む。

 すると女性客はあせって、なんとかホストとの仲を取り持ちたいという一心で、次回に来店したときはピンクのドンペリを入れてくれるということもありですね。

 あっ、ピンクのドンペリは三十万ですけどね」

 先輩は答えた。

「ビンゴビンゴ、その通りだ。こうやって初回料金千円、初めのオーダーはウーロン茶一杯でしかなかった客を、ホスト用の太客に育てていくんだよ」

 はあ?! 思わず絶句してしまった。

 なんて女性客の心をうまく操縦するホストの接客術なんだ!

 私と橋野おじさんは、目をまん丸くしながら感心して聞いていた。


 吉崎は急に机の上に頭をくっつけるほどに、九十度頭を下げた。

「橋野さんのお嬢さんであるるみ子さんは、自殺という道を選びましたが、その原因は実はオーバードーズによるうつ病なんですよ。

 いわゆる麻薬成分の入っている風邪薬やのど薬の飲みすぎと、うつ病が度重なった結果によるものなんですよ」

 現在は薬局でもオーバードーズの影響で、未成年者にはのど薬やかぜ薬を二個以上販売してはならない決まりになっている。


 吉崎は話を続けた。

「ここだけの話、この話をすると反感を買われるのを承知で言いますね。

 お嬢さんのるみ子さんは、ホストの売掛金が原因で風俗に行く羽目になったんですが、それでも客として僕に会いに来てくれましたよ。

 もちろん、るみ子さんが風俗に行ったのは僕としては、辛い事実でした。

 しかし、客として来店するるみ子さんを僕は拒む権利などなかったのは事実です」

 橋野おじさんは、怒りの表情をしながらも平静さを装って言った。

「ウソつけ。君はホストだ。どうせ将来は結婚しようなどとたぶらかし、偽の婚約書をちらつかせて、るみ子をたぶらかし、売上を上げるために風俗へ落したんだろう。

 こういうのをホスト業界では、風落ちというそうだな」

 やはり、娘のるみ子のこともあり、橋野おじさんはホスト業界のことを勉強している。

 吉崎は反論した。

「それは違います。僕は結婚などちらつかせたことは一度もありませんでした。

 それにるみ子さんは、独身主義を貫くと仰ってました。

 両親の不仲に悩まされ、子供につらい思いをさせた挙句、子供が非行に走るという罪つくりをさせるくらいなら、独身の方がいくらか気楽でいいというのが、るみ子さんの持論でした。

 それにるみ子さんは、シングルマザーになる度胸も経済力もないと仰ってましたしね。まあ現在は独身主義の女性が、年々増加傾向にあるのは事実ですね」

 吉崎はそう言い終わると、急に左手のひらを机の上に差しだした。

「お父さん、どうか僕の左手のひらを殴って下さい。

 ホストだから顔を殴られると困りますが、手のひらなら我慢しますよ」

 橋野おじさんは、びっくりしたかのように言った。

「君は左ききか? そういえば、るみ子も子供の頃は左利きだったが、十歳のときに右利きに矯正させたんだ」

 もしかして左ききだということが、ホスト吉崎とるみ子さんを結んだ共通点だったのかもしれない。


 るみ子さんは風俗へ堕ちて以来、吉崎がいや吉崎だけが生きがいであり、命綱のような存在だったのかもしれない。

 しかし、吉崎にしてみれば単なる女性客に一人であるということに気付いたるみ子さんは、風俗という慣れない仕事で性病になり、うつ病も患ったと考えられる。

 橋野おじさんは、感情を押し殺したような顔をしていたが、沈黙を守りついに吉崎に手を出さなかった。

 橋野おじさんの大人の態度に、吉崎を許したというかすかな救いを感じた。


 吉崎は決心したかのように言った。

「僕はもうホストを辞めたんですよ。一週間前に、売掛金も全額店に返したし、今はきれいな身体です」

 橋野おじさんは、半ば呆れたように言った。

「そうかあ、売掛金で苦しんでいるのは、女性客だけではなくてホストも同様だったのか。僕はホスト側を一方的に悪者扱いしていたが、それは間違いだったんだな」

 私は思わず口をはさんだ。

「聖書の箴言の御言葉に、人はだましだまされながら、ますます悪に堕ちていくという通りですね。二千年以上に書かれた書物は、なんと今でも通用しますね」

 吉崎は、自嘲的な笑顔を浮かべながら言った。

「やはり僕はホストには向いてなかった。シャンパン一気飲みするごとに、営業後はゲロを吐き、女性客のなかには、ホストの敵テキーラを無理やり飲まそうとする輩もいた。また先輩から教わった接客術も、頭では納得してもいざ女性客を目の前にすると緊張してしまって、実行することが出来ずじまいですた。これじゃあホスト失格ですね。明日からは、昔の杵柄だった長距離トラック運転手に戻ります」

 私と橋野おじさんは口を揃えて

「それがいい。その方が絶対向いてるよ。トラック運転手に転職で一件落着!

 さあ、未来のトラック運転手さん誕生だよね」


 私はサイフォン珈琲の香りに包まれながら、ゴスペル喫茶ハレルヤのまさ恵ママにこの事実を報告しようと思った。

 予想外の思いがけない未来が、私と元ホストの吉崎雄也を待ち受けているとはそのときは想像もできなかった。


 (完結)続編に続く

 

 

 


 


 

 

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貢ぎ貢がレディーるり子とまさ恵おばさんとの交換日記 すどう零 @kisamatuma

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