第7話 ホストの青伝票ならぬ店からの高額売掛請求書
私は思い切って橋野おじさんに聞いてみた。
「今、吉崎雄也とかというホストが男女二人組に山奥で拉致監禁され、瀕死の重傷を負ったというニュースが飛び込んできたけど、もしかして、るみ子さんの担当ホストのこと? 外れてたら申し訳ないけれどね」
橋野おじさんは、急に血相を変えた。
「そうだ。るみ子の担当ホストの名前だ。
ある日、るみ子は青伝票ならぬ店のオーナーから、売掛伝票を押し付けられたんだ。
それには、セット料金、指名料3,000円ずつのほか、サービス料金が242,970円も明示してあった。
あと、オーダー料金が677,400円だったが、その内訳はコーン茶二杯が4,000円のほか、その他が673,400円になっていた。
それに税金をプラスすると、合計なんと1,030,900円にもなる」
さすがの私も驚いた。
「サービス料といえば、キャバクラなどの場合、接客代、おさわり代も含みますね。しかし、ホストにはそういうものもないし、どういうことでしょうかね?
それに、オーダー料金もコーン茶二杯のほか、その他676,000円になっているが、その他というのは、何をオーダーしたかわからないという意味ですね。
まあ、シャンパン一本が最低十万だから、もしかしてシャンパンを卸したのかもしれないが、明細が書かれていないのは不思議としか言いようがない」
橋野は呆れたように話を続けた。
「まず売掛伝票と書いた後に、〇月〇日迄に売掛未収金を確かに残した未払金に対して、〇月〇日迄に必ず店舗に持参することを、誓約します。
これまでの未払金が、下記明細の通り1,030,000円であることを認め、今後誠意をもって支払いを確約し、店外での担当ホストとの金銭の受け渡しをしないことを了承します。
それを売掛金の回収とは認めないことも了承します」
と明記されてるんだ。これはホスト個人の問題ではなくて、店ぐるみで高額請求をしているということだな」
私は絶句した。
しかし本来は、ホステスとしてこういう悪質かつ悲惨な事実を、笑いの方向にもっていかねばならない。
「サービス料の250,000円といい、明細のないその他オーダーの676,000円といい、ぼったくり以上に、最初から百万円以上の借金をつくらせ、払えなかったら風俗行きなんて、最初から仕組まれてたことね」
私は平静を装っていたが、心の中には恐怖で震えていた。
橋野おじさんが手塩にかけて育てたるみ子さんが、人生の落とし穴にはまろうとしている。
しかし、ホスト依存のもっとも恐ろしい点は、たとえ風俗で売掛金を返したとしても、風俗とホストという世界から脱出できなくなることである。
そういえば、私はふと思い出した。
まさ恵おばさんが経営するゴスペル喫茶ハレルヤに、不思議かつ恐怖を感じる女性がいた。
いわゆる生れながらの精神障害者で身元保証人がつき、行政から保護を受けているといったタイプの女性ではない。
いかにも水商売に失敗した風の、どこか崩れた雰囲気を身にまとった女性で、タバコを持参していたが、店では禁煙なので決して口にはしなかった。
その女性は信子といった。
山陰地方出身で、三人の子供を残して離婚し、初めは町工場などで働いていたが、そのうちスナック勤めをするようになった。
しかしそのスナックは、いわゆる裏オプションのある店でいわゆる売春をもちかけられ、客との会話のできない信子は、それで金を稼ぐ以外にはなかった。
もしかして私がスナックいこいの先輩である呉本と同じパターンではないか。
まあ、呉本はそののち解雇になってしまったが。
そのスナック勤めから風俗勤めに変更する羽目になったが、なんとか立ち直りたい一心で、有名餃子店にバイトしていたという。
その有名餃子店は、繁華街の裏側になり、忙しくその上客筋があまりよくなかったので、バイトの入れ替わりが激しかった。
幸か不幸か、信子はガラのよくない客には慣れっこだったので、客にビビるということはなかった。
信子が勤めだして半年たった頃、まさ恵おばさんがバイトで入店してきた。
信子は最初、まさ恵おばさんが一か月くらいで退店するだろうと思っていたのだろう。
しかし、一見お嬢さん風のまさ恵おばさんは、見かけよりも根性があったの一か月で退店することはなかった。
最初は皿洗いだったが、後にホール廻りを任されるようになった。
それと同時に、まさ恵おばさんは不運にも(?!)にも信子の荷物運びの尻拭いをやらされるようになった。
まさ恵おばさんは、信子に新人としての挨拶をした。
「はい、今日から入店してきました。よろしくお願いします」
するとなんと信子は、そばにあった食材の入ったプラスチック製の箱を振り上げ、
「あんた今、はいと言ったな」
思わずまさ恵おばさんは、のけぞった。
すると信子は、そのプラスチック製の箱を振り上げ
「あんたの「はい」は人の心を傷つけるんよ。今度私のいる前で「はい」と言ってみ。うちがあんたに手かけないと思っているのか」
はあ?! もしかして信子は精神疾患か狂人ではなかろうか?
まさ恵おばさんの脳裏に、そんな疑惑が生まれた。
信子の仕事は、地下一階で食材の仕込みであり、その仕込みを一階に上げるのが信子の役目だった。
しかし信子は、風俗勤めの影響なのだろうか?
全く体力はなく、なんと2キロ程度のものを持ち上げることすらできなかった。
まさ恵おばさんは新人の務めとして、信子の手伝いいや、尻拭いをやらされる羽目になった。
しかし、幸か不幸か信子は荷物運びが自分の仕事だとは気づかず、まさ恵おばさんに執拗にケンカを売ってくるのだった。
まさ恵おばさんが降ろしてきた荷物の置き場所に対して、いちゃもんをつけた挙句(本来は荷物運びは信子の仕事なのにも関わらず、信子はそのことに気付いていない。まったくマヌケな罰当たりとしか言いようがない)
まさ恵おばさん曰く「この荷物、上げていいですか?」
信子のいちゃもん「あんた、そんなこともわからないの。バッカじゃない」
そればかりを、バカの一つ覚えみたいに毎日リピートしてきた。
ひょっとして信子は、まさ恵おばさんが手を出すのを待ちかまえていたのだろうか? どういう理由があるにせよ、暴力はふるった方が負けである。
入店して二週間たった頃、まさ恵おばさんは皿洗いからホール廻りに昇格することになった。
当時信子は、カウンターで餃子焼きとレジの仕事をしていたが、なんとカウンター越しに客のいる前で下品な野次を飛ばすのであった。
「もっと早くやれ、ちゃっちゃっとやれ。ごちゃごちゃ言われるのは、お前がトロイからだろう」
まさ恵おばさんは無視を決め込んだが、信子は図にのってわめくようになった。
ある日、信子はまさ恵おばさんに手招きをした。
「あんた、はいというのを辞めてくれないか。あんたのは返事をするというより、叫んでるのよ。その不細工な叫び声をやめてくれないか」
まさ恵おばさんは、思わず吹き出した。
すると、信子はカウンターから飛び出して来てまさ恵おばさんの腕をつかみ、ひきずろうとしたのだった。
客が「おばさん、やめとけえー」
店長(といっても雇われ店長でしかないが)の命令で、信子は地下一階にまわされることになった。
信子のまさ恵おばさんに対するいちゃもん「荷物の置き場所が違う」は、執拗に続いた。
やはり信子は、荷物運びが自分の仕事ではなく、まさ恵の仕事だと思い込んでいるらしい。
しかしここは職場での協調性を保持するために、まさ恵おばさんはだんまりを決め込んでいた。
この店は、学生のアルバイトも含め出入りが激しい。
半年続いたら長い方である。
職場にはいろんな人がいるが、ここは我慢のしどころ。
しかし仕事のできない人は、去っていくしかない。
まさ恵おばさんが入店して、半年もたった頃、信子は風邪をひいたらしく、声がかすれている。
バイト仲間が小声でまさ恵おばさんに耳打ちした。
「ここだけの話、信子さんって以前は風俗に勤めてたんじゃないかという噂があるのよ。本人はスナック勤めだと言っていたが、あのルックスとしゃべりではスナックが勤まるはずがないよ。風俗勤めの人って免疫力がないから、風邪をひきやすくなり、いったんひいたら一か月以上は治らないっていうわ。
また人によっては、性病の毒が脳にまわるケースもあると聞いたことがあるわ」
まさ恵おばさんは納得した。
そうか、やはりまさ恵おばさんがうっすら予想していた通り、信子は風俗勤めで性病の毒が脳のまわってるんだな。
怖いとは感じたが、同じ女性である限り対岸の火事のように、他人事として決め込むのはかえって危険である。
戦争中じゃないけれど、女性にとって風俗や売春の罠は至る所に存在しているのである。
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