第5話 橋野おじさんの娘はホスト問題で自殺した

 橋野おじさんは、私の生き方にエールをおくってくれたということは、私に対して家族のような信頼感をもったということでもある。

 

 私は橋野おじさんにさり気なく聞いてみた。

「今、終活というのが話題になっているが、私の母は終活などまるでしていない。というより出来ようがないの。

 だって財産もないし、私は着たきり雀と同じ」

 橋野おじさんは、ため息をつきながら言った。

「今からする話、これは僕とるり子ちゃんとの絶対的な内緒話だよ。

 僕には娘がいたがね、自殺したんだ」

 えっ、自殺?!

 家族にとって、自殺ほどショッキングでふがいないものはないという。

 家族なのになぜ自殺する前に、一言相談してくれなかったのだという水臭さ。

 自分は自殺を阻止する力になってやれなかったというふがいなさ。

 もしかして自殺の原因は、自分にこそあったのではないかというグレーな疑惑感。

 そして第三者には、死の原因が病気や事故ではなく、自殺だったという恐ろしいほどの悲しい事実を話すことの苦しさ。

 

 しかし、その一方うつ病などの精神疾患で、自ら死を選ぶ人もいる。

 若さと美貌に恵まれ、仕事にも金銭にも恵まれているのに、なぜか別次元の世界に吸い込まれるように死を選ぶ人もいる。

 自殺の原因は、本人しかわからない。


 私はさり気なしに、橋野おじさんの自殺原因を聞いてみることにした。

 あくまで探るのではなく、橋野おじさんの方から話させるように仕向けるのが、客商売のテクニックでもある。


「辛い話ね。そういえば、私の中学のときの親友だった子が、自殺未遂をはかったわ。原因はね、交通事故にあって顔と手に損傷を負ったのよ。

 しかし彼女はそのおかげで、悪党から逃れられたとは言ってたけどね」

 橋野おじさんは、興味津々に私を見つめた。

「女の子だったら、顔に損傷を負うということは絶望的なショックだろうな。

 まあ、今は整形手術もあるし、厚化粧でごまかせるという方法もあるけどな」

 私は頷いた。

「ビンゴですよ。実は彼女は当時、ワル男から狙われていたの。

 彼女の話を要約するとね、そのワル男は彼女の恋人のフリをして、彼女を風俗に売ろうとしていたのよ。

 これは私の想像だけどね、どうやらそのワル男は最初から、金にするつもりで彼女と恋人の演技をしていたに違いないと思うの」

 橋野おじさんは言った。

「僕は君を愛している。君しか頼る人はいない。

 僕は風俗という職業になんの偏見ももっていない。職業に貴賎なしというだろう。それより、風俗までして僕に尽くしてくれる女性を、僕は母親の如く尊敬する。

 僕は親孝行の如く、きっと君を幸せにしてみせる。

 将来は二人で共同経営者になって、一緒に夢を叶えたいんだ」

 なーんてありふれたウソでたらめを言って、その子をたぶらかしたんじゃないか?」

 私は即座に答えた。

「Wビンゴですよ。ワル男ほど女性に対してやたら愛想がよく、あるときは親友に、あるときは母親のように接してくる。

 結局、彼女はワル男の風俗行きから逃れられたけどね。

 彼女は勉強はあまりできなかったけど、決して悪い子じゃなかったから、神様が救ってくれたんじゃないかなと思うの。

 そんなことがあって、傷から癒えた彼女は、キリスト教会に通い始めたの。

 その教会は、いわゆる元アウトローが牧師をしている教会で、麻薬問題や青少年非行とも取り組んでいる教会だったのよね。

 彼女はその教会に通うようになってから、徐々に更生していったわ。

 世の中どこかに救いがあるものね」


 橋野おじさんの顔は、急に光が差し込んできたかのようにパアーッと明るく輝いたかのようになった。

「ああ、そういえばときどきテレビや新聞に載っているな。

 元アウトローが、内部抗争に巻き込まれ、命を狙われた末にクリスチャンになったという記事が。昔ミッションバラバといって、元アウトロー集団から成り立っている伝道集団もあったな。今はお互い独立して、牧師や長老として活躍しているがね」

 私は、ふと思い出した。

「今から二十数年昔、親分はイエス様という映画を見たわよ。

 舞台あいさつには、元アウトローが出演していたけど、アウトローのいかつい怖いい匂いは感じられなかった。むしろ、落ち着いた温厚な顔をしていたわ。

 神によって、顔つきまで変えられるのよね」

 橋野おじさんは、頷きながら言った。

「その元アウトローの一人である梨木さんはね、賭博の軍団といわれる組に入っていて、最初は億という金を丸もうけしてたんだ。

 しかし良かったのは最初のうちだけ。そのうち、組から借金をつくって逃亡生活をおくるようになったんだ。

 実はその元アウトロー梨木さんはね、僕の通っていた協立高校の同級生だったんだよ。

 たしか高校一年のとき、少しだけ友達だった時期もあったっけ。

 梨木君とは、金にがめつくてね、クラスメートからいつも百円貸してなんてい言ってたけど、どこか憎めない奴だったな。

 でも勉強嫌いでね、まあ、梨木君がアウトローになったとしても、誰も不思議がらなかったなあ」

 私は感心したかのように言った。

「協立高校というと、今は名だたる進学校じゃない。

 なんでも女性校長が、やる気のない生徒に校内の掃除をやらせ、うわあ、あなたのおかげで新品同様、ピカピカになったねと褒めたら、がぜんやる気が出て来て、勉強の方も頑張るようになったんだって。

 子供にとっては、褒めるって大切なことね」

 橋野は返答した。

「そうだね。子供にとって辛いことは、無視され放置されることだな。 

 今から思えば、仕事にかまけて僕も娘に対しては金をあげるしか、接する方法がなかったよ。このことも娘が自殺した原因かなと、今でも自分を責めることもあるよ。やりきれない気持ちを酒でまぎらわしたいけれど、この通りの心臓病では、それもままならない。

 まあ、娘と同年代のるり子ちゃんの笑顔を見るだけで、ほんのちょっぴり救われたような気になるんだ」

 私も思わず笑顔になった。

「そう言って頂ければ、光栄の至りでございます。

 まあ、スナックいこいは、人にひとときの安らぎと人生のいこいを提供する場所ですからね」

 橋野はしんみりと言った。

「僕は今はこんなに大人しいけれどね、昔はときおり浮気もしたものだよ。

 浮気がバレると、妻は真赤になって怒ったものだけど、結局は娘も母親の味方だからね。だいたい子供は、母親とタッグを組むものだよ」

 まさにその通りね。

 だいたい娘は父親が浮気すると、母親を裏切り他の女に走った色気ちがい野郎なんて思ってしまう。


 橋野おじさんは、急に頬を紅潮させ、涙ぐみ始めた。

「どうしたの、ヤバイよ。この状況、私、何をすればいいの?」

 私はわざをおどけて、ギャグ交じりで両手をあげ、降参のポーズをとった。

 橋野おじさんは、思わず吹き出し、それからしんみりと話し始めた。

「うちの一人娘は、悪質ホストにひっかかり自殺したんだよ」

 ギョエーッ、今どこのワイドショーでも問題になっていて、国会でも審議されている、悪質ホスト売掛金問題か。

 そういえば、半年前にスナックいこいに入店したときに一度だけ客としてきた、長沢君も、妹がひっかかったホスト被害の話をしてたっけ。

 そしてまたもや、現実に橋野おじさんの一人娘が、ホスト被害の犠牲になっている。私は再び、ホスト被害の話を聞かされることになったのは単なる偶然とは思えない。

「うちの一人娘るみ子は、僕が浮気して家内とうまくいかなくなったときから、僕を避け始めた。

 それまでは、るみ子は口数は少ないが僕と普通に接していたんだがね、会話をなくなってしまったんだ。るみ子が高校一年のときだった」

 高校一年というと、まだ愛想のいい人イコール自分を愛してくれる善人の聖人君子だと思ってしまう年ごろである。

 だいたい、社交的でない人ほど、そういった錯覚に陥りやすい。

 もちろん、現実はそうでないのが常であるが。


 私はひどい人見知りだった。

 それは逆にいえば、人から嫌われバカにされるのが怖かったからである。

 でも、それはあくまで自己保身であって、人は自慢話よりも失敗話で笑いをとった方が親近感がわくということに気がつき始めたのだ。

 私は高校二年のとき、友達だと思っていたおとなしめのクラスメートから

「私を含めたこのクラス全員が、るり子をバカにしたのよ」と言われたことがある。そのときはショックだったが、今から思えば、クラスなんて所詮他人の集まり。地元も全く違う。このクラス全員の気持や心なんて誰にもわかる筈がない。

 でも、私は友達だと思っていた子から、そんな言葉が出るとは思いも寄らなかったので、軽いショックを受けたのを覚えている。

 人は想定外、予想外のことが起ると、少なからずショックを受けるものである。

 

 私は暗い雰囲気を避けるように、わざとギャグをかました。

 心臓病の人が暗くなると、血液の循環が滞りますます悪化するという。

 このままバタンと倒れられると困るのは、私の方である。

「ルンルンルン、私はるり子、お嬢さんはるみ子、一字違いよね。

 まあ、私は今こうやって生きている、いや生かされていることの感謝しなきゃ。

 神様は、この世の中において私にするべき使命があるから、生かしておいて下ってるのよ。そして、するべき使命を果たしたら、この世を卒業するしかない。

 だからこの世を卒業した人は、この世ですでにするべき使命を果たした人でしかない。ちなみに子供の頃に自殺した人は、全員天国にいくと言うわ」

 実はこの話、ゴスペル喫茶ハレルヤのまさ恵おばさんの受け売りである。


 私はなぜか、まさ恵おばさんの話はいつも脳裏に刻み込まれていた。

 スナックいこいに勤め始めてから、まさ恵おばさんとはご無沙汰しきっている。

 もう一度、あのゴスペルのメロディーを聞きながら、まさ恵おばさんの入れてくれた香りのいいサイフォン珈琲を飲みたい。

 私はブラック派だから、まさ恵おばさんは経費節減になると喜んでくれたわ。

 酸いも甘いもかみ分けたような、まさ恵おばさんの笑顔を見ていると、人生山あり谷あり、なにがあっても笑顔でいようねというハッピーエンドを感じさせる。

 しかしそのためには、イエスキリストを信じなきゃ人はすぐ、悪魔の餌食になってしまうという、まさ恵おばさんの話を思い出していた。


 

 


 

 




 

 

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