第4話 貢がレディーは心まで貢がなきゃ

 私は橋野おじさんに、五木ひろきの知識を披露した。

「五木ひろきって、歌手としてデビューしたものの五回も改名したほど、売れなかったんだって。

 いつもギター一本持って、歌こじきなんて言われてた時代もあったけど、本人は歌をあきらめなかった。故郷の田舎で百姓をするよりも、東京で歌手になることを夢み続けていたんだって。

 そこで、背水の陣を敷くつもりで、歌謡選手権に出場し、グランプリをとったけど、どこのレコード会社も採用がなかったし、審査員も反応がなかったんだって」

 橋野おじさんは、興味津々に聞き入っていた。

「あれほど歌がうまいのに、どうしてなのかな?」

 私はすかさず答えた。

「五木ひろきは、たしかに歌唱力はあったけど、五回も改名している焼き直し歌手としての暗さがある。

 それに第一、目が細くいかにも田舎のあんちゃんといった感じで、到底テレビ向きのルックスではない。

 審査員全員が、五木ひろきはプロ歌手としては話にならないと言われているなかで、作詞家の山口洋子だけが、推してくれたんだって。

 こんないい笑顔をもった人はいない。素朴で土の匂いのする笑顔であると。

 その笑顔のみに魅かれて、五木ひろきのデビュー曲を作詞したんだって。

 そして五木ひろきという芸名は山口洋子が命名したんだって。いいツキ拾おうという意味を込めてね」

 橋野おじさんは共感して言った。

「そういえば、五木ひろきは、目を細め、いかにも何かを愛しているような笑顔をするな。なんだか、癒しを感じるよ」

 私は答えた。

「人間、笑顔と背中には本音本性がでるというわね。

 薄暗い日陰でも笑顔一つで、闇に引きずり込まれることなく、希望のような光を感じることができるわね」

 橋野おじさんは、頷いた。

「俺も、心臓病を抱えている限り、いつ破裂するかわからないような爆弾を背負って生きているのと同じだよ。

 まあ、先が長くないということは気づき始めている。

 その前に身辺整理をしたいんだ」

 えっ、身辺整理といっても、橋野おじさんは子供はなく、奥さんは早死にしたという典型的な一人者である。

 ということは、莫大とはいえなくても、多少の財産を所有しているのではないか。

 しかし、そんなことを聞ける筈がない。

 客は、金のことを持ち出すと背中を向けて去っていく。

 そりゃあそうだろう。今までこのホステスは、金目当てでしかなかったのかと思った時点から、ロマンがなくなる。

 町のスナックというのは、色気よりも人情を求めに来店している、人生たそがれどきの高齢者が多い。

 もちろん橋野おじさんもその一人であるが、そういった身寄りのない淋しい高齢者から、遺産がわりに金をゲットすることは詐欺でもなんでもない。


 昔は「おばあちゃんの知恵」といって、高齢者の昔ながらの知恵は役立つものであったが、スマホやパソコン全盛の今、昔ながらの知恵はもう葬り去れる化石の如くフェイドアウトされ、役に立たないものになりつつある。

 少子高齢化のなか、日本はこのままでは限界集落状態ー若者の人口は減少し、高齢者も年齢を重ねるにつれて身体が動かなくなって、活躍できなくなり、そしていずれは死んでいく。

 私はZ世代であるが、その最後の時代になるかもしれないZ世代の若者が、高齢者から金を頂き、それを未来の日本のために投資するーこのことは、罪悪ではないはずである。

 まあ、いわば高齢者からこれからの世代を担う、若者への投資でもある。


 このことをゴスペルカフェ「ハレルヤ」のまさ恵おばさんに、世間話を交えながらさり気なく話してみようか。

 私はまさ恵おばさんにだけは、愛想をつかされたくなかった。

 それでなくても、私は過去にまさ恵おばさんとの友情を試すという大義名分で、まさ恵おばさんから二千円を返却しようとはしなかったのだから。

 当時のまさ恵おばさんは、私がワル男にだまされたのを見抜いていて、私を「ワル男からだまされ、マリオネット(操り人形)として利用された可哀そうな人」というあわれみの目で見てくれた。

 しかし、それはあくまで一度だけであり、次回は通用しない。

 まあ、私も「いこい」のスナック勤めで、男性を見る目が少しはついたつもりである。

 女性を利用しようとするワル男ほど最初は女性に優しく、まるでその女性のことをすべてわかっているように、父親の如く包容力のあるポーズを見せ、女性を丸め込もうとする。

 そして、女性が自分の言いなりになっているうちは、父親のように優しく接するが、少しでも逆らうとまるで先の尖ったナイフのように、脅すポーズをする。

 その脅しに負けて、気弱な女性はワル男の言いなりになってしまう。

 アダルトビデオ強制出演や悪質ホスト問題のように、狙われるのは大抵、地方出身の二十歳前後の女性が多い。法律にも疎く、相談相手いや、話し相手すらいない。

 またなまりを気にして、ポジティブに会話すら躊躇してしまう。そんなネガティブな女性を狙う悪党は、昔から後を絶たない。


 私は心の片隅で、まさ恵おばさんと交換日記のようなつもりで、対話していた。

 私にとってまさ恵おばさんは、良心そのものであった。

 まさ恵おばさんという良心を私から失くしてしまうと、私は人間の心を失ってしまい、悪魔のとりこになり、最後には覚醒剤中毒のように心身共にボロボロになってしまいそうな恐怖にとりつかれていた。

 まさ恵おばさんの存在だけが、私の唯一の心の砦であり、まさ恵おばさんを心の片隅から失うということは、私の未来に光を失うほど絶望的なことでもあった。


 もしかして橋野おじさんは、案外と金満家なのかもしれない。

 いつも焼酎の水割り一杯しか飲まないが、すすめられるままにつまみを注文したりする。

 いつもニコニコして金払いがきれいであり、つけなど一切しない。

 私は橋野おじさんに援助してもらうことに決めた。


「いらっしゃいませ。橋野さん」

 いつものように、橋野おじさんは七時頃にいこいに来店する。

 しかし、今日はなんだか顔色が悪い。心臓病の発作が出たのだろうか?

「今日はノンアルコールディーだ。ホットウーロン茶にするよ」

 そして私にメモ書きを渡した。

「明日の三時に、向かいの喫茶コスモスで待ってる」

 喫茶コスモスというと、サイフォン珈琲のおいしい昭和のレトロ喫茶である。

 二、三回訪れたが、老夫婦が経営しているインテリアなどまるでないほどの薄暗い地味な店であり、小さなカウンターとテーブルが三席しかない地味な店である。

 私は早速、翌日の三時に喫茶コスモスを訪れることにした。


 橋野おじさんは奥のテーブルに座り、スポーツ新聞を読んでいた。

 私はこれがチャンスとばかり、お涙ちょうだいの身の上話をすることにした。

 スナックいこいでは、いつもスカート姿であるが、今日はデニムパンツである。

 まず橋野おじさんから口を開いた。

「やあ、るり子ちゃん、見違えたようだよ。なんだか学生さんみたいだな」

 私はすかさず

「いや、橋野さんこそ今日はベージュのポロシャツで、相変わらず渋いですね」

 橋野は急に真剣な顔つきになった。

「このことは、内緒にしてもらいたいことだがね、実は俺、もう長くないんだ。

 医者からも三年前から死期を告げられていて、自分でも命の限界がわかるんだ」

 そういえば、橋野はギスギスといっていいほど、痩せてきている。

 骨の上にそのまま皮膚が乗っているようで、筋肉が見受けられない。

「ねえ、るり子ちゃんって、結構苦労人なんじゃないの?」

「そうですね。父親は昔、会社経営で羽振りが良かったけど、女遊びが嵩じてとうとう離婚したの。私は母親に引き取られたが、その母親も掃除婦の傍ら、アルコール依存症になってしまったの」

 橋野は私の話を真剣に聞き入っていた。

「だから私は、昼間はファーストフードでバイトしながら、定時制高校に通っていたのよ」

 橋野は口をはさんだ。

「人によっては、そういう子っていわゆるひきこもりになったり、軽いイジメにあったりするけれど、るり子ちゃんはそういうことはなかったんだ。

 るり子ちゃんって強い女性に違いないよ」

「確かに私は、ぐれたりしなかったというより、ぐれるヒマなどなかったのよ。

 まあ、昔のように、反抗的でうるさい暴走族はなりを潜め、この頃は人形のような大人しい子が、悪党のいいなりになるケースが多いというが、私はそんな生き方をするつもりなど、毛頭なかったわ」

 橋野は感心したように言った。

「うん、その生き方にエールをおくるよ。フレーフレーるり子」

 


 


 


 

 

 

 

 

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