第18話 星降る夜

(星降る夜)


 夕食もすまし、部屋に戻ると雪子は……

「もう、着替えてもいいよね―」と言って、着ていた服をいきなり脱ぎだした。


「ちょっと、ちょっと、武さんもお爺さんもいるじゃない」と真理子は男二人を睨んだ。


「そんなの、いつも見ているわよ!」と、あっという間にすっぽんぽんになって、リュックの中から浴衣を出した。


「浴衣なんか持って来たの―?」


「……、やっぱり寝るときにはこれでないと……」

 雪子は、浴衣を着ると一人布団を曳きだした。


「真理子、一緒に寝よう―! それともお兄ちゃんと寝る?」


「ね、寝るわけないでしょう―」


 真理子は、慌てて首を振って否定した。


「じゃ―、お爺さんとお兄ちゃんは、あっちで寝てね―」


「……、あいよ―」と、お爺さんも武も布団を曳きだした。


「あたし、天の川、見に行きたい―」と真理子。


「じゃ―、お兄ちゃんと見に行ったら―」と雪子。


「二人でなんか、行けるわけないでしょう―」と真理子。


「……、でも私、浴衣だし、こんな格好で出歩けないわよ―」と雪子。


「三人で行っといで、山で見る星空は特別だ。星が降るように見えるぞ―」

とお爺さんは、自慢げに言う。


「でも、外はまだ寒いから、ダウンジャケット着ていきなよ!」と付け加えた。


 その言葉で、二人はダウンジャケットをリュックから出したが、雪子は浴衣だからと言ってそのままで、三人は部屋を出た。


 下駄箱のあるロビーまで来ると真理子は……

「ちょっと散歩したいから靴で行こう―」


「……、え―、私、浴衣だから、ここにあるすっかけで行くわ―、真理子一人だと危ないから、お兄ちゃんも靴で行ってね―」


「……、……」

 武は何も言わずに靴を取った。





 星の瞬く空、銀河は流れる、星のかなたに、手を伸ばせば掴めそうな星たち。


「……、きれい―! 星がこんなに近くに見えるなんて、宇宙って広いのね―」

 真理子は、ご満悦。


「あたりまえでしょう―」と雪子。


「私、もっと広いところで見たい!」


 真理子の後ろには、大きく視界を遮る山荘と棟続きのレストランがあった。


「いっといでよ―! 下に行けば見晴らしのいいところがあったじゃない」と雪子。


「うん―、ちょっと散歩、行ってくる―!」


 真理子は、帰りの登りのことも忘れて、元気に下りて行った。


「早く、お兄ちゃんも付いていってよっ! 真理子一人じゃ―、迷子になるから……」


「……、……」

 武は、真理子の後を追った。


「付いてこなくて、いいわよ―!」と真理子。


「……、……」

 武は何も答ず、それでも後をついて行った。


 山荘の明りが小さくなったころ、空の星はひときわ輝いて見えた。


「こんなところ、一緒に歩いていたら、夜のデ―トじゃない……」

と、真理子は振り返らず武に言った。


「……、……」

 それにも、武は答えなかった。


 真理子は、急に振り返り……

「武さん、雪子のこと好きでしょう―?」


 ヘッドランプの光が武のお腹を照らし、武のヘッドランプは真理子の顔を照らした。


 真理子は眩しさに一瞬顔を背けた。

 武は慌てて、ヘッドランプを消した。

 それを見て、真理子もヘッドランプを消した。


 満天の星空が二人を覆うように広がっている。


「きれい―! 天の川が見えるわ―! 天の川ってこんなに広く空を覆っていたのね……」


 細かな、細かな、金粉の蒔絵のような星屑。

 それが大河となって、満天の星の中に広がり流れている。


「……、町では細かな星は見えないから、川の幅も狭くなっちゃうんだよ」


「そうね―、……、言葉にできない美しさね―! 山の好きな人の気持ちが分かるわ―」


「……、でも、いつも、いつも、こんなに綺麗に見えないんだよ。月が出ていたら、こんなにたくさんの星は見えないし、雲や霧が出ているとやっぱり見えないから……」

 そう言いながら、武は一歩前に出て真理子の手をいきなり取った。


「え、なに、……」

 真理子は、逃げずに暗闇で見えない武を横に見た。


「……、キスでもしたいの?」


「……、いや、暗くてわからないから、どこかに行っちゃうと心配だから……」


「も―お―、……」

 真理子は、いきなり武の手を振り切って、走るように山を下りて行った。


「あぶないよ―!」

 武は慌ててヘッドランプを付けて真理子を追った。


 闇の中、ヘッドランプは、時たま真理子を照らしだすが、すぐ視界から消えた。

 でも、傾斜がなくなり、なだらかに広がる峰の頂上ふきんに来たとき、真理子は星空を見上げて立っていた。


「流れ星……、きれいね―」と真理子。


 それを聴いて、武はヘッドランプを消した。


「山の上は見晴らしもいいし、空気も澄んでいて、星もたくさん見えるから、流れ星もたくさん見えるよ。夏場は何とか流星群で、星が降るように見えるみたいだよ」


「……、へ―え、武さんて、星の話になると、よく喋るわねー」


「山で見る星は特別だから、……」


「それよりも、さっきの話、雪子のこと、好きでしょう―?」


 手元すら見えない暗闇の中、真理子の声だけが聞こえる。


 冷たい風が谷から吹き寄せてくる。


「……、雪子は特別だから」


「特別って、どういう意味、特別に好きっていうこと、あたしみたいに……」


「……、雪子のこと、好きなんだ」


「そうよ、大好き、友達とか親友とか、それ以上に愛しているのよ」


「……、愛している?」


「そう、女として、……、変に思うでしょう。でも、雪子の裸を見ていれば、もう離れられないわ。武さんだって、雪子の裸、いつも見ているでしょう。何も感じないの?」


「……、いや、綺麗だと思うよ。でも、それだけ……」


「それだけで、いいの? 触りたいとか、抱きたいとか思わない?」


「え、……、え、でもそれだけ……、余りにも慣れちゃったかなー」


「あたしなんか、雪子の裸みて、飛びついて抱き締めちゃったくらいだから」


「……、う―ん、凄いねー!」


「羨ましいでしょうー! 雪子の体って暖かいのよ。それにふわふわに柔らかいの、撫でるとすべすべで気持ちいいのよ―」


「僕なんか、手も触れたことないよ……」


「え―、それも、それで、変ねー。あたし兄弟いないから分からないけど、兄弟ってそんなものなの?」


「多分、そんなものだよ。それに雪子は特別だから、空の星みたいな存在だから、近くにいても、雪子は何億光年も彼方にいる……、僕たちは、見ているだけなんだ」


「……、僕たちって、家族のこと」


「そう、一緒に住んでいないから分からないかもしれないけど、家の中で誰も雪子の話をしないんだ。いつも話しているのは、お母さんだけ……」


「どうして、……」


「……、さ―あ……、家では、ほとんどお母さんの側から離れないし、一緒に家の仕事しているから、後は縁側で涼んでいるし、話す話題もないし……」


「なんか、寂しい家族ね……」


「真理子ちゃんは、お母さんと何か話すの?」


「……、話しっぱなしよ―! 学校の事とか、世間のニュ―スとか、家の中に二人しかいないから―、黙ってしまうと、怖いくらいに家の中が静かになっちゃうのよ―。それが嫌で、東京に居たころから、何でも話すようになったのかな―」


「羨ましい、家族だね―」


「離婚して、お母さんと二人っりの家でも……」


「……、あ、いや……」


「でも、誠さんがお父さんになってくれないかな―、って思っているけどね―。私、ちょっと気にいっちゃたー」


「今日、会ったばかりなのに……」


「そうよ―! 一目で優しい人って分かったもの―」


「……、どこが?」


「どこが、って言うことじゃないけど、誠さん全体で感じるのよ。それにお母さんの元彼だし、私のお父さんには、そんな感じ無かったわ。お父さん、どこかいつも冷めていて、遠くに感じていた……」


 星明りの暗い中でも、真理子の顔が薄っすらと見えた。

 そして、また谷から冷たい風が吹き寄せる。


「……、もう少し歩かない!」


 止まって空を眺めているより、歩いている方が体は暖かい。


 真理子が視界から消えたのを見て、武は慌ててヘッドランプを付けた。


「武さんは、そんなこと感じたことはない?」


「え、……、そんなこと考えたこともないよ!」


「そっか、それが自然なのよね。普通の家では―」


「……、でも、最近はそうでもないけどね―」


「お父さん、入院しているから?」


「……、そうだね。やっぱりお父さんがいたときとは、ちょっと違う……」


「なんか、その感じ分かるわ―。お父さんが家に帰ってこなくて、別の女の人の所にいるんじゃないかと思う気持ちに……」


「……、そうだね。どちらも心配する気持ちだね」


「武さん、誠さんに似ているわ、血の繋がりかしら……」


 頂の峰は、いつしか緩やかな登りに変わっていた。


「それでも、変よ。さっきの言い方。雪子が特別って、どういうことなの?」


「そんな、深い意味ではないけど、……」


「でも、遠い星の光と同じなんて、寂しい言い方じゃない」


「家族みんな、感じていると思うよ。雪子はいずれいなくなる。雪が解けると同じように……」


「……、どうして?」


「雪ん子だから……」




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