第45話

 姫夏は立ち上がって辺りを見回している。まだ、火災報知器が反応した様子も消防車のサイレンも聞こえない。何かあったのでは?

「落ち着きなよ」

 愛理はベンチに腰を下したまま、姫夏を見上げている。

「まだ、夕方にはちょっと早いよ」

 影は長くなってきて、風も出てきた。何より陽は赤くなっている。少し動きが遅い気もするが、それより姫夏のテンションの上がりようが気になった。

「落ち着きなって」

 苛立つように愛理が言う。姫夏の焦りように、逆に冷静さを保ることができている。姫夏を強引にベンチに腰を下させる。

「麻帆ちゃんを信じよう」

 代わりに愛理が立ち上がり、辺りのビルの様子をうかがった。風が強くひとつ吹いた。

 その時、1台の車が目の前を走り去っていった。



 お父さんが洗面所に向かったのを確認して、私はライターと煙玉を取り出した。

 蛇口から出る水音が大きい。

 今だ。

 ライターに指をかけた。カチッと音がした。

 しかし、火は出なかった。

「え?」

 もう一度押す。つかない。

 カチっ  カチっ

 火が出ないライターを何度もいじる。

 点いて。

 点いて。お願い。

 涙で視界が曇る。

 洗面所の水音が止まる。

 お姉ちゃん、助けて。お姉ちゃん、会いたい。

 ライターを振って試した。やはり点かない。

 煙玉の導火線を持つ。

 床に擦り付ければ、摩擦で、もしかしたら火が点くのでは?

 何も考えられない。これにかけるしかない。

 火が点けば、姫夏さんがどうにかしてくれる。火が点けば私は助かる。

 導火線の先を掴んで、ざらざらした床に擦り付けた。

 何度も 何度も…何度も…

 点け。点け。点け点け点け。

 指が擦れて血が出た。でもやめない。

 点け。点け。誰か。

 導火線の先がほつれただけで、煙さえ出てこない。

 お父さんが気づき、駆け寄ってくる。

「何やってるんだ」

 鍵を開けて部屋に入ってくる。

 もうだめだ。

「おい、やめろ」

 後ろから羽交い絞めにされ、そのまま床に叩きつけられる。頬を叩かれるパンという音で意識が飛びそうになる。でも、その瞬間、開いたままになっていた扉が目に入った。あそこまでいけば。床に転がった時に痛めた右足首を引きずりながら進んだ。

 1歩。2歩。しかし、また捕まる。

「放して! 私はこんなところに居たくない! お姉ちゃんに会うんだ!!」

「ふざけるな!!」

 壁に叩きつけられる。

 うあっ

 意識が朦朧としながら視線だけは家の入口へ向いていた。でも、もう体は動かない。

 お姉ちゃん、助けて、お姉ちゃん


 その時、鉄扉が開いた。

「警察だ!! 動くな!」

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