第44話

 長い昼食を終えると、麻帆はまた奥の部屋に追いやられた。気持ち悪いくらい優しい父親――父親と呼ぶことすら嫌悪感を抱(いだ)いてしまうその男と同じ部屋に居なくてよいといのは気が楽だった。一緒にいるなら牢屋の方がずっとマシだった。

 太陽が動いて、日向(ひなた)の位置もさっきより奥側になっていた。そちらに近い壁に寄り掛かる。壁が熱せられて温かい。私がおとなしく座るのを確認すると、お父さんは「ちょっと出かけてくるね。夕方には帰るね」と言い残して出かけて行った。

 またひとりになった。ほっとする。あんなに好きだった父親が一晩でこんなに嫌いになるのか。でも、どこかで殺されないという意味もない安心感があった。そのアンバランスにどんな表情をしてよいかわからなくなる。

 座る位置を直して、窓を見る。陽は傾き始めている。夕方まであと2、3時間といったところだろうか。思ったところで、ここに時計はない。

 麻帆はポケットからライターを出した。カチッと押して火を出す。思ったより高く上がって急いで指を離す。火が戻る。ライターを戻し、ポケットの煙玉とスカートのウエストに挟んだ発信機を確認する。スマホは取り上げられたが、手荷物を確認されなくてよかった。

 昨日誘拐される前に愛理さんから渡されて、作戦を聞かされた。

 今日の夕方、ライターで煙玉に火を点ける。それで火災報知器を反応させて、部屋を確認した愛理さんと姫夏さんが突入して、お父さんを捕まえる。どうやってお父さんを捕まえるかは聞かされていないが、姫夏さんに任せればきっと大丈夫。

「『麻帆ちゃんにはごめんって言っといて』って姫夏が。どうする? 私だったらやめるけど」

 愛理さんの提案に、私は「やる」って答えた。ここで逃げても、お姉ちゃんがまた危険な目に遭ってしまう。お姉ちゃんがのは嫌だ。お姉ちゃんがいなくなるなら私も一緒にいく。

 瞬発的な使命感だった。

 私の前にはいつもお姉ちゃんがいた。私ができないこともお姉ちゃんはなんでもできた。

私が小学生の時に諦めたアイドルの夢もお姉ちゃんは叶えた。お姉ちゃん色のペンライトを振るとき、私はいつも嬉しくて泣きそうだった。お姉ちゃんと一緒にライブの動画を見ながら復習するのが楽しかった。

 かすみさんの生誕ライブで花束を持ったまま動けなくなった私の隣で、お姉ちゃんが「大丈夫だよ」って声をかけてくれた。お姉ちゃんはいつも私の隣で「大丈夫だよ」って励ましてくれた。微笑んでくれた。

 お姉ちゃんは私の大好きな大好きなアイドルだった。火事で亡くなったって聞かされたとき、心臓が苦しくなった。心臓に直接触って引きちぎることができたらって本気で思った。お姉ちゃんが生きてるって、声を聞けたとき他に全部失っても諦めてもいいからお姉ちゃんに会えればもう何もいらないって思った。もうお姉ちゃんを失うなんて許せない。

 愛理さんは微笑んた。私に発信機を付けて、ライターと煙玉を渡した。耳元で「がんばるんだよ」って言って、一歩離れて「私もファン共に会いたくなってきたわ」ってまた笑った。

 それから、半日ちょっと経った。


 ガタンと鉄の扉が閉まる音で目を覚ました。お父さんが帰ってきた。

 窓から差す日光も赤みを帯びてきている。

 私はひとつ息を吐いた。


 決行の時間だった。

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