第36話
テーブルにお椀を置いた音が、食堂に響いた。ガランとした食堂に姫夏がひとり。イスの数を見ると、20人近くは同時に食事をとれそうなスペースであるが、他の子たちはすでに食事を済ませて、学生組は学校に行き、社会人組は掃除やそれぞれのトレーニングをはじめている。食事当番をしてくれた亜美ちゃんも、練習場で新曲の振付をするとのことだった。
かすみは警察の事情聴取へ向かった。姫夏のそれは午後1時からだから、あと1時間でここを出なければならない。桜はどこにいるのだろう。さっきの話し合いの後、愛理に呼ばれてたから練習場に行ったのかもしれない。
さっきメンバー3人と事務所とテレビ電話で話し合いをし、麻帆ちゃんの捜索を警察へ依頼することと、スケジュールどおりライブの実施が決定された。反対すると思っていたかすみも、疲弊しながらもリーダーらしく決断してくれた。一安心だ。
私にはライブを中止できない理由がある。
私がステージに立って3カ月経ったころ、はじめて路上ライブを行った。その日は、11月とは思えない寒波が直撃し、ギターを持つかすみの手も、キーボードを弾く私の指もまったく言うことをきかなかった。途中からはあきらめて、アカペラになったがそれでも聴かせるのも忍びない出来だった。しかし、私たちが歌い終わったときに拍手をしてくれた女の子がいた。それが千紗との出会いだった。
それから千紗は路上やライブハウスにも足を運ぶようになった。私も彼女の拍手が嬉しくて、事務所に内緒で何度か勝手に路上で歌ったことがあった。それから2カ月後の私の生誕祭では、私と同じ誕生日の千紗のために、サプライズで彼女の好きな曲をセットリストに入れた。しかし、彼女はその日会場へ来れなかった。
生誕祭の2日前の路上ライブの時、千紗は私のメンバーカラーの花束を持ってきた。彼女はそれを私に差し出しながら、病気でこのあと入院しなければならないと告げた。だから、ライブ当日は行けないと。あとで千紗の母親に聞いたところ、その日も入院の時間をずらして私に花束を渡しに来てくれたらしい。
生誕祭は大成功した。でも、千紗のために用意した曲だけはぜんぜんうまく歌えなかった。
翌週のライブの後、マネージャーさんから千紗の手紙を受け取った。そこには、生誕祭のライブ配信を観たということと、あの曲良かったと書いてあった。私は購入してもらったオンラインチェキの包装紙にまでメッセージを書いて返した。私たちは月に1回だけ配信のあるライブを行う。そして彼女は、翌月も同じように配信ライブの後、手紙が届いた。私はまたオンラインチェキいっぱいに返事を書いた。翌月も。それが続いた。
千紗の症状は安定しているようだった。でも、まだ入院したままだ。もし、今月ライブができなくて、彼女に何かあったら……。彼女に1回でも多く私たちのステージを見てほしい。元気になってほしい。だから私は配信のある次のライブだけは中止できない。
でも――。
麻帆ちゃん……
結果として、危険な目に遭うことになってしまった少女のことを思い浮かべる。麻帆ちゃんも桜の妹であると同時に、大好きなファンの一人だ。
「よっ、誘拐犯」
振り向くと愛理が立っていた
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