第32話
奥の通路で麻帆はスマホを操作してから、おそるおそる耳に当てた。こんな時間だから通る人はいない。従業員さんは男性トイレを掃除した後、スタッフルームに戻った。キッチンからは何かが焼ける音が聞こえてくる。おそらく私とかすみさんが頼んだ、パスタとソーセージだろう。
8コールの途中で通話に切り替わった。
「……姫夏、さん。あの――」
麻帆は言葉に詰まった。「あの、」の音が狭い通路に響く。
うちが火事になった日、台風で延期になっていた修学旅行で京都のホテルにいた。起床時刻の7時を前に教頭先生が私たちの部屋のノックした。廊下に呼ばれ、自宅が火事に遭いすぐに戻るよう告げられた。部屋に戻り荷物をまとめて、同じ部屋の子たちに忘れ物してたら届けてってお願いして、担任の先生と帰路に就いた。
新幹線でスマホを開くと、家の全焼とお父さんとお母さんとお姉ちゃんが亡くなっているとのニュースを見つけてしまった。先生がトイレから帰ってくると、私は詰め寄った。ただ火事にあっただけじゃない。家族も死んでしまった。なのに、何でそれを教えてくれなかったのか。家が無くなるより、家族が無くなる方がずっと大事なことだ。先生が答えないと、新幹線の中であったけど、私は大きな声で掴みかかった。泣いた。なんで教えてくれなかったのか。私がそんなこともわからない子だと思ったのか。知ったら、私が帰らないと思ったのか。もう、信じられなかった。ひとしきり泣いて、東京駅に着いた瞬間走り出した。先生も荷物を抱えながら一生懸命追いかけてきた。改札を出た瞬間に腕を掴まれた。
「なに?!」
「まだ何か私に隠してることがあるの!! じゃあ、離して!」
振りほどこうとしても、大人の力には勝てない。私はこんなにも何もできない。いっそのこと私も家にいるときに火事になればよかったんだ。泣き崩れ、膝の力が抜ける。
「麻帆ちゃん?」
声に視線を上げると、姫夏さんが立っていた。姫夏さんは掴まれていない方の手を持って、立たせてくれた。私の目を見て、しばらく見つめてから抱きしめてくれた。先生の指が私の腕から離れた。私の涙が小降状態になってから先生と話をつけて、私を預かってくれた。おばあちゃんにも電話をしてくれた。アルバイトを休んで一日中私の隣に座っていてくれた。姫夏さんがそうしてくれなかったら、じゃなかったから、私は自暴自棄になって、線路に飛び込んでしまっていたかもしれない。姫夏さんには言葉を積み重ねたくらいでは感謝しきれない。
なのに、お姉ちゃんが生きていたのがわかった途端、姫夏さんの家を飛び出してお姉ちゃんのところに行ってしまうなんて、嫌われてしまったかもしれない。それがこわかった。
私が「あの、」の後に続けた言葉は「ごめんなさい」だった。
「なんで?」
姫夏さんが言う。私が姫夏さんを困らせて謝るたびに姫夏さんは「なんで?」って笑う。いつもそうだった。今日もそうだった。
「だって、勝手に出てきちゃったし」
「気にしなくていいんだよ。元気にしてる?」
別れて1日も立たないのに、姫夏さんは私のことを聞いた。
「大丈夫」
「そう。それならよかった」
私は姫夏さんの家を出てからのこと、今いる場所やかすみさんのことについて話した。それを姫夏さんはいつものように急かすことなく聞いてくれた。
「そういえば、空き巣に入られたみたいだけど大丈夫だった?」
かすみさんから空き巣被害について聞いていた。私が飛び出してからだから、姫夏さんが犯人と出くわしてないか心配だった。
「部屋は荒らされてたけど、大事な楽器とか衣装は大丈夫そう。盗むもの無かったんじゃない。私、お金ないし。犯人とも出くわしてないよ」
「よかった」
遠くでお店の扉が閉まる音が聞こえた。かすみさんが戻ってきたのかもしれない。かすみさんは店の外でお姉ちゃんと電話すると言っていた。
「かすみさん、帰ってきたみたい。お姉ちゃんももう少しで来るみたいだから、姫夏さんも落ち着いたら合流しよう」
「――うん」
姫夏さんが急に言葉を曇らせる。10呼吸分くらい考えてから、
「麻帆ちゃん、体調悪くない?」
「え? あ、うん」
次は、2呼吸の間(ま)。
「麻帆ちゃん、誘拐されてくれない?」
「え、何。姫夏さん何言ってるの?」
「冗談じゃないんだ。麻帆ちゃんが誘拐されてくれないと、
今度こそお姉ちゃんが殺されちゃうんだ」
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