第20話

 おばあちゃんの家に着いたとき、もう空は厚い厚い雲に覆われ、いつ冷たい雨粒が打ち付けてもおかしくない模様になっていた。木々を揺らした風が、ついでに私の首元のファーも撫でていく。午前中の日差しが嘘のように気温が下がっている。昨日別れ際に返したコートを数時間ぶりに着用した。右ポケットに入ったままになっていた手袋を着(つ)けようか迷う。

 玄関前まで来ると、呼び鈴(りん)を押す前にガレージを確認する。白の軽トラと黒の軽乗用車が並んで停まっている。おばあちゃんは他に車を持っていないから家にいるはずだ。

 しかし、呼び鈴に応答はなかった。2度、3度と押す。返事がない。遠藤に聞くと、今朝来た時も同じ状況だったよう。

「おばあちゃん、耳遠いから」

 扉に手をかけると、横開きの扉があっさりと開かれる。レールが少し弛むが、人が出入りするには不都合がない。

「おばあちゃーん、入るよー」

 スニーカーと長靴が並んで置いてある。居ると思うんだけどな。

「おばーちゃん、入るよー」ともう一度声をかけるが、返事はない。

 スマホのバックライトでスイッチを探して、夕方のような室内に光を灯す。古い家なので、それでも少し暗い。1階の台所、居間、トイレを確認するが、おばあちゃんの姿も麻帆の姿もない。

 居間にあるテレビ台に写真立てを見つける。2枚の写真が飾ってある。1枚は今年の夏に玄関前で撮った写真。おばあちゃんを中心に、私と麻帆とお母さんが囲むように立っている。もう1枚は、私と麻帆ふたりだけの写真。これは4年前、私が高校を卒業したとき。今でも年が離れているが、もっと年が離れているように見える。私が卒業したとき、「お姉ちゃんの制服は私が着るんだ」って言っていた。しかし、来年度からうちの高校も制服が一新されるらしい。それを知った時、麻帆は大泣きしたが、私がステージデビューした日、「お姉ちゃんのアイドル衣装をいつか私が着る」って言っていた。「もう引退させる気?」ってツッコみたかったが、そのキラキラした目を見た時、それも何かいいなって思ってしまった。


 麻帆は私が守るからね。

 写真立てを元の位置に戻すと、2階を探していた遠藤が階段を下りてきた。階段のきしむ音は前よりさらに大きくなったように感じた。

 仏頂面で私の顔を見る遠藤。私は目の端を拭う。

「こっちは手掛かりなし」

 遠藤は首を横に振る。

「ばあさんは居たが、手遅れだった」


 え……


「手遅れってどういうこと!?」

 階段へ向かおうとする私の腕を遠藤が掴む。

 にらみ合う。

 静まった部屋にパチパチという音と、燃えてはいけない物が燃える異臭がする。

「この臭いは」

 遠藤の手にこもる力がゆるむ。

 私は体をイヤイヤして遠藤の腕をほどき、階段を駆けあがる。寝室は階段を上がってすぐ右の部屋だったはず。部屋に入ると布団で横になるおばあちゃんに駆け寄る。眠ったように目を閉じているが、顔はすでに真っ白だった。抱きついたとき、両手が黒い液体でびしょびしょになる。

「おばあちゃん! おばあちゃん!!」

 パチパチと燃える音がさっきより大きくなり、遠くで消防車の音が聞こえる。

「おい、死ぬぞ!!」

 遠藤が私の体をおばあちゃんから引きはがした。もう頭がぐちゃぐちゃすぎて何も考えられない。


 麻帆は?


「麻帆は? 麻帆は!!」

「玄関に靴無かったろ。ここにはいない」

「でも、でも、でも」

「お前の妹は生きてる。だから、しっかりしろ!」

 遠藤は私の手首を強く掴んで駆けた。煙は階段を覆って視界を奪った。そこを抜けた。廊下は天井まで真っ赤に燃えていた。それでも止まらなかった。

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