第15話

 脱衣所の扉を開けると、ダシと醤油と砂糖の香りが漂ってくる。大きく息を吸う。

「サイズどうだった?」

「うん。ちょうどいいよ」

 ローブの袖を振って見せる。真っ白のローブもズボンもモコモコであたたかい。

「だよね。私じゃちょっと大きかったもん」

 かすみが鍋の中をおたまで掬(すく)って、そのまま味見をする。満足そうに頷いた。

 二人の男から襲撃を受けた後、かすみと連絡が付き、今夜はかすみの家に泊めてもらうこととなった。かすみがタクシーで駆け付けるまでしばらく時間がかかったが、私たちを襲った男たちは追ってこなかった。爆発に巻き込まれたのだろう。

 リビングのテーブルに置いていたスマホを開くが、着信は無い。

「麻帆ちゃんと連絡取れた?」

「出ない。どうしたんだろう??」

 遠藤は誰とも連絡を取るなと言っていたが、今、彼は知り合いの医者の所に行ったのでこの場にはいない。ならばせめて妹の麻帆にだけは無事を伝えたいと電話をかけたが、電話に出てくれない。

「おばあちゃんのところにいるんでしょ? 取りあえずは安心じゃない?」

「だよね」

 時間が時間なのでおばあちゃんの家に連絡していないが、近くに住んでいるのは父方のおばあちゃんの家しかない。おそらくそこにいるだろう。朝になったら連絡してみよう。

「まずは何か食べよう。お腹空いちゃった」

 かすみはコンビニで買ってきた総菜と、作ったばかりのカレイの煮つけを並べる。大きなカレイを切り分けていると、かすみのスマホが鳴った。

「姫夏? ごめん、遅い時間に。明日のことでちょっと話しておきたいことがあってさ。……うん……うん。ちょっと待ってて」

 かすみは私にスマホを渡す。

「姫夏。私、私」

『桜? 桜なの? 本物??』

「本物だよ」

『桜。もう脅かさないでよ。ニュース観て、ほんとに死んだと思ったじゃん』

「ごめん、ごめん」

 何が「ごめん」なのかはわからない。

『まあ、私は桜が生きてるって信じてたけどね』

 それからいくつか世間話をして、スマホをかすみに返す。

「……うん、……うん。ホームページとかには通知出しちゃったから、対応も考えなきゃね。うん。だから明日は予定どおりで。よろしく」

 電話を切ろうとして、私の顔を確認する。私は「切っていいよ」の意味で、首を横に振る。

「じゃ、また明日ね。うん、桜も連れていく。うん。あ、ところで今日、麻帆ちゃんと話した? あ、そう。じゃあね」

 電話を切って、かすみは「姫夏も話してないって」と言った。麻帆に一刻も早く会いたかったが、あと数時間の辛抱だ。日付はすでに変わっていた。

「乾杯しよ、乾杯」

「うん。でも、かすみ、お酒じゃなくていいの?」

 飲んべえのかすみがソーダを持っている。

「いいのいいの。今夜は徹夜で桜と話すんだから。覚悟しといてよ」

 すごく長い一日だった。でも、かすみの笑顔を見たら今日あったことや、めんどくさい悩みなんかは一旦どこかに置いておきたくなった。

「楽しみ」

 私はかすみのグラスに自分のグラスを当てた。



 電話を切ると、姫夏は大きく息を吐いた。吐息の全部が白く舞った。死んでいないと信じていたが、いざそれが現実になって、桜の声を聞いたら言いえない気持ちがこみあげてきた。当たり前に毎週会っていた桜なのに、明日会えるのがすごく久しぶりで、すごく楽しみになった。ほっとしたらお腹が空いてきた。

 アパートの階段を上がり、自分の部屋に戻る。リビングに入ると声をかけられる。

「姫夏さん、何の電話?」

「仕事の関係。あ、バイトの方」

「そうなんだ。ねえ、また、かすみさんとお姉ちゃんのスマホから着信あったんだけど、折り返しちゃだめなの?」

 麻帆はソファーの隅で小さく座っている。中学三年生だが、小柄なせいで少女のように見える。

「まだダメかな。それより、お腹空いたから何か食べよっか」

「さっき食べたばっかりじゃん。いいか。私、調理得意だから何か作るね」

「ありがと」

「ねえ、姫夏さん――。姫夏さんが迎えに来てくれなかったら、私、お父さんやお母さんや、お姉ちゃんが死んだの耐えられなかったと思う。ありがとう」

 姫夏は何も答えず、麻帆がキッチンへ向かう後ろ姿を見送った。


 翌朝のニュースで、3人の死は事故ではなく殺人の疑いがあると報じられた。

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