第12話
ぱちぱちと部屋の壁紙や家具が音を立てて燃えている。木製の家具から、薄甘い香りが立ち上(のぼ)る。しゃがんでいても、煙が目に入って痛い。
「お前たち何者だ!」
私を誘拐した男――遠藤がスーツ姿のふたりを睨みつける。入り口側に立つふたりは薄ら笑いを浮かべている。その表情が炎の赤い光に照らされる。
「誰でもいいだろう。その女をよこせ。いや、殺させろ」
「いやだ、と言ったら?」
男たちは首を鳴らしながら、2歩3歩と近付いてくる。
「おいおい、何を言っている」
男たちは拳銃を取り出して、こちらへ向ける。遠藤は手を広げて私の前に立つ。
「命をかけて守るほどのもんじゃないだろ」
「殺されちゃ困るんだ。この女を引き渡して500万円もらうんでね」
「500万ぽっちで死にたいのか」
拳銃の弾が遠藤の足元で跳ねて私の耳元を通過する。風を切り裂く音が鼓膜を揺らす。
「わかった。わかった。でも、理由を聞かせろ。なんで、こいつを殺そうとする。殺したら事務所から身代金も取れないだろ」
「わかった」と言いながら、遠藤は私を庇うように広げた両手を下そうとしない。それどころか、発する声は大きくなっている。
なんでか、かすみと重なる。私がマネージャーさんやボイトレの先生に怒られてるとき、かすみはいつでも私と先生たちの間に立って、一緒に聞いてくれた。私が悪いときも、「大丈夫だよ」って背中で伝えてきた。
なんで、会ってまだ1日しか立っていない誘拐犯に重ねてしまうのだろう。ちょっとだけ、だけど。
「そんなもの知るか。俺たちはその女を殺したら金が入る、それだけだ。わかったら早くどけ!」
車道側の窓ガラスがまた1枚音を立てて砕けた。差し込む風に煽られて火の粉が舞う。しびれるような顔の熱さに反して、吹き込んだ冷風が髪のリボンを揺らした。
「殺される理由のない人間を殺させるわけいかねんだよ。ばーか」
男の「ふざけるな」の声と、銃声がしたのはほぼ同時だった。遠藤が左わき腹を押さえて膝を落とす。
「こいつはな、生きる理由はいっぱいあるけど、死ぬ理由なんてねえんだよ」
また銃声がする。が、今回は外れたようだった。2メートル先の缶詰が宙を舞った。
「すまなかった。いっぱいは言いすぎだった」
こういう冗談の言い方は何か姫夏っぽかった。
「でも、ひとつだけあるんだよ。でっかい夢がなあ。でっかすぎて押しつぶされて、死にたくなっちまう位でっかい夢がなあ」
遠藤はわき腹を押さえながら立ち上がる。左わき腹と右の膝あたりが血で真っ赤に染まっている。
「だから、死なせるわけにはいかねえんだよ」
「なんでそこまでしてこの女を庇う。お前がどうしようが女は死ぬんだよ」
「うるせえ。
……ファンになっちまったんだよ。
さっき、真剣になったこいつの目を見た時にファンになっちまったんだよ。おかしいだろ? こいつの歌を聞いたこともねえけど、笑ってるの見たことねえけど、夢、叶えんの見たくなったんだよ」
「じゃあ、お前から死ね」
拳銃を両手で構えて、遠藤の額を狙う。威嚇ではない。まずは遠藤を殺そうとしているのは明確だった。
私を誘拐した男が、私を殺そうとする男たちに殺されようとしている。その後、どっちにしても、私は殺されるだろう。でも――。
私の心はそうしたいって言っていた。
立ち上がり、遠藤の手を掴んで走り出す。撃たれるかもしれない。殺されるかもしれない。でも、止まらない。
私はアイドルだ。ファンの手は絶対に離さない。
裏口に向かう間も銃声が止まらなかった。5メートルも無い距離がスローモーションのように感じる。
もう少し。もう少し。
裏口を飛び出した瞬間、ガソリンタンクに引火し車が激しく爆発する。後ろから男たちのうめき声が聞こえた。私と遠藤も爆風で吹き飛ばされ、道路に全身を打ち付けられる。もう一度立ち上がるが、右ひざを痛め走ることができない。男たちが追いついてくる前に少しでも距離を取らなければいけないのに。思っても、思っても思っても、足は全然前に進まなかった。
その時、私のスマホが鳴った。
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