第11話

 何度確認しても、依頼人からの連絡は来ていなかった。息をすると、藍色の空に浮かぶ月を白くぼかしてすぐに霧散した。この時期にしては珍しく、今夜は最低気温が一桁になるとさっきのニュースで言っていた。あの後もずっとテレビを点けっぱなしにしていたが、誘拐のことはおろか火事の続報はない。

 スマホをコートのポケットに入れたところで、女が扉を開けた。両手で抱えるようにスーパーの白い袋を携えている。遠藤がそれを受け取ると、自分のスマホを取り出して耳に当てた。10秒後、またポケットに戻す。

「出ないか?」

「うん」

 「まだバイト中なのかな」と薄汚れたカーキ色のコートのフードを被る。先ほどから、アイドル仲間のかすみに電話しているが、出てくれない。

「そうか」

「妹には電話しちゃダメ?」

「まだダメだ」

 「そう」と女はコートのジッパーを口元が隠れるくらいまで引き上げた。

 誘拐しておいてこんなこと言えた義理じゃないが、今日はおかしなことが多すぎる。女が自殺しようとしたタイミングで俺たちがその本人を誘拐し、直後に家が全焼、誘拐された女を含めて家族3人の死亡報道、そして、偶然にも修学旅行中で難を逃れた妹、そして、連絡の取れない依頼人――。

 妹にはすぐに連絡させた方がいいかもしれない。でも、状況がはっきりしてからの方がいい。依頼人と連絡がつくまでは。この女の感情が安定しているのがせめてもの救いだった。

 何日分の食料を買ったんだろう。思いのほか重い袋を手首にかけ、コートのポケットに手を入れると、いつから入れっぱなしだったかわからないニットの手袋が入っていた。薄黒く汚れ、買ったときの半分の薄さになっている。叩いて汚れを払って女に渡す。

「ありがと」

 女はそれだけ言って、また視線を外す。

 確かに今夜は寒くなりそうだった。暖房器具はあっただろうかと考えていると、住処にたどり着いた。扉を開ける。鍵をかけ忘れていたことに気が付いた。盗まれるもはないが。

「おじさん、ちょっと来て」

 女が叫ぶ。リビングに行くと、その声に言葉を失った。


 何があった……


 点滅する蛍光灯。皿が散乱し、冷蔵庫が倒され、そして、窓も蛍光灯の一部も割られていた。大して残っていなかった食料も壁に投げつけられ、灰色に汚れた壁にビールの泡が残っている。

 ただの家探しではない。悪意のある当てつけ。忠告。

 でも、誰が。

 直後に、外の止めていた車が炎に包まれる。すぐに黒煙が上がり、外に面していた窓ガラスが膨張して砕けた。


 きゃーーー


 ガラスが割れた音におどろき、女が悲鳴を上げた。


 車が燃える音に混じり、ガラスを踏む音に気づいた。一歩また一歩と近付いてくる。ふたり、だろうか。しゃがみ込む女に駆け寄り、庇うように立つ。

「だいじょうぶだ」

 女に声をかけるが、たぶん、聞こえていないだろう。でも、それだけ声をかけ、視線を正面に戻した。


 ドアだった場所を入ってきた、スーツ姿の男たちと目が合った。

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