第8話
住処(すみか)に戻ってきてから、女はずっと泣いている。まだ分別(ふんべつ)があったのか、外ではおとなしく涙を流し、ここに着いた途端に声を上げて泣きだした。無理に彼女の正体を聞き出すわけにはいかず、両手両足をロープで縛り、2階のベッドの上に放置している。遠藤も中学生のころに母を亡くしており、大切な人がいなくなる辛(つら)さを知っている。父は物心着いた頃にはいなかった。
止まることない女の悲鳴に心が落ち着かずスマホを点けてみるが、どこからも着信は無かった。試しに依頼人の番号にかけてみるが、電源が切られているようだった。
依頼人はどうしてしまったんだろう。予定通り女を誘拐したものの、待ち合わせ場所の廃港には現れなかった。その後の火事のせいで身代金を要求しようとしていた両親が死亡し、使い道を失った女を俺たちに押し付けたのだろうか。そして、昨晩電話してきた男は誰だったのか。単純に依頼人の仲間とは思えなかった。
だとしたら、厄介なことになったな。遠藤は苦笑いを浮かべる。しかも、もし彼女が小梨 桜ではなかったとしたら、誰を誘拐してしまったのだろうか。顔を見られているので、放り出すわけにはいかない。手詰まりだった。
深く息を吐き、一部が裂けたソファーに寄り掛かった。スプリングが渋い音を出す。
「遠藤さん」
中山の声に意識が戻される。
「こんな時にいうのはあれなんですが、バイト行ってきていいですか?」
予想外の発言に変な返事になる。
「いいけど、もうすぐ1千万手に入るんだぞ?」
一生暮らせるほどではないが、しばらくの間働かなくて済むくらいの収入にはなる。
「今のバイト、好きなんです」
「そうか。気をつけろよ」
「はい」とデイバッグを背負って明るい外の世界へ飛び出していった。そのさわやかな背中と女の泣き声が不釣り合いに響く。
テレビでは、また、あの火事の報道が流されている。警察の記者会見も終わり、現場からの中継がされている。何度も下見はしたが、焼け落ちて改めて建物の大きさを感じた。中継先の女性キャスターは通報時刻、火災の規模、失火原因、近隣への影響、駆け付けた消防車の台数、そして、事件性について伝えていた。
事件性があるとされれば、近くの防犯カメラが調べられ、遠藤たちへも捜査の手が伸びるかもしれない。女が静かになったら、念のためここを離れた方がいいかもしれない。中山には後で連絡すればいいだろう。
様子を確認しようと監視カメラに目を向けたときだった。どこから手に入れたのか、女が自分の首元に包丁を向けたところだった。
「くそっ!」
遠藤は階段を駆けあがった。
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