第24話 背伸びしたい時にはブラックコーヒー

「…緋山さん、これ」


「えっ、ああ、どうも」


 忘年会から数日後の朝、今日も食料調達やら救助活動に乗り出そうと本堂に繰り出した瞬間、話した覚えのない少年に一枚のメモ用紙を渡された。縁の細い眼鏡を掛けた高校生くらいの男の子で、見覚えこそはあるが話すような間柄ではない。で、なんだこれは?


 人差し指と親指で紙の端をつまみ、破かないように開く。中に書いてあった文字は走り書きだが綺麗だ。差出人はほたるのようだ。


「何々、救助要請か…、場所はっと…、すぐ近くだな」


 ZOPICSでのサーチ活動の成果報告か。目的地はとあるカフェ。そこに一人の男性が避難しているらしい。


「あの…」


 メモを渡してくれた男の子が話しかけてきた。まだ、何かあるというのだろうか。じっとオレのことを見つめている。


「ああ、ありがとう。メモ渡してくれて」


「白峰さん、今仕事が立て込んでいて、今日は仕事三昧。黒川さん、今部屋が散らかっていて、今日は掃除三昧」


 どうやら言伝まで頼まれていたらしい。二人とも今日は立て込んでいるらしい。しかし、千鳥はほたるに何か言われたんだろうな。アイツは自発的に部屋の掃除をするような女じゃない。まあ、自業自得だからな、ちゃんと掃除をして欲しい。


「ありがとう。…で、何で君が教えてくれたんだ?」


「僕は…、二人の下僕ですから…」


 眼鏡の奥の瞳が濁っているのが確認できる。一体、ほたると千鳥は何をしたんだ。あと、彼は正気なのだろうか。彼はブツブツ何かをつぶやきながら、この場を立ち去った。


 さて、ほたると千鳥が同行不可。ミナも今見たら今日はかなり忙しそうにしていたので、今回は一人で出ることにした。近場だし、相当の手練れでも無い限り、オレは一人の方がやりやすいし。


 見張り番の新堂さんが扉を仰々しく開く。朝の健康的な日差しがオレの身体を照らす。冬の匂いが仄かに香った。教会の壁にいつだかのキックボードが立てかけてあった。興が乗ったので、今日はこれで移動する。


 ほたるにメモの場所へ行くと連絡したところ、L〇NEで目的地の画像と位置情報が送られてきた。因みに今回は手間取らずにメッセージアプリを開くことが出来た。やれやれ、オレにかかればこんなものか。


 キックボードはスイスイ進み、通り道に散見されるゾンビを搔い潜って目的地に近づいていく。冬の風が冷たくて気持ちいい。乾燥しているのか、喉が渇いてしまったが。


 目的地の建物が見えてきた。が、入ろうにも出入口にゾンビが密集しており、邪魔で入れそうにもない。オレはキックボードを立てかけて、ダモクレスを取り出す。ダモクレスを地面に叩きつけて音を立てる。


「おいおい、そこは今日はオレの貸切なんだ。どいてもらうぜ」


「ギュ?グガアアアア!!!」


 出入口に群がっていたゾンビは合計五体。その全てがオレの存在に気付いたようで、思い思いの格好で襲い掛かってくる。


 オレはダモクレスに魔法を付与する。属性は風、ダモクレスを中心とした小規模の竜巻が発生した。この竜巻に触れれば、柔いものなら一瞬で塵と化する。ゾンビの肉体はすぐには無理そうだけど。


 一番先頭のゾンビに野球選手よろしくのフォームでバットを振るう。ヒットしたゾンビの頭は胴体とお別れし、頭部は近くにいたゾンビの頭部に直撃した。ゾンビはヘルメットを着用していなかったので、両方の頭部が破損した。残り三体。


 続くゾンビは、一体目のゾンビの胴体の背後から襲い掛からんとしていた。ので、首の無い胴体を叩きゾンビに押し付ける。ゾンビは胴体の下敷きになったので、頭部を踏み抜いておいた。残り二体。


 最後の二体のゾンビの内一体は飛びかかり、もう一方は足元を狙いに来た。何故か、サーカス団のようなコンビネーションをみせている。オレは飛びかかりゾンビを上から叩き落とし、足元ゾンビとのサンドウィッチを作った。二体の頭部に竜巻を近づけ、頭部を破壊する。これで全滅だ。


 遮るものがなくなって、はっきりと見えるようになった引き戸には、強固な防衛加工がなされており、力技ではビクともしないだろう。なるほど、これなら耐久も可能だ。


 ドアを破壊するワケにもいかないので、三回コンコンコンとノックをする。ゾンビなら立てないであろう音だ。中の生存者が疑心暗鬼に駆られて正常な判断力を失っていなければ、きっとこのドアを開けてくれるだろう。その目論見通り、ドアの向こう側から物をどかしているような音が聞こえる。


 二、三分程待っただろうか。向こう側からドアノブが捻られた。その扉を開いて出てきたのは、少し気疲れのようなものが観測されるが、身綺麗な老紳士だった。口元のちょっとした白髭がよく似合っている。


「やあ、こんにちは。こんな世界の終わりに私の店に来てくれてありがとう。歓迎するよ」


 店主は朗らかな笑顔でオレのことを招き入れる。無論、断る理由もないので、お言葉に甘えて上がらせてもらう。扉を閉めると、チリンチリンとベルの音がなったのに気付いた。


「もしかして、あのサイトの書き込みを見てくれたのかい?ならば、老人でも無理して書き込んでみるものだね」


「ええ、そうです。書き込みを確認しました。間に合って良かったです」


「ああ、そうだね…」


 少し店主の顔が曇った。どうやら、まだ根本的な解決に至っていないような。まあ、それもそうか。ここはまだ危険地帯だし。


「さて、オーダーは?当店自慢はコーヒーだよ」


「では、そのコーヒーをお願いします。ちょうど喉も乾いていましたから」


 店主はレコードで落ち着くような音楽かけ、コーヒーの焙煎機に向かい始めた。全体的にアンティークなインテリアが揃えられている、古き良き雰囲気がするいい店だ。


「君はどうやってここに来れたんだい?この店の近くには、ゾンビが大量にいた気がするが…?」


「全て排除しました。そうできる力が備わっていましたので」


「それは、凄いものだ。そんな方の時間をこんな老い耄れのためにとは、勿体無いことをしてしまったな。せめて、至上のコーヒーをご馳走しよう」


 肩をすくめて笑う店主。老い耄れのためにというが、命には重さの違いはない。残されている時間の量で、助かるべき人間は決められるものではない。


 世間話にも満たないようなポツリとした会話が続いていく。店主も人恋しかったと自白し、これでも口数の多い方だと漏らしていた。コーヒーの匂いが店中に充満し始めた。


 やがて、オレたちの間に会話はなくなった。レコードから聞こえるクラシックに耳を傾ける。聞いたことがような気がするが、の〇めカンタービレのドラマをリアタイ視聴したオレでも題名は解らない。少なくとも、千鳥がよく聴いている『トロイメライ』ではないのは確実だろう。


「お待たせ致しました。さて、コーヒーをどうぞ」


 白いカップが白い小皿に乗せられて目の前に提供される。コーヒーから湯気が立ち込めている。ミルクやシュガーを入れようか迷ったが、一口だけはそのまま味わおう、じっと見つめてくる店主の眼力にそう思わされた。


「ありがとうございます。では、頂きます」


 口に近づけて、より一層のコーヒーの芳醇な香りを楽しむ。そう言えば、こんな本格的なコーヒーを飲むのは初めての経験だ。カップの縁に口をつけて、少し多めに口に含んだ。


「うっ…、苦い…」


「はっはっはっ、どうやらお客さんには少々ビターだったかな?」


 これはオレの口にはかなり苦い…!しかし、背伸びをしたオレにもこのコーヒーが今迄のコーヒーとはものが違うことが分かった。


 体をあっためる最中感じる深いコクがありながら、後に残ることのないようなスッキリとした苦み。コーヒーの香りが鼻の内部から通っていく道を感じられた。


 すっかり感動しているのが顔にはっきりと書いてあったのか、店主は満足そうに笑った。だが、店主はその顔をすぐに暗くし、重そうに口を開いた。


「さて、折角助けてくれたので、お代はなしでいいと私も言いたいところなのだが…」


「何かお困りでも?」


「ああ、ついてきてくれるかい?」


 そう言って、彼はカウンターを開く。来て欲しいということだろう。カウンターの奥にあった扉に手を掛けた。


「今から私は相当な自分勝手を言ってしまう。嫌なら引き返してくれて構わない。どうする?」


 問われるまでもないことだ。オレは誰かが気兼ねなく自分勝手を言えるような平和な世界の為に活動していると言っても過言ではない。老紳士一人の自分勝手など、今更造作もない。


「お供しましょう。一杯のコーヒーの恩がありますから」

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