第25話 ビタードリップララバイ
少し開けづらそうにそのドアを開いた。金具が錆ているのだろうか、ギギと鈍い音が耳に入る。古い空気が伝わってくる。
「ついてきてくれ、暗くてよく見えないが階段になっている。足元に気を付けて欲しい」
店主が壁に設置されている電源をオンにすると、電灯の黎明期のような豆電球が淡く照らした。見えるようになったのは、急勾配の地下へ続く階段。店主はカウンターから取ってらしいランプを持って階段を下っていく。
「この地下はなんの為に?」
「なに、普通の地下倉庫さ。実は私のカフェは、夜にはバーに変貌するんだ。そこで提供するアルコール類の保管に必要でね」
映画などでよく見るバーのワインは地下で保存されている。まあ、そういうものであると考えればいいのだろう。
「では、何故オレをここに?二十歳は超えているので、一応アルコールを嗜むことは出来ますけど」
「…すまないね。それが目的ではないんだ」
さっきコーヒーを飲んでいる時に見せたあの顔を考えれば、それが目的ではないことは明白ではあった。彼は商品を提供する際には、笑顔を浮かべることだろう。出会って間もないが、利益よりも満足度を重視するタイプのように思えた。
階段を下り終えた先には、先程と同じような扉があった。この扉もあまり使われていないのだろう。埃の溜まっている箇所がある。
店主はドアノブに手を掛けた。しかし、彼はその手をじっと見つめて停止してしまった。この先には相当に躊躇われるものがあるのだろうか。手がカタカタ震えて、ドアノブに伝わっていた。
「…ここまで来てもらって言うのもなんだが、引き返すなら最後のチャンスだ。君はどうしたい?」
彼の目は酷く動揺していた。その目を見てオレは悟った。ここでオレが引き下がってしまったら、彼は救われることはないのだろうと。結果、オレのカウンターでの覚悟はより強固なものへと進化した。
「最後までお供しましょう。乗り掛かった舟ですので」
彼は安堵を覚えたのだろう、上がっていた肩から力が抜けて、深く息を吸うことが出来た。改めて扉に向き合い、そしてゆっくりとドアノブを捻る。
扉の先は真っ暗だった。アルコール類が保存されていると言っていたが、酒臭いという感想は出て来ない。保存環境が良いのだろう。しかし、この部屋には似つかわしくないような音が聞こえた。
パチリと部屋に灯りが点いた。思っていたよりも広い部屋だ。綺麗に並べられた棚の数々には年代物かつ高価そうなワインが幾つも寝そべっている。
そして、棚の隊列を抜けた先に、先程の正体があった。否、「いた」と表現する方が的確だろう。店主はその存在に近づく。
「…久しぶりだな。なんだ、その…、元気そうじゃないか」
店主は気まずそうに、しかし気遣い無用に話しかけた。彼が話しているそれは、オレがこの世界に戻って来てから、何度も出会って何度も殺してきたゾンビだった。その身柄は鉄製のロープで椅子に括られている。厳重に拘束されていて動けそうにない。
「こいつが見せたかったものです」
こっちに一瞥もくれず、ぼそりとそうつぶやいた。彼のゾンビを見つめる目には哀憫が宿っていた。ゾンビはその眼に気づいていないように、歯をガチガチと鳴らし血走った眼を向けている。
「…このゾンビは?」
「私の、倅です…。私の目の前でこうなってしまいました」
「…心中お察しします」
確かに目の前のゾンビには、店主の面影を見ることが出来る。拘束で見づらいが、店主のエプロンと同じものを付けているようだ。
「…三日前のことだったかな。店の外は先日より世界の終わりに瀕していた。しかし、お客を来るやもしれないお客を無碍にすることも、私の信条が許さなかった。だから、私はこの店を営んでいた。倅はそんな頑固に付き合ってくれていた」
店主の声は震えていた。拳は血が出そうな程固く握られて、呼吸は粗くなり始めていた。
「店の外が俄かに騒がしくなった。私もおかしくなってしまっていたのだろう。何の疑いもなく思ってしまったんだ。お客が来てくれたんだ、ってね」
彼の膝が力を失っていく。やがて、彼はどさりと膝から崩れ落ちてしまった。その目線はゾンビよりも下となる。ゾンビの顔を見つめる彼は、顔を上向きにした。
「無論、ゾンビだったよ。私はなすすべなくそこで食われる、そのはずだった。倅は私を突き飛ばした。こんな老い耄れの身体だ、よく吹っ飛んでいったよ。次に私が見た光景は、倅がゾンビに食われたその瞬間だった」
「…そうですか。優しい息子さんだったんですね」
「ええ、優しい子だったんだ。こんな親不孝者になってしまうとは思ってもみなかったよ」
オレもゾンビに今一歩近づく。ゾンビのターゲットは店主から変わらなかった。店主は今一度オレの方へと顔を向けた。その顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「頼みが、あります」
「はい」
彼は声を振り絞る。それでも尚絞り出したその声は、か細く消え入りそうなものだった。
「コイツを殺してやって下さい」
オレは何も答えられなかった。聞こえなかったワケじゃない。それは余りにも重かったからだ。幾ら咀嚼しても飲み込めないような。
「倅は最後にこう言った…!この口はオレの誇りだと。あらゆる美味を究めるためのものであると。だから、この口で誰かを殺めるなんてこと、死んでも死にきれないと。だから…、だから、ここで息の根を止めて欲しいと…!」
だが、その息子さんの意思に反して、彼のゾンビは今ここに存在している。オレでも重い判断だったのだ。店主にのしかかる重さは何者にも推し量れるものではない。
「私には…、私には出来なかった…!だから、私の代わりに息子の最後の願いを叶えてくれませんか!」
ばっと立ち上がり、ガッと肩を掴まれた。しかし、その力は余りにも弱く、細く震えていた。
聞くまでもないことだろうが、彼の真意は「息子を助けたい」だろう。しかし、彼にはどうすることもできないから、せめて願いを聴いた。
現状のオレにそれを可能とする神通力は備わっていない。オレは無力だった。無力だから、表面上の彼の願いを繕うことしか出来なかった。喉から嫌なものがつっかえている感覚があった。
「…店主さん、すいません。その願いをオレが掬いましょう」
そう言うと、彼はまた崩れた。オレの足へすがりつく彼は、嗚咽を漏らしていた。オレも膝を着き、彼を軽く抱擁する。そして、彼を優しく離した。
オレは剣を構える。握る柄がいつもよりも冷たく感じた。剣を高く構えた。首筋は拘束されていて、とても捕捉しやすかった。
「グルルルルルルル…!」
「ごめんなさい…、貴方をこのような方法でしか…」
「ウウウ、、、、、…」
唸り声がしんと止んだ。肩の力がだらんと抜けている。一瞬、ゾンビの顔がとても穏やかなものに見えた。気のせいだろうか、どうだろうな。やがて、オレは剣を首に振るった。
店主は首のない胴体を見て、地下室一杯に号泣した。首から流れる血が、彼の膝の衣類を染める。赤い水溜りに、ゆったりとした液体の流れの中には不自然な波紋が広がった。
「コーヒーをどうぞ」
「ええ、ありがとうございます」
白いカップが目の前の席に提供される。暖かいコーヒーの湯気が広がる。ふわっと深いいい香りがした。
「…ありがとうございました」
「お礼を言われるようなことはしていません。寧ろ、恨み言の一つでも吐かれてもおかしくない」
「…そういうなら、そのコーヒーを飲んで欲しい。とびきりの出来で淹れたんだ」
カップの中を覗き込む。オレの顔が映っているようだが、その表情は確認できない。
ぐいっと口の中に香りがいっぱいに広がるようにコーヒーを飲んだ。
「苦い、苦いなあ…」
そのコーヒーは相も変わらず苦かった。けど、今はその苦さが丁度良かった。
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