第14話 軸
それは、大体の者が寝静まる午前4時のこと。部屋の端の方から聞こえる騒ぎの声の声でオレは目覚めた。
「補佐!止めてください!」
「離せ!佐藤!」
その声の主は、課長補佐と見張りの佐藤さん。佐藤さんが課長補佐を羽交い締めにして拘束している。あからさまに揉め事の気配だ。オレも急いでそこに駆けつける。
「どうしたんですか!?」
オレが声をかけると、少し安堵した表情を見せる佐藤さんと、その正反対の課長補佐。このリアクションから、疚しいことがありそうなのは課長補佐の方だが、両方の意見をくみ取らなければ公平な判断は出来ない。だが、最初にオレに状況を説明してくれたのは、二人のどちらでもなかった。震えた声の麻衣ちゃんの声がした。
「補佐が…!私の寝込みを…!」
「何を言ってるんだ!言いがかりだ!」
「補佐!俺も見てました!」
「黙れ!佐藤!」
課長補佐が麻衣ちゃんを強姦しようとした。確かに彼女の着衣は乱れている。状況証拠は揃っている。オレは頭がぼーっとなりそうだ。
「私も見ていました…」
「アタシも見た。佐藤さんの対応が遅れていたら危なかったかも」
「うるさい!メスどもが!黙れ!」
ほたると千鳥もその現場を見たという。二人は彼を蔑視する。補佐にはもう取り付く島もないようで、大声で叫ぶことしか出来ない。
「いいじゃねえか!どーせ、俺たちは終わりなんだ!最期くらいよお!」
「はあ!?アンタ、そんなの通じるわけないじゃん!」
「君、言葉が過ぎるぞ!」
「部長もここに来てから偉ぶっちまってよお!本当はこっち側だろお!」
彼は罪を認めた。しかし、抵抗は激しくなる。火事場の馬鹿力でも発揮しているのか、体格の優れた佐藤さんも抑えるのに苦労している。
すると、するりと抜けた補佐の拳が佐藤さんの鼻っ柱にぶち当たった。佐藤さんは思わず拘束を解いてしまう。補佐は一目散に扉の方へ。この場から逃走を図ろうというのか。しかし、オレの魔法で作った鍵がそれを許さない。
オレは補佐を拘束する。
「ちくしょう!ちくしょう!」
「落ち着いてください」
「てめえの所為だ!てめえが…!」
「オレのことは信用頂けませんでしたか…?」
「てめえみてえな怪しい奴、信用できるわけねえだろうが!」
彼は絶叫する。すると、麻衣ちゃんがつかつかと近づいてきて、補佐のことをひっぱたいた。叩き慣れていないのであろう、彼女は叩いた後の左手を反対の手でさすっている。
「心底失望しました…!彼よりも、よっぽど貴方の方が信用なりません!」
「くっそお!言わせておけばよお!」
しおらしくなる様子のない課長補佐。周囲はその様子を見てか、積もりに積もっていた彼への不満が爆発した。
「そろそろ認めろよ!アンタいっつもそうだよな!」
「自分の失敗を部下に押し付けて!」
「強姦するのも時間の問題だと思ってましたよ!いつもお尻とか触ってきてるのバレないとでも思ってるんですか!?」
啖呵を切ったように、責め立てられる補佐。流石の彼もこの様を見て大人しくなった。しかし、今度は一度ついた火が消えなかった。たじろいでしまうほど、業火は燃え盛る。
「もうさ、お望み通りにしてあげればいいんじゃない?」
「確かに!補佐は外に出たいし、私たちは補佐と一緒に居たくないし」
「いいアイデアだ!よし、そうしよう。緋山さん、後はこっちにお任せください」
極限状態は人を変える。彼らは正気じゃないだろう。今外に出す、そのことが何を言っているのかは明白だろう…?
「さあ、早くこっちに」
「…嫌だ!嫌だ嫌だ嫌だ、嫌だあああ!!!」
「この期に及んでまだ我儘ですか。本当にどうしようもないですね」
「緋山さん?どうしましたか?貴方もいい加減耳障りでしょう」
彼らの要求を飲むことは出来ない。当然だ、このまま引き渡せば、彼は死んでしまう。それは勇者のしていいことじゃない。
「いえ、それはできません…」
「どうしてですか?まさか、貴方は彼をかばおうとしてるんじゃないですか!?」
「そういうワケでは…、ただあなたたちのしようとしていることは…」
「彼は今迄散々迷惑をかけてきたんだ。その報いを受ける時が来ただけですよ」
もう彼らは止まらないのか?どうやってこの暴走を止めることが出来る?確かに、彼は過ちを犯した。しかし、それを法の下の裁き以外の粛清を与えるのは間違っている。ましてや、彼を殺そうだなんて…
「オレは!貴方たちがこの人を殺そうとしているのなら…!」
「別に殺そうだなんて考えてませんよ。外に出てどうなるかは彼次第ですから」
「どうなるかなんて、そんなのわかっているでしょう!」
「達也、アンタはコイツも助けようとしてるの?」
その声が響いた時、刹那の静寂があった。千鳥の声がしたのだ。
「アンタは本当に誰も彼も助けるつもりなの?こんなどうしようもない奴まで?」
「…彼は過ちを犯した。でも、だからってこんな仕打ち許されるワケないだろう!」
「ソイツのしたことは、直接的に命を奪う行為じゃない。でも、ソイツの身勝手一つで生涯残る傷を負ったかもしれない。それでも何事もなく、差別なくソイツまで救おうっていうの?」
千鳥は諭すように問いかける。彼女は補佐を如何にかしたいんじゃない。オレを如何にかしたいんだ。
「でも、オレは承服できない…。だって、オレは人々を救う存在だから…。だって、オレは勇者だから…」
「…ねえ、アンタの言う「勇者」って、何処か歪んでるんじゃないの…?」
「そんなことは…!」
苦しい、吐きそうだ。眩暈までしてきた。まるで体を無暗にガンガンと揺らされているような…
「ソイツを渡して。アタシはソイツを追い出そうとは考えてない。ちょっと大人しくしてもらうだけ」
「オレは…、オレは…」
そんなことはない。そんなことはない。そんなことはない。オレは勇者だ。人の命を救うことに間違いなんてないはず…!
「…?おーい、達也?コイツもらっていくよ。佐藤さん、手伝って」
「はい、補佐。大人しくしてください。これ以上は容赦ないです」
オレの手から、いつの間にか補佐は居なくなっていた。気付いた時には補佐はグルグルに拘束されていた。補佐の顔はぐしゃぐしゃだ。その実行犯であろう千鳥を前に、部長が土下座している。
「頼む、この通りだ!彼の処遇を軽くして欲しい!これは上司である私の責任問題でもあるっ!」
「部長…」
「えっと、部長さん?アタシたちはコイツをどうしようとか考えてないんです。ただ頼まれたんです。彼女に」
千鳥の視線の先にいるのは、今回の被害者である麻衣ちゃんだ。彼女は一同の注目を集めながら、震え声でこう言った。
「もう止めてください。私が言い過ぎました」
そんなことはない。麻衣ちゃんが言い過ぎたなんてことは。けどきっと、麻衣ちゃんは優しいから、この場の収束を図る為にこう言ったのだろう。
その言葉が決定打となったようで、彼らの火は冷水をかけられたように消えた。
オレは何も出来なかった。…確か、前にもこんなことがあった。
あれは魔界に入りったばかりの頃、オレが助けようとした男は金に目がくらみ、悪魔に魂を売った愚かな男だった。
「おい、タツヤ。ソイツを渡せ。殺す」
「…オレは勇者だ。だから、彼も助けなくては…!」
「タツヤ先輩。私もローグさんに賛成です」
「ソイツの身勝手で、この街は滅んだんだよ!人間を傷つけたソイツは、タツヤの敵の「人類に仇名す者」じゃないの!?」
「タツヤくん。貴方の思想は高潔なものだと思うわ。だけど、人間はそれに見合うほど高尚な生き物ではないんじゃないかしら」
「タツヤ、その理想を見失うな。だが、その理想に惑わさされるな」
「オレは…!」
結局、あの時と同じだ。だが、彼と他の者の何が違う?彼は狂ってしまっただけで、他の者も狂ってしまうんじゃないか?
「不毛だ」
ローグは持っていた剣で、オレを傷つけないように器用に彼を切った。彼はすぐに動かなくなった。彼の血が頬に付いた。
あの時から答えが見つからない。だが、極限状態は人を変える。あの時の彼も課長補佐も、ただそれに狂わされただけじゃないのか。一度過ちを犯した人間は救われるべきじゃないのか…?
「わかんねえよ…。教えてくれよ、師匠」
「麻衣さん、なんで「補佐を連れてきて」なんて頼んだんですか?」
「…きっと、このままだと彼は死んじゃうから」
「多分、そうだね。達也がなりふり構わず抵抗すれば別だろうけど」
「それはイヤだったの。もう私のせいで誰かが死んじゃうのは…」
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