第5話 deeper darker

 遂に目までイカレちまったか?おかしいな、俺の目の前にいるゾンビは、俺の記憶の何処にでもいるような仲間、タツと同じ格好をしているように見える。


 …いや、現実見なきゃな。タツ、お前こんなとこでくたばっちまったんだな。情けねえな。


 んで、おめえがここにいるってことは、腹積もりは俺と同じだろ。オヤジのアレ、取りに来たんだろ。

 

「アアアアアアア!!!」


「俺たち、よくケンカしたよな。んで、いっつも生傷絶えねえで、お嬢にどやされて」


「ガア?アアアアアアア!」


「じゃあ、最後までケンカしてた方が俺ららしいって思わねえか?」


 頭がバグっちまったような声を上げて突進するタツ。お前は上っ面はインテリぶってる奴だった。んじゃあ、最後まで取り繕えよ。


 俺は拳を構える。横槍が入る前に決着つけなきゃな。上着を脱ぎ捨て、シャツの腕を捲る。上着が地面に着くよりも早く、俺は拳を振りかぶる。


 俺の渾身の右フックが、タツの顔面を穿つ。この一撃で何遍も俺たちのケンカは終わった。そんで、何時しかタツには、コイツは当たらなくなっていた。どうせコイツに当たらねえんならと、俺は右手首に腕時計を着けるようになったんだったな。


 タツは後ろにぶっ飛ぶ。後頭部も打った。普通なら即落ちもんだ。が、効いてねえとでも言いたげにすぐに立ち上がる。んで、きたねえ口かっぴらいて叫ぶ。


「アアアアアアア!グギャア!!!」


「おいおい、キメすぎか?痛覚、イカレてんじゃねえか。じゃあ、目え覚めるまで殴ってやらなきゃな!」


 この部屋の扉と壁は、爆発物にも耐えるような頑丈なもんだ。でも数分もしたら、緋山はここに乗り込んでくるだろう。あと数分だけ、これが俺たちの最期の時間。俺の腕時計が、やけに光って見えた。



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 トラが部屋に入って10分程が経過した。…ちょっと遅くないか?目の前のこの部屋は、そんなに広くないように思えるし、この部屋は普段は使われていないらしい。なら、物はそんなにないんじゃないだろうか。探し物に時間がかかるようには思えない。


「…緋山、アタシたちも入ろう」


「黒川さん?急にどうしたんですか?」


「なんつーか、イヤな予感がすんの。結構当たるよ、アタシの勘」


 黒川の提案に反対する理由は、オレにはなかった。ならば早急に、扉に向けて魔法を放つ。土魔法で作ったハンドボール程の球に、炎魔法をエンチャントしたファイアボールである。


「離れてろ。あと、目を閉じた方がいい」


 扉に着弾し、ファイアボールは黒い煙と土埃を巻き上げる。恐らく完全に見えるようになるまでに、分単位の時間を要することとなるだろう。オレはそれを待たない。風魔法を使い、辺り一帯に風を巻き起こす。


「…見誤ったな」


「各所にヒビのようなものが見られますが、まだ健在と言えるレベルですね」


 オレをバカにするかのように、扉はまだそこにあった。黒川のが伝染したか、オレたちの悪い予感が加速する。中の人間の無事を100%保証出来る訳ではないが、更なる強硬手段を取らざるを得ない。


 オレは剣を右手に持ち、右腕と剣に魔力を集中させる。左腕は、右腕の肘関節を抑えている。


「いくぞ!!!」


 剣に炎が宿る。左手も剣を握り、高ぶった魔力の塊を頑強な扉目掛けて思いっ切りぶつける。威力はさっきの魔法を数倍。これで壊れてくれよ…


 舞った黒煙を先程のように風魔法で吹き飛ばし、視界は開ける。オレの目には、扉の先の光景が広がっていた。通気性の悪そうな狭い部屋だ。


「よお、やっぱ…、きやがったなァ…」


 弱く、細々しい声がした。そこにいたのは、頭部を破壊された一体のゾンビの肉体と、首元を抑えながら苦しそうな表情で壁に寄りかかっているトラだ。


 黒川が途中、足が縺れて転びそうになりながらも、一目散にタツに駆け寄る。


「トラ!!!」


「お嬢、へへっ、すいません。やっぱ、タツの野郎ケンカつえーっスわ」


「…!タツ…!」


 黒川はゾンビの死体に目を向ける。彼も黒川たちの仲間だったのだろう。しかも、生体認証で阻まれたこの部屋にいるということは、相当の腹心だろう。


 オレと白峰もタツに近づく。ハッと白峰が息を吞む声が聞こえる。彼女も気付いたのだろう。トラの抑えている首元には、大きな咬傷が付いていた。


「それ、ソイツからか?」


「ああ、…一応聞いていいか?お前はこっから俺を助けられんのか?」


「…はっきり言うぞ、無理だ」


「そうか…」


 ラスアリアでは、アンデッドに汚染された、今際の際の人間を見てきた。しかし、幾星霜にも渡る神聖魔法の進化をもってしても、彼らの救済は叶わなかった。オレにはいかなる手段をもってしても、トラを助けることはできない。


「お嬢、見てくださいよ、これ。オヤジ、言ってましたよ。コイツ見たらどんな反応するだろうなって。あのオヤジが珍しく笑顔で」


 左手で指差す先には、ここの奴らには似つかわしくないような、可愛らしい装飾がなされた箱。黒川はじっくりと見つめて、ゆっくりとその箱に近づた。そして、大事なものを扱うようにそっと箱を開ける。


 中に入っていたのは、オルゴールと恐らく写真。誰が写っているかまでは、黒川の体に隠れて見えなかった。黒川はオルゴールのネジをたくさん巻く。優しい音色が部屋に響く。


「この曲は…、ロベルト・シューマンのトロイメライですね…」


「…お嬢、好きでしたよね。この曲」


「うん、うん…!そうだね…」


 黒川の声が震える。オルゴールの音色に混じって、涙の音が聞こえる。涙を拭うために顔に手をやろうとして写真を落とす。今見えたその写真は、黒川を含む、恐らくここの事務所の男たちの集合写真だろう。


「アンタもタツも!バカなんじゃないの!?こんな…、こんなものの為に死んじゃうなんて!」


「…バカは根っからで、どうやら死ぬまで治んなかったみたいっス…」


「ホントにいっつも!アタシの気も知らないで!」


 トラの顔色が更に悪くなり、苦しそうな声を漏らす。身体全体をヒクつかせるような咳をした。彼が彼でいられる時間は、もう僅かなのだろう。


「ガあッ…!はあ…、ハア…、おい、緋山!最期に頼みがある!」


「何だ…?」


「ハア…、俺が…奴らになる前に、トドメを…!さしてくれ!」


 そう言って、彼は顔を歪めながら目を閉じる。汗が側面を伝っている。そんなの、ズルいじゃねえか。嫌だの言葉は受け入れないと。


「トラ、いいの?」


「…へへ、どーせ死ぬんで」


「アンタが良くてもアタシは…!」


「…やっぱ、お嬢は頑固だなア。んじゃ、わりい、もう一つ追加でいいか?後のこと、頼んだわ。…タツヤ」


 泣いている黒川を横目に、オレは一歩前に出る。「あっ…」と声を漏らす黒川。しかし、彼女はオレを止めない。もう、こうするしかないことは、彼女も痛い程理解しているのだろう。


 オレは今にも途切れてしまいそうな男の前に立ち、剣を首筋に当てる。彼の荒い呼吸が剣を伝う。少し血が先んじて出た。刀身には神聖魔法を込める。


「…オレの神聖魔法はお前の症状を癒すことは出来ない。出来るのは精々、痛み無く、安らかに死なせてやることだけだ」


「ア…、最後まで迷惑かけるなあ…」


「まったくだ。けど、オレは勇者だから、請け負ってやるよ」


 トラは目を開いた。きっとその目に映るのは目の前のオレじゃない。きっと彼がお嬢と慕う、彼女を映しているだろう。見落としてしまいそうなほど小さく、彼は微笑む。…満足そうな顔しやがって。


 青紫色に変色した左首筋に剣を振る。一瞬の出来事だった。トラの首がゴトリと音を立てて落ちる。身体はだらりと力なく垂れた。命の灯火がここで消えた。黒川のすすり泣く声がやけに聞こえる。


「行こう。で、今日はもう休もう」


「…はい。黒川さん、行きましょう」


「…ちょっと待って」


 黒川は箱を床に置き、トラの遺体に近づく。そして、彼女は遺体の右手首を掴み、銀色の腕時計を取る。血に濡れて、形には歪みもあるけれど、立派な時計だ。


「持っていくのか?」


「うん、これ、トラが大事にしてたから」


 大きく開けた穴から部屋を出る。今、やけに手が冷たい。トロイメライはいつの間にか鳴り止んでいた。 

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