第2話 ほらほらお嬢さん、手の鳴る方へ

 シャーと水の流れる音がする。勇者になることを決めたあの日から一晩。ここはホテルの一室、誰もいなかったので勝手に使わせてもらっている。この部屋にはベットが二つ。片方がオレの、もう片方が今シャワールームを使っている者のものである。


 ガチャりと鍵を開ける音、オレは一つ息を吞む。異様な雰囲気で、一晩過ごした後だというのに、すこぶる落ち着かない。ドアノブが扉の向こうから捻られる。


「出ましたー…って、どうしたんですか?」


 扉を開けて出てきたのは、昨日出会った白峰ほたる、女性である。曇ってしまうのか、眼鏡を掛けていないが。出会った当初は乱れていた髪の毛は綺麗に整えられて、毛先には少々の雫が残っているように見える。冷気に当てられて、温まった身体から湯気のような空気を出す。このホテルにあった在りものの衣に身を包んだ彼女は、傾国すら可能にするような妖艶さを醸し出していた。


「イ↑ヤッ↑、ちょっとね~」


 誤魔化すの下手過ぎるだろ…。今自分に失望した。あの緑の勇者顔負けの「イヤ」が出た。これで平常運行を装えたなら、もはや相手が悪いまであるだろう。


「ええ…、何緊張してるんですか。…もしかして、私のシャワーシーン想像してたんですか…?」


「ん、ん!なんのこと!!!」


「誤魔化せてませんって。うわ~、ちょっと童貞まる出しですよ、それ!」


 白峰は顔を真っ赤にしながら、両手で自分のボディラインを隠すような仕草を取る。警戒のサインだ。今私は目の前の獣に食われてしまうかもしれない、そういった考えが透けている。


「いや!違うって!」


「無理ですよ!どう考えても動揺してたじゃないですか!ああ、今この時をもって私の純潔は失われてしまうの…」


「そこじゃなくて!オレはDTじゃないっての!」


 ラスアリアにいた頃、何度かそういった経験があった。誰が相手などは伏せさせてもらおう。


「なっ…!こんなあからさまなサクランボよりも、私はひよっこだって言うの…!」


 そう言って彼女は膝から崩れ落ちた。彼女はバージンのようだ。優しくしてあげよう。とは言ったものの、かける言葉も見つからないまま、取り敢えず隣に座る。すると彼女はポツリとしゃべり始めた。


「…私ってそんなにあれですかね。正直言って、一緒の部屋で寝泊まりって聞いた時、ちょっと覚悟してたのに…。頑張って自分磨きしたんだけどなあ…」


「…お前は身目麗しい。そこは自身持っていい。オレがお前に手を出さなかった理由はそんなところにはない」


「理由って?」


 白峰は体勢を直し、膝を抱えて体育座りになる。滑らかなそうな太ももが不用心にもさらけ出される。…誘われてる?これ?しかし、以下の理由をもってそんなことはしないのである。


「理由は二つ、一つ目は師の教えだ。女を抱くときは時と場合を考えろって」


「へえ…、男性優位の考え方ですね。昨今の社会だと好かれませんよ、その物言い」


「む?そうか、気を付けよう。一つ学びを得たところでもう一つ、お前は19歳。つまり未成年だ。未成年に手を出すのは非常に不味い」


「まあ、そうですね」


 無断でホテルの一室使っておいて、どの口が言うかという話ではあるが、いかなる魔法を使えようとも、法律の力には勝てない。同じ法でも上下関係がはっきりしている。


「そうですか。…知ってますか、2022年から成人の年齢が18歳に引き下げられるんですよ」


「へえ、知らなかった。でも、今は関係ないってこった。さあ、こんな話ばっかりしてないで、これからについての話をしよう」


「はーい」


 一晩たって体が休まった影響なのか、思考がまとまりやすくなっている気がする。もう十分だろう。休んでばっかりいられやしないので、今日の予定を決めよう。


「TVは一通り見終わった。これ以上張り付いていてもしょうがないだろう。ということで、危険を承知で外に出ようと思う」


「外に出て何をするんですか?」


「オレたちがニュースから得られたデータは、ゾンビに対する国の対策が主だ。一方今からするのはフィールドワーク、得られるデータはゾンビの性質だ」


 実際ゾンビそのものの情報は非常に乏しいものだった。ゾンビに遭遇した者はそのほとんどが死亡しているということなのだろうか。


「わかったら外に出るぞ。着替えろ」


「はい、ちょっと待っててくださいね」


 白峰は昨日パクってきた服を持って洗面所へ入っていった。ガチャりと鍵の閉まる音がする。


 この扉の向こうで着替えてるのか…。こんな扉一つ壊すのも簡単だろうな…。っていけない、邪念に取りつかれる所だった。こう言う時はバルの尻を思い出すんだ…。アイツのえらく引き締まった硬そうなケツを!


「お待たせしましたー、…って、何やってるんですか?」


「盛者必衰の理を覚っている…」



 外に出て歩くこと五分程度、大きく開けた広場に出た。ゾンビもそこそこに居る。今日の狩場はここにするとしよう。


 安全の為に白峰を土魔法で作った土台の上に乗せる。土台は人間の手が届かない位高く、取っ掛かりがないため、この上ならまあ安全だろう。近くにオレもいるし。


「さて、始めるとしよう」


 剣を取り出し、構える。狙うは首。心臓を穿ってもこいつらは活動を止めないが、首が落ちると動かなくなるようだ。それぐらいの情報しか今はない。


 一番近い奴がこちらに気付いたのか、気持ち悪い唸り声を上げながら襲い来る。さあ、コイツには仲間の情報を吐いてもらおう。まずは下半身を切り裂き、動きを止め…


「緋山さん!あっちの方、なんか騒がしいですよ!」


 そう言う白峰の指さす方向は、確かに活動的なゾンビが多いように見受けられる。一旦、襲ってきたゾンビの首を刎ねて、注意深くその方向を見てみると、三十メートル程先に如何やら追いかけられている人がいるようだ。


「あっ、あの人!追いかけられてますよ!」


「あっ…、ああ、そうだな」


 白峰の言葉に若干反応が遅れる。何故反応に遅れたのか、それはオレがあっけにとられたからである。


 オレも視認できたその逃亡者は、キックボードに乗っていた。ええ…、なんでキックボード?確かに走るよりいいだろうけど、もっと他のあったでしょ。ほら、逃げるために全力だから、キックの量が尋常じゃないって。結構息切れしてるじゃん。


 放っておくとあと数分程で捕まってしまうだろう。無論勇者たるオレは黙って見過ごすことはできない。一番早く辿り着きそうなゾンビの首を刎ねて、助太刀に入る。


「大丈夫、後は任せとけ!」


 追いかけてきたゾンビの首を一分経たずに全て刎ねる。全部ピクリとも動かなくなったところで、今一度逃げていた人物に焦点を合わせる。


 おそらく女性だろう。髪は濃い茶色で長く、まつ毛も長い。ついでに女性の中では身長も高い。今は疲れ切った表情をしているが、何処か気の強そうな節が読み取れる。


 少し息も整ってきたのか、目の前の女性は口を開いた。


「ありがと、お陰で助かったよ」


「お安い御用で。怪我はないか?」


「うん、平気」


 はっきりとした喋り方の人だ。初対面ではオドオドしていた白峰とは正反対と言ってもいい。


 …っと、そうだった。白峰のことをほっといたままだ。こんなところで立ち話も何だから、ちょっとこの人にもついてきて


 共に来た女を抱えて白峰用土台に登る。一人用想定だから、ちょっと狭い。


「戻ったぞー」


「…遅いですよ。で、そちらの方が逃げてた人ですか?」


「ああ、あんがと。流石に死を覚悟したね。あれは」


「何てったってあんなところに一人でいたんですか…。危ないですよ」


「いや、まあ、いける!って思ったんだよね。じゃあ、行くでしょ」


「破天荒ですね…」


 なんとなくだが、オレの時より話しやすそうだ。やはり同性同士の方がやりやすいんだろう。


「さて、えっと…、君は…、やっぱり先に名前聞いていいか?」


「ん、アタシは黒川千鳥。よろしく」


「オレは緋山達也。で、こっちが白峰ほたる。よろしくな」


 オレの紹介に呼応して、ぺこりと頭を下げる白峰。それを見て目の前の彼女、黒川も白峰に倣ってか、ぎこちない動作で頭を下げる。


「よし、自己紹介も済んだし、聞かせてもらおう。なんであんなとこに一人で居たんだ?」


「…それについては、あっちに言って話すよ。ついてきてくれよ」


 そう言う彼女は親指で背後を指さす。そこに行けばわかるということなのだろうか。まあ、彼女に断られようとも安全な場所へと送っていくつもりではあった。


 白峰に目配せをし、彼女の胸中を探る。その目には不安と好奇心が半々ぐらいで織り交ざっている。オレは白峰の背中を少し強めに叩く。「はあ!?」と言いたげな目で睨まれた。


「OKだ。じゃあ、行こうぜ。お前の身の安全は任せとけ」


 オレの言葉を聞いて、黒川は安堵の表情を漏らす。気丈そうに見える彼女でも不安はあったということなのだろう。


 土台から飛び越えて先頭に立つ。助けを求める人間がいるのなら、そこがオレの居る場所だ。じゃあ、気合い入れて行かなきゃな!


「ん?行き先そっちじゃないけど?」


「お前、こっち指さしてたじゃん!」

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