第38話 麗を救出!

 女性に案内されたのは、通路でつながった奥の建物だった。

 こちらはいわゆるおれが考えていた研究所というイメージで、無機質な冷たい雰囲気の建物だ。


「この奥が松戸麗さん専用の研究室よ。後は自分で行ってね。SPには気をつけて」


 女性はそれだけいうと、「わたしは戻るからね。デート忘れないで」とにっこり笑った。

 香水、本当に便利だな。

 おれはそう思いつつ、香水をもう少し多めにつけておいた。


 一番奥の研究室はすぐにわかった。

 壁がピンク。

 一部だけがどピンク。

 ドアが水色のヒョウ柄。

 おまけにキラキラした銀色の文字で【松戸麗の研究室】とドアプレートに書かれてある。


 こんなに目立っていいの?

 研究所があてにしてるんじゃねーの?

 まあ、だからこそ麗の好みにしたのかな。

 ドアに手をかけると、人の気配がした。


 両サイドにがっちり体型の男がふたり。

 うわ、これがSPか。

 柔道の黒帯です、っていわれても驚かないぐらいに強そう。

 すると、SPふたりはおれの腕を両サイドからそれぞれ引っ張った。

 右腕をSP1が、左腕をSP2が力いっぱい引っ張っている状態だ。


「あいたたたたたたたたたた」

「おれが惚れたの」

「おれが先だよ!」

「あいたたたたたた腕がちぎれる!」

「痛がってるだろ!」

「そっちこそ痛がってるだろ!」

「いってええええ自覚してんならやめてくれよえええ」


 このままだと腕がちぎれてしまう。

 麗の部屋の目の前で死ぬ。

 それはなんかいやだ。

 カッコ悪いどころの話じゃない!


「麗あああああ」


 おれが叫ぶと、ゴッという音と共に顔面にものすごい衝撃が走る。


「もー。うるさいよー」


 麗の声。

 どうやらドアが開いたらしい。

 そして、そのドアがおれの画面に直撃。

 こっち側に開くのかよ……。

 もう少しドアから離れておけばよかった。


「え、翔! なんでこんなところにいるのよ!」


 麗がおれを見て驚く。


「ちょっとSちゃんとPちゃん、外してくんない?」


 麗がSPふたりにいう。

 Sちゃん、Pちゃん?

 そんな愉快な名前なのか?

 SPコンビは名残惜しそうに立ち去った。


「さて、と。じゃ、翔も帰って」


 麗は大まじめな顔でそういった。


「は? なんでだよ」

「わたし、ここにいるって決めたの」

「いやいや。閉じ込められてんだろ?」

「自らの意思だし、閉じ込められてるわけじゃないよ」


 すると、麗は自分の研究室を見せてくれた。


 研究室と自室が分かれていて、研究室はずいぶんと立派だし、麗の自室は高級そうな家具ばかり。

 麗はうれしそうにいう。


「ここね、敷地内にコンビニもスーパーも美容院もネイルサロンもエステも本屋もなーんでもあるの」

「ふーん」

「中庭すっごいきれいだし、イケメンの研究員もいたし」

「ふーん」

「そのイケメン研究員、ちょっと翔に似てるし」

「それイケメンか?」

「うっさいなあ」


 そういった麗はなぜか泣き出した。


「え、なに? どうした?」

「翔のツッコミ、なんか久々に聞いた気がする……」

「いや、昨日……会って話したけど。ビンタもされたし」

「そうだったね。ねえ、先週の土曜日さ」


 麗はそういいかけて、それから続ける。


「やっぱ、逃げようかな」

「おう。そうしよう」


 おれがうなずくと、麗はおれの手を取った。


「あれ? 麗はモテモテ香水効果ないのか」

「ああ、わたしには効果ないよ」

「なんだそれ」

「行こ行こ」


 麗はそういうと、歩き出す。



 廊下を歩いていると、白衣の中年男性がおれたちの前に現れた。


「どこへ行くのかね」

「あっ、田中オジだー」


 麗がそういって中年男性に手を振る。


「わたしは田中雄二たなかゆうじです」


 変なあだ名つけんなよ。


「だって、若い田中もいるじゃーん。女性の田中もいるじゃーん。ややこしいんだってばー」

「みんな親戚ですからね」

「わ、きっも」


 麗がそういって笑う。

 おれはたまらず口を挟む。


「お前さっきから色々と失礼だろ」

「だってさあ。この人もこの研究所もなーんか胡散臭いから嫌い」

「なんでそんなところに自ら来たんだよ」

「それは翔にだけはいいたくない」

「なんでおれだけなんだよ……」


 こほんと田中オジが咳ばらいをする。


「え、なに? 歳だから痰が絡むの?」


 麗がさっきから挑発的だ。


「いえ、せきばらいです。それより、松戸さん。あなたはここを出ていくつもりですか?」

「うん。なんかやっぱこの研究所、胡散臭いし」

「優遇してあげてるじゃないですか」

「そのウエメセがなんか鼻につくんだよね」

「……ウエメセ?」

「上から目線ですね」とおれ。

「ああ、わたしは生まれた時からこういう喋り方です」

「なにそれかわいそう」

「おしゃべりは終わりです」

「ほら、そういうとこー」

「田中オジの話を聞いてやれよ」

「だからわたしは、オジではなく雄二です!」


 田中オジがそういった瞬間。

 細いオレンジの筋が見えた。

 その筋は壁に亀裂を入れる。

 辺りに焦げた匂いが充満する。 

 田中オジの手には、小型の拳銃のようなものが握られていた。


「おい、あれ」


 おれが麗にいうと、麗はうなずく。


「すごーい! これレーザー銃? 初めて見た!」


 麗はちょっと興奮している。

 いや、これやばくない?

 田中オジ、おれらを殺しに来てる。


「あれ、そういえば田中……さん、モテモテ香水の効果が、ない?!」


 おれがそういうと、田中オジはニヤリと笑う。


 そうか、研究所の職員だからなんかこう、香水を無効化する発明とかしてるんだ。

 さすがだな……。

 すると田中オジがにやりと笑っていう。


「わたしは今、鼻が利いていません。花粉症で助かりました」

「花粉症、はやくね?」

「スギ花粉以外にも花粉症はあるんですよ。ちなみにわたしは年中花粉に悩まされています」

「それなのにこんなに大自然の中に研究所つくるの考えナシだよね」

「まあ、ほら、研究所つーと、こういう山奥の林の中にあるイメージだからな」

「そうなんですよ。ですからおふたりには死んでもらいます」

「どういう理屈だよ」


 田中オジ、レーザー銃をこちらに向ける。


「もうわざと外すのはやめます。ここから出るなら死あるのみです」

「わかった」


 麗がそういって両手を上げて一歩前に出る。


「おい、麗、なにするんだ」

「ここに残ってあげる」


 麗はそういうと、こちらを振り返ってから田中オジにいう。


「だから翔だけは見逃してあげて」


 姉もいるんだが。

 見つからないけど。


「わかりました。いいでしょう」


 田中オジは銃をしまった。

 それから一枚の紙を取り出す。


「それではこの契約書にサインをしていただきます」

「麗、やめろ」

「だってどうせここにいなくても、わたしは三十過ぎても独身確定だし」

「は? なんの話だよ」

「翔が死んじゃって失意の底でわたしはこの研究所で一生、独身なのよ」

「いや、なにいって……。ちょっとまて。おれ死ぬの?」

「あっ」

「あっ、じゃねえ!」

「いやー。あの、うーん、死なないよ?」

「うそ下手すぎだろ」


 おれはそこで未来の麗かのダイレクトメールを思い出す。

 なんかあの歯切れの悪い文章。

 おれ、死ぬのか。

 しかも今日死ぬっぽい。

 まじかよ……。


「さ、契約書にサインをしてください」


 田中オジの声も耳に入らない。

 するとその時。


『麗、やめときな!』


 天井のスピーカーから声がした。


『わたしは未来人の麗』

「え、どこにいるの?」


 麗もおれもキョロキョロとあたりを見回す。


『申し訳ないけど姿は見せられない』

「ああ、そっか。未来の自分と過去の自分が会うと、自分自身が消えちゃう可能性あるもんね」


 なんかそれ映画で観たな。


『そう。ってわけで、姿は見せられない。それで麗。ここにいると翔は死ぬ』


 あ、やっぱおれ死ぬのか。


『だけどそれは、あくまで麗がここに残った場合の話。麗がここから逃げてくれれば、翔は助かる』

「本当に?」

『そう。それに、ここにいると快適だけど婚期は逃すよ!』

「えー。翔が死んじゃったから結婚する気が起きないじゃなくて?」

『それもあるけど、ここぜんぜん出会いないから……』

「イケメン研究員いたじゃん」

『あの田中は既婚者』

「まじかー」

『ここの女性の田中と結婚してる』

「え、そうなんですか?」


 おい、田中オジがなんか驚いてるぞ。


『田中オジは女性田中の元彼だっけ? つまり内輪で色恋沙汰があるほど出会いがないんだよ』

「そんなの嫌すぎ! 絶対にこっから出る」

『それにさ、この研究所、けっこうヤバい研究してるし』

「あー、やっぱそうなんだ。まあそれはどうでもいいや」

『うん。どうでもいいね』


 やっぱり麗は今も未来も変わらねえな。


『そろそろ時間だ。未来に帰らなきゃ。ああ、そうだいい忘れるところだった』

「なに?」

『この研究所、あと三十分くらいで爆発が起きるよ』

「えっ?!」


 そういって驚いたのは田中オジ。


『その爆発に、翔は巻き込まれて死ぬ』

「うわ、まじか」

『だから、早めに脱出しなよ!』

「うん、ありがと! 未来のわたし!」

『生きて帰ってね!』


 未来の麗は、そういったきり声が聞こえなくなった。

 きっと未来に帰ったのだろう。

 静かになった廊下には、おれと麗のふたりきり。

 見れば田中オジは廊下を走って叫んでいた。


「爆発するぞー! みんな逃げろー!」

「わたしたちも行こう」


 麗はそういうとおれの手を引いて走り出す。

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