第35話 子どもに戻るキャンディ、失敗。
麗が変だ。
おれがそう思ったのは、月曜日の朝のこと。
学校へ行くべく家を出たら、バッタリ麗と遭遇。
「おはよう」といっても、「あ、うん」とかなんとかいうだけで、麗はまるで逃げるように学校へと走り出した。
それだけで、変だとは思わない。
また何か変な発明をしておれを実験台にしようとしている。
そのうしろめたさで、おれとまともに話せないのだろうと思った。
しかし、その日、麗は教室にいた。
自分の席で分厚い本を読んでいたのだ。
ああいう分厚い本を読むのは意外ではない。
しかし、化学準備室Ⅱに行かないのは珍しい。
しかも、教室にいるのに他の友だちとはしゃぐわけでもなくひとりでぽつんといる。
腹でも痛いのだろうか。
ちょっと変だな、と思ってはいた。
おれが麗の様子をじっと観察していると……。
「ちょっとよろしいですか?」
ふたりぶんの声に、おれは敏感に反応する。
目の前にリズリサ。
そうだ、忘れてた!
昨日、おれにリズが惚れて、それで彼氏と別れてたよな……。
これはタダじゃすまない……。
どうしよう。逃げるしかないか。
ちなみに、モテモテスプレーの効果は一時間できっかり切れ、あのあとコンビニ店員からはメッセージは一度も来ていない。
効果が切れると完全におれへの興味を失うようだ。
ああ、こんなことならモテモテスプレーをもってきておけばよかった。
おれが逃げる隙をうかがっていると、リズが口を開く。
「お話がありますの」
やけに穏やかな口調が怖くて、逃げられなかった。
リズリサに連れてこられたのは屋上だった。
これ完全に殺されるフラグでは?
そう思って死を覚悟した瞬間。
「ありがとうございます」
リサが頭を下げた。
リズも頭を下げた。
おれに。
「え、なに? なんの話?」
戸惑うおれに、ふたりはいう。
「昨日、あなたはリズと彼氏を別れさせてくれましたわね」とリサ。
「なぜかわたしは、本野さんを素敵だと誤解して……」とリズ。
「あれはちょっと、いろいろとあって」
おれがどう言い訳しようかと考えていると、リサは笑顔になる。
その笑顔が怖い。
「あの彼氏は、最低でしたの。五股の常連で女を泣かせるのが趣味の男ですわ」
リサは続ける。
「実は、わたくしの彼氏とリズの彼氏、いえ元彼ですわね。同じ高校ですの。わたくしの彼氏いわく、元彼は本当に良いうわさを聞かないということでして……」
「わたくしも妹も、元彼の良くないうわさが本当だと知ったのは、昨日の話でしたわ。共通の友人からの密告ですの」
「つまり、リズさんと元彼は、別れてよかった、ということ?」
「そうですわ。初デート、しかもお茶を飲む段階で別れさせてくれたあなたは、まさに姉の救世主」
「ええ。わたくしも元彼に悪いうわさがあるというのを、薄々知ってはいたものの、心のどこかでただのうわさで事実ではないと思い込もうとしていましたわ。ですから早い段階で別れられて幸運でしたのよ」
そういったリズは、少し寂しそうな顔をしていた。
「そうだったのか……。でも、おれはなんの事情も知らなかったよ」
「それでもいいんですの。姉のことを助けてくれた、それでいいじゃありませんか」
リサはにっこり微笑むと、右手を出してきた。
リズも右手を出す。
握手を求められているとわかったおれは、右手を差し出す。
するとその瞬間。
世界がひっくり返った。
おれはいつの間にか屋上の地べたに寝転んでいた。
「これは土曜日、林檎さまをジロジロ見た刑ですわ」
「いくら私たちの恩人であろうとも、林檎さまをジロジロ見た者には罰を与えますわ」
何がおこったのかわからずに空を見ていたら、視界にリズリサが入ってくる。
どうやらおれは、投げ飛ばされたらしい。
リズとリサは、「それではごきげんよう」といって屋上を後にした。
「こっわ」
おれはそうつぶやいた。
完全に油断していたからだ。
でも、体は痛くない。
ずいぶんと加減して投げてくれたようだ。
おれは、雲ひとつない青い空を見て、少しだけ笑った。
「こんな場所も、あったわねえ。懐かしいわあ」
昼休みに化学準備室Ⅱへ行くと、そこには麗がいた。
しかし、発明している様子はない。
ひたすらそこにある機械を目を細めて眺めているだけだ。
「おい、麗。どうしたんだ?」
「あら。翔じゃないの。あなたも懐かしいわあ」
「なにいってんだ。今朝会ったし、クラスメイトだろ」
「そうよね。そのはずなのに、もう、何十年も前のことのように感じるの」
麗はそういうと、小さな窓を見つめた。
なんだか麗の皮をかぶった別人のよう。
おれはハッとして、聞いてみる。
「麗、なんかまた発明して、それを自分で試したんじゃないのか?」
「ずいぶんと前に……いえ、今朝すこしね」
「すこし、なんだよ」
「子どもの心に戻れるキャンディという発明をして、その飴をなめたの」
「それで、今、子どもの心になってるのか?」
「逆よ。どんどん気持ちが落ち着いて、一時間があっという間、体もあちこち痛いし、エネルギーがなくなっていくのを感じる」
「それ真逆じゃねえか」
「ええ。発明が失敗したことに気づいたけど、飴が口の中になくなるまでの辛抱だから」
「噛んじゃダメなのか」
「噛むと死ぬわね」
「は?」
「子どもになる、という発明で成功していたら、飴を噛んでも速めに子どもになれるという利点しかないの。でも、逆だと急激に老化してしまうの」
「なにそれこわい」
「その老化の速度に体がついていけないと最悪死ぬのよ。まあ、わたしの予想では急激に老化して気絶するだけだとは思うけど……。念のためよ」
麗はそういうと、ふうと息を吐いてそれから額に手を当てる。
なんだか辛そうだ。
「おい、本当に大丈夫か?」
おれがそういって麗に近づいたその時。
麗がおれを見た。
ものすごい反射神経でおれの腕をつかんだ。
そしてパシーンと右頬に衝撃と痛み。
麗にビンタされたのだ。
「え、なに? なんで? おれなんかした?」
おれは右頬を手でおさえて麗を見る。
「ごめん、つい」
麗はそれだけいうと、化学準備室Ⅱを出て行った。
おれは右頬をおさえたまま、ただ茫然とその場に立ちつくす。
ごめん、ついでビンタされるってなに?!
まあ、でもあの俊敏な動きからすると元には戻ったんだろう。
しかし、「子どもに戻れるキャンディー」じゃなく、「老化するキャンディ」なんてぶっそうな物を作ったもんだな。
おれはふと麗がいつもつかっている机を見た。
キャンディらしきものが三つある。
おれはそのキャンディをポケットにしまった。
麗が、「あれ、こんなところにキャンディ置いたかなー。なんの発明だったかなあ。ま、食べればわかるか」となるのを防ぐためだ。
そういうやつなんだよ、麗は。
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