第34話 モテるって結構大変

 リズに好かれたこともいい迷惑だ。

 しかし、それよりもまずいことがある。

 おれのせいで、いや、香水のせいでカップルが別れる原因になってしまう。

 リズの彼氏はあっさりと引き下がったが。


 これで別のカップルの女性がおれに惚れてきたら。

 彼氏が、怒っておれをフルボッコにしてくる可能性……。


「じゅうぶんにある」


 おれはごくりと唾を飲みこんだ。

 すぐにシャワーを浴びに家に帰るか。

 いや、まて。

 ここは駅ビルの三階。

 帰るまでの間に、誰に惚れられるかわかったもんじゃない。

 無事に家にたどり着けないかもしれないし。


 麗に助けを求めようか。

 そう思ってスマホを見てギョッとした。

 鬼のようにメッセージと着信が入っていたのだ。

 だれなのかと確認すれば、さっきのコンビニ店員。

 慌てて内容を確認する。

 

  今日はありがとう。

  

  無事に家に帰れましたか?


  家に帰るまでに逆ナンされてない?


  知らない人に着いて行っちゃだめだぞー。


  あれ? 無視? 寂しいなあ。


  おーい。ちょっとー。かまってよー。


  ねーえ。どうかした?


  もしかしてわたし、うざい?


  あのー、もしもしー?


  未読スルーやめてよ


  まじで


  やめて


  返事ください


  返事


  なんで電話でないんだよ


  電話でて


  無視してんじゃねえよ


  電話でろ


  おい



 おれは怖くなってスマホの電源を切った。

 やべぇ。

 本当にやべぇ。

 なんだあの人、ヤンデレってやつなのか?



「どうかしましたの?」


 リズが心配そうにおれを見る。


「いや、なにも……」

「さっきのライヌ、女性からですの?」

「え、画面覗いたの?」

「ちっ、ちがいますわ! チラッと見えてしまったんですわ!」


 リズが慌てて首を左右に振る。

 これ、覗いてたなあ。

 女からだけど男っていっておくか。

 なにされるかわからないし……。


「いや、男だよ」

「へえ。そうですの。本野さん、男性にも好かれそうですものね」


 リズの言葉に、おれはふと気づく。

 そうだ。

 あの香水をもっともっとかければ……。

 男にもモテるのでは?

 男にモテたいわけではない。

 しかし、カップルの彼女に惚れられる→彼氏にボコられるを回避するには、もうそれしかない!

 異性に効くのはわからないが。

 やってみよう。


「ちょっとすげー腹下してて」


 おれはそういいわけをして、リズの魔の手から逃れた。

 それからトイレで香水をふりかけ、駅ビルを後にしようとした。


 しかし、声をかけられて何度も足止めを食ったのだ。

 しかも男の集団にナンパをされて。

 さっきトイレで香水を大量にふりかけた効果が出ているらしい。

 すごいけど、嫌だ。

 おれはナンパを逃れ、逆ナンを逃れ、家族連れに声をかけられて逃げ、なんとか駅ビルを後にした。


 その瞬間。

 バサバサと鳩がおれに集まってきた。

 鳩はおれをじっと見ている。

 まさか……。鳩にまでモテているのか?

 じりじりと寄ってくる鳩。

 思いのほか鋭い目をしている鳩に恐怖を抱いて、逃げ出す。


「おまちください!」


 そう叫んで追いかけてくるのはリズ。

 そして、おれと目が合った女性は次々と追いかけてくる。

 男性も追いかけてくる。

 老若男女問わず追いかけてくる。


「まってえええええ! おれの運命の人ー!」

「うるさい! わたしのよ!」

「若い頃のじいさんそっくり」

「パパになってええええ」

「再婚相手げっとおおおお」


 背後から数々の叫び声が聞こえる。

 捕まったらタダじゃすまないだろう。

 暴力を振るわれるとかじゃなく、おれを追いかけている中で一番、力のある奴がおれをゲットするわけだ……。

 そう考えた途端、全身に鳥肌が立つ。


「いやだあああああああ」


 おれはそう叫んで、猛ダッシュ。

 正直、超インドア派には全速力で走るのはキツイ。

 でも、ここで捕まるわけにはいかない。

 それにもう見慣れた住宅街。

 家も近い。

 あと十分ぐらいで着く。

 それまでがんばれおれの足!


「わたしの彼氏になってええええ」


 女性の叫び声にも似た声が真後ろから聞こえた。 

 だれの夫にも嫁にも彼氏にも彼女にもなるものか!

 モテモテなんてもうこりごり。


 青山のこと羨ましいと思ってたけど、苦労してたんだな。

 今度、なんか奢ろう。


 おれはモテなくてもいい。

 好きな人と両想いになれれれば、それが最高の奇跡じゃないか。

 そう思った瞬間。

 ふと浮かんだ。

 麗の顔だった。


 なんで?

 そりゃあ初恋だけど。


 視界にふと麗の家が見た。

 あと少し。

 その時、おれは油断した。


 足がもつれた。

 勢いよく転んだ。

 アスファルトにたたきつけられ、ひざと手のひらが痛む。

 捕まる。

 そう思って肘で進む。


 家まであと少しなのに……。

 くそっ、疲れと転んだ痛みで動けねえ……。

 終わった、おれの人生。

 もうだめだ。


 ああ、モテモテになりたいなんて思うんじゃなかった。

 麗の発明にはいつもデメリットがある。

 それなのに、新しい発明品をつかうと忘れる。

 デメリットのことをいつでも考えておくべきだったんだ。

 麗だって、「かけすぎちゃだめ」とかいってたな。


 あれ?

 捕まらないな?

 そう思って恐る恐る振り返る。


「えっ」


 おれは思わず体を起こす。

 もう一度、周囲を見る。


 誰もいなかった。


 さっきまで大量の人に追いかけられていたのに。

 今はどこにもいない。


 スマホが振動する。

 メッセージを見ると麗だった。


  あっ、そうそう。

  いいわすれてたんだけど、香水の効果は一時間で切れるからねー♪


 そのメッセージを見て脱力。

 時計を見れば、確かに駅ビルのトイレで香水をかけてちょうど一時間ぐらい。


「なんだ……。よかったあ」


 おれはホッとして、立ち上がった。

 すると目の前に誰かが立っていた。


「うわぁ!」

「そんなに驚くことはないでしょ」


 目の前にいたのは、姫宮林檎。

 毒リンゴだった。


「なっ、なんでこんなところにいるんだよ」

「松戸さんがどうしても本を貸してほしいっていうから」

「それでわざわざ麗の家に?」

「そうよ。悪い?」


 毒リンゴはそういうとおれをにらみつけてくる。


「いいえ、悪くありません」


 むしろ本を貸す側が家まで届けてあげるなんてやさしいな、と思った。

 しかも毒リンゴが。


「ねえ、本野は松戸さんの隣の家なのよね」

「ああ。そうだけど」

「ふーん」


 毒リンゴは感情のわからない声でいうと、バッグから何かを取り出す。

 それは『黒ギャル探偵』の3巻だった。

 毒リンゴはおれにそっぽを向いたまま3巻をこちらに差し出す。

 それからかこういう。


「サインしてちょうだい」

「えっ?」

「まさか自分は作者じゃないとしらを切るつもり? 一ノ瀬伊吹は本野でしょ?」

「おれ、これ書いてるって麗にしかいってな……」

「そう。松戸さんから聞いたの。わたしが本好きだって知って、それで『ないしょなんだけど翔は作家なんだよ』って」

「口軽いなー。知ってたけど」

「それで松戸さんが、『黒ギャル探偵』の1巻を貸してくれたの」

「そうなのか」


 おれがいうと、毒リンゴはどこか遠くを見るようにうなずく。


「案外おもしろくて、ハマってね。だから1巻は自分で買って、2巻、3巻と買ったわ」

「ありがとうございます」


 おれはそういうと毒リンゴに手を合わせた。

 これから姫宮さまと呼ばせてもらおう。


「かっ、勘違いしないでよね! あんたの書く小説が好きなのよ! あんたのことなんかこれっぽっちも関心がないから!」

「ぜんぜんかまいません」

「じゃあ、サイン」


 姫宮さまから本を受け取り、さらに油性ペンまで添えてくださる。

 用意周到じゃねえか。

 おれは丁寧にサインをすると、それを姫宮に返す。


「あっ、ありがとう」

「こちらこそお買い上げありがとうございます」


 おれがいうと、姫宮はじっとこちらを見た。

 きれいな瞳は、まるで宝石みたいだった。

 小さくて形の良い鼻に、桜の花びらのような唇。

 心配になるほど小さな顔。

 その顔がどんどん近づいてくる。


 近づいてくる?!

 おれがギョッとして身を引こうとしたその瞬間。

 ゴッという衝撃がきた。

 その次に強烈な痛み。


「いってぇええええ」


 おれは額をおさえてしゃがみこむ。


「調子に乗ってわたしをジロジロ見るんじゃないわよ」


 その声に顔を上げれば、姫宮さまが軽蔑したような目で見降ろしてくる。

 どうやらおれは、姫宮さまをジロジロ見た罪で頭突きをされたらしい。

 やっぱり姫宮さまじゃないな、毒リンゴだな。


「じゃあ、サインはもらったからあんたは用なし」


 毒リンゴはそれだけいうと、「じゃあね」とひらひら手を振り、ご機嫌に鼻歌なんぞ歌いながら去っていった。


 おれは一気に疲れを感じて家に入った。

 このまま寝てしまおうとベッドにダイブしたと同時。

 隣の家からものすごい音が聞こえた。


 麗がまた何か発明をしているらしい。

 今度は何を作る気だ……。

 そう思いつつ、おれは眠りに落ちた。

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