第25話 洗濯が終わりました

「ねえ、翔」


 麗が口を開いた。


「ん?」

「もしかして、麗たち、このまま死んじゃうかもしれないから」


 おいおい冗談はよせよ。

 そんな虚勢を張る元気はなかった。


「うん」

「ごめんね。巻き込んじゃって」

「いや、いいんだ。おれは好きでここに入ってたんだから」

「でも、わたしのせい」


 麗はそこで言葉を切って、おれの手をギュッと力強く握る。

 それから、「あのね」と勢いをつけるかのようにいう。

 麗の顔はハッキリとは見えない。

 だけど、麗の小さな手は熱を帯びている。


「あのね。わたしね、翔のこと、ずっとす」


 ゴッ。


 麗の言葉をさえぎったのは、変な音だった。

 あたり響く鈍い音。

 おれたちは辺りをキョロキョロと見回す。

 すると、ビービービーという変な音が響く。


 おれと麗はつないだ手に力をこめる。

 離れないように。

 ビービービーと洗濯機からは警告のような音が鳴り続けていた。


 ああ、終わりか。

 洗濯機は壊れて、おれたちはそのままこの機械に飲まれるんだ。


 

 初稿、あげたかったなあ。

 四巻がおれの遺作になるのは残念だが。

 高校生作家が事故死の遺作って、センセーションナルだから売れますよとか、担当がいいそう。

 つーか、おれが死んだあとに売れてもおれのところには何も……。

 いや、家族のところに印税がはいりゃいいのか。

 でも、売れたら担当が出世して給料上がって、それで豪遊するのかと思うと腹立つな。

 だって、あいつは陽キャで彼女とネズミーシーだ。

 くっそ……あの電話とメール、今思い出してもまだ腹立つ。

 

「翔!」


 その声にハッとする。

 気づけばおれは、硬い床の上に寝転んでいた。


 体を起こせば、目の前には麗。

 そして見慣れた化学準備室Ⅱの部屋の景色。


「助かった、のか?」


 おれは自分の両手に視線を落として、ぽつりとつぶやく。


「そうみたい」


 麗は元気よくいうと、洗濯機を指さす。


 洗濯機は、上の部分が思い切りへこんでいた。

 視線をもう少し上に向けると、窓ガラスが割れている。

 化学準備室Ⅱに唯一ある小さな窓が……。

 そしてもしやと思い、床を見ればガラスの破片が散らばり、野球のボールが転がっていた。


「なるほど。野球部のボールが窓から入ってきてこの洗濯機に当たった、それで壊れたのか」


 おれがいうと、麗はほうきとちりとりを持ってきて口を開く。


「うん。その拍子にポーンとわたしと翔は外に放り出されたんだね」

「よかった……壊れたまま閉じ込められなくて」

「本当にね。まあ、でも野球のボールが当たる前から壊れてたみたいだけど」


 麗の言葉に、おれは散らばったガラスの破片を片付けるのを手伝いながら聞く。


「え? 壊れてた?」

「だって、なかなか心の洗濯が終わらなかったでしょ」

「まあ。でも、大きくしたからじゃないのか」

「ちがうと思う。容量を大きくして、速度も上げて、ってしたつもりだけど、負荷が大きかったのかもね。それで壊れたんだよ」


 麗は続ける。


「で、野球のボールが当たるという外部からの刺激で本格的に壊れて、中身を吐き出した、ってことかなあ」

「じゃあ、野球のボールが当たらなかったら……」


 おれはごくりと唾を飲む。

 麗はあっけらかんとして答える。


「あのまま暗闇に閉じ込められてかもねー。一生」

「怖いこというなよ」

「だって本当にそうなってる可能性あったんだもん」


 麗はそういって笑い出す。


「今はそうやって笑ってるけど、さっきまでめちゃくちゃ怖がってたじゃねーか」


 おれはそこでふと思い出した。


「なあ、そういえば、洗濯機の中が真っ暗になった時、なにかをいいかけてたよな」

「え?」

「ほら、おれのことをずっと……ってやつ」


 おれが麗を見ると、彼女はうつむいた。

 ん? なにかまずいことを聞いたのだろうか。

 不安に思っていると、麗が顔を上げてにっこり笑う。


「わたしは、翔のことをずっと大事な友だちだと思ってるよ」

「ああ、そうか。ありがとう。おれも麗のことは大事な友だちだ」


 おれがそういって力強くうなずくと、麗は大きく背伸びをする。


「あー、なーんかお腹減ったぁ。イチゴミルク買ってこよ」

「腹減ってイチゴミルクかよ」

「女の子はイチゴミルクでできてるんだよ」

「マイ〇ロみたいだな」

「そうだよー。わたしはミルクキュートなファンタジー小動物」


 麗は歌いながら部屋を出ていく。


「あっ。ついでに翔の分も何か買ってくるよー。なにがいい?」

「え、あ、えーっと」

「ブラックコーヒーね。オッケー」


 麗はそういうと、ドアを閉めた。

 廊下を走っていく音が遠ざかる。

 まだ何もいってないのに。


「まったく……自由な奴め……」


 おれはそうつぶやいてひとりで笑う。

 その時だった。


 ピピピー、ピピピー。


 どこからか電子音が聞こえてきた。

 スマホではない。

 麗のスマホは……ここにはないようだ。

 なにかの機械の音?


 そしてよく耳を澄ませば、音の正体はすぐに判明した。

 洗濯機だ。

 洗濯機から音が鳴っている。


 ピピピーピピピー、と心の洗濯を終えた音が部屋に響く。

 しかし、洗濯機は壊れたはずだ。


 恐る恐る洗濯機を見ると、電源が入ってる様子はない。

 壊れて勝手に音が鳴っているのだろう。

 そう思ってほうきとちりとりを片付けようとした時だった。


『センタク ガ オワリマシタ』


 そんな声がして振り返ると、洗濯機の扉が勝手に開く。

 壊れたんだ、そうだ、きっと壊れたんだ。

 おれがそう思って後ずさりをすると。


 シャボン玉がふわふわと浮いているのが見えた。

 シャボン玉はおれの目の前で止まり、はじけた。

 途端に、恐怖や不安は消える。


「まあ、いいか」


 おれは急に心が軽くなって、先ほど感じていた感情も思い出せなくなった。

 悩みがないって、なんてすばらしい!

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