第21話 心の洗濯ができない生活

「えー。なんで青山くん連れてきてるの?」


 青山と共に、化学準備室Ⅱへ行くと、麗が露骨に嫌な顔をする。

 そういえば、「すべらないリップクリーム」は、青山にだけ効果がないと知ってから、麗はうっすら青山を敵視しているのだ。


「あっ、ごめん、おれ、お邪魔だよね。帰るよ……ってゆーか、土に還る……」


 うつろな目で笑う青山をおれは慌てて引き留める。


「いや、まてまて。麗はすごいんだ。天才発明家なんだ」

「えっ? そうなの?」


 青山の目に光が戻り、キラキラとした瞳で麗を見る。


「発明? たとえば?」


 青山の質問に、麗はぶっきらぼうに答えていく。


「えーっと、ギャルになれるブレスレットとか、すべらないリップクリームとか、黒歴史消しゴムとか、そういうのは作ったけど」

「なにそれすごいな! おれもぜひ、実験台になりたい!」


 青山はそういって麗にずいっと近づいた。


「えっ、実験台に、なりたい?」


 その時、麗の瞳にも輝きが戻る。

 それからぱあっと笑顔になっていう。


「オッケー! じゃ、まずは『心の洗濯機』つかお!」

「なにそれおもしろそう」


 青山は、躊躇なく洗濯機の中に入っていく。

 こいつ、大丈夫か?

 なんか心配になってきたぞ。

 洗濯機の扉が閉まり、三分で完成。

 扉が開いて、出てきた青山は顔が真っ青だった。


「あれ? 閉所恐怖症だった? ってゆーか、妄想の空間は?」


 麗が聞くと、青山はガタガタと震えながら答える。


「う、宇宙人の集団が、宇宙人の集団がああ!」


 青山は今まで見たことがないほど取り乱していた。


「おい、大丈夫か? それはすべて青山の妄想だ。大丈夫だ、本当の出来事じゃない」


 おれの言葉にようやく青山が落ち着きを取り戻す。


「それで、今の気分は? いいでしょ?」


 麗が聞くと、青山は溜息をつく。


「いや、全然。むしろさっきよりも気分が落ち込んでるくらい」

「えっ? そんな……。この洗濯機で気分が落ち込むはずないのに!」


 麗の言葉に、青山は特大のため息をついたあとでいう。


「松戸さんは、いずれは天才発明家になれるよ。がんばってね」


 青山は化学準備室Ⅱを出て行った。


「わたしは今も天才発明家なんですけどー!」


 おれとふたりきりに戻った部屋で、麗が吠える。 

 それから、洗濯機にこもってしまった。

 どうやらまた青山には、麗の発明の効果はなかったらしい。



 その週の土日、おれは死んでいた。

 いや、体ではなく心が。


 まず、土曜日の午前中早々に担当編集からの電話で起きた。

 土日に電話なんかしてこないから飛び起きた。

 何事だと電話に出ると、『あっ、あああ、ごめんなさい。間違えました』とさ。

 なーんだ間違い電話かあと思って、そのままおれは簡単な朝食を済ませた。

 そして、十時頃に担当からメール。


  お世話になっております。

  先ほどは間違い電話ですみません。

  彼女とデートで浮かれておりまして……。

  本当にすみません。

  あっ、そうそう。

  お預かりしている初稿、いまいちですねー!

  赤入れというよりはもう、これは一度、電話かオンライン打ち合わせしましょう。

  その辺は月曜に改めて詳細をお伝えします。

  それでは、ネズミー楽しんできますね。

  よい週末を!


「〇ねよ!」


 メールを見た瞬間、おれはシンプルな毒を吐いていた。


 担当は、おれに三つのナイフを心臓に刺していったのだ。

 一つは、電話は彼女と間違えた。はぁ? ふざけんな。

 二つ目は初稿がいまいち? サラッと伝えてくる内容じゃねえ! 気になる!

 三つめは彼女とネズミーランドだと?! リア充すぎんなろこらあ!


 こんな感じで、おれは担当のメールで午前中早々、屍状態。



 ヤケになってその日はゲームをした。

 徹夜した。


 おかげで日曜日は目が覚めたら昼過ぎだったのだ。

 腹が減って、一階へ降りていくと。

 廊下でバッタリ会った。


 イケメン。

 いや、美少女というべきか。

 どっちでもいい。

 家にいるきれいなきれいな顔立ちの女の子。

 それは神崎美織という妹の友人。

 忘れるはずがあるまい。

 おれは彼女を男の子だと思い込んで喧嘩を売っている。

 だけど、ここは兄らしく、高校生らしく、挨拶をするのだ。


「あっ、あっ、か、かんじゃきしゃん」


 噛んだ。

 当の神崎さんはうつむいている。

 肩がかすかに揺れていた。

 笑っているのだ。

 かあっと顔が熱くなる。


「こんにちは。お邪魔してます」


 神崎さんはそうって、ぺこりとお辞儀をするとリビングの方へ。

 すると入れ替わりで妹がリビングから出てくる。

 そしておれを見て、顔をひきつらせた。


「おにい……。その姿でうろうろしないで……」


 妹はそういいおえると、洗面所を指さす。

  


 洗面所の鏡を見たおれは声にならない声をあげた。

 博士が実験に失敗して爆発した時の髪型だ。

 つまり、寝癖がすごい。ひどい。

 おまけに頬には白い筋。これはよだれだ。最悪だ。

 寝巻変わりのトレーナーは毛玉と皺だらけ、ズボンは裾が破れている。

 確かにこれは、人前に出る格好ではない。


 噛んだことよりも、この格好で挨拶をしようとしたことのほうが恥ずかしい。

 おれはバシャバシャと顔を洗い、頑固な寝癖を直すのを途中であきらめて、また部屋にこもった。


 あーあ、こんな時、あの洗濯機に入れたらなあ。

 こんな地獄みたいな気分、吹き飛ばしてくれるのに。

 今はあの洗濯機はどこにもないのだ。

 麗が、「改造する!」といって、家に持ち帰った。


 窓の外を覗いて、隣の家を見る。

 隣の家の庭には、離れの家があり、そこが麗の実験室兼自室。

 そして、実験室の灯りは、昨日も今日もついている。

 おまけに奇妙な音がしていた。

 改造ってなにやってんだろうなあ。

 別にあのままで良かったのに。


「はあ、早く改造終わらせて使わせてくれないかなあ」


 おれはため息とともに、カーテンを閉めた。

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