第8話 タイムロスの理由

 昼休み。

 おれは珍しく教室にいた。

 いや、ここ最近は教室でクラスメイトたちと弁当を食べているから、化学準備室Ⅱの教室の方へはさっぱり顔を出していない。

 そして今日は、化学準備室Ⅱの主になりつつある麗も教室にいた。

 麗が昼休みに教室にいることがレアすぎて、むしろ浮いているくらいだ。


「じゃ、いっくよー」


 その麗の声に、全身に緊張が走る。

 おれは手の平に、「人」という字を書いてなんとか気持ちを落ち着かせようとした。

 しかし、一向に緊張はほぐれない。


「ほら、いつも通りでいいんだって」


 麗が良く通る声で笑いながらいうので、「なにしてるの?」とクラスメイトたちが集まってきた。

 おれは余計に緊張する。

 こんなことなら、廊下の隅にでやればよかった。


 ……なにをやろうとしているのかといえば。

 動画撮影だ。

 麗がインスタにおれのアカウントを勝手につくって、今やフォロワーはちょっとしたアイドル並み。

 昨日の動画のおかげだろう。

 そして、注目されている今、おれの動画をイソスタに挙げようと思ったのだ。

 なにも一発芸をするわけではない。


 小説の宣伝をする。

「黒ギャル探偵」を、ベストセラーにするために。

 リップクリームさえ塗れば、何をしゃべっても大爆笑なのだから、ただおれは小説の宣伝をすればいいだけだ。

 それだけで動画は笑えるものとなる。

 おれ以外は。


 だけどやっぱり緊張する。   

 実は高校生作家だったということがクラスメイトにバレるのは、別にどうでもいい。

 今やおれは人気者なのだから、作家だということがわかったら、クラスメイトが買ってくれるかもしれない。

 しかし、それだけでは大した売り上げは見込めないだろう。

 そうなると、イソスタが頼みの綱になる。

 だけど、動画を撮るとなると言葉が出てこない。


「おーい。翔ー。動画、撮るよー」


 麗の言葉に、うなずこうとしてチラッとクラスメイトを見る。

 そこにはこちらを見つめる青山の姿があった。

 タイムロスで笑う男。

 その時にふと思う。

 青山は、本当にタイムロスで笑っているのか?

 今、当の青山は友人に見せられた動画でバカみたいに笑っているのだ。

 タイムロスはなし。


 あれ? おかしいぞ。

 おれの時は数秒遅れて笑い出すがデフォルトのくせに。

 そこでピンとひらめく。

 まさか。


「ちょっと麗、ごめん。まって」


 それだけいい残すと、おれは青山の元へと近づく。

 リップクリームは塗っている。

 よし、確かめよう。

 おれは青山に向かってこういった。


「お前、本当はおれのいってること、全然おもしろくないんだろ?」


 周囲は途端に笑い出す。

 しかし。青山はキリリとした目を大きく見開いた。


「周りに合わせて……おれを傷つけないように、笑ってる演技をしてるんじゃないか?」


 教室が笑い声に包まれていく。

 笑っていないのは、おれと青山だけ。

 青山はゆっくりとうなずいた。


「うん。実は、そうなんだ。でも、これも感性のちがいだよ。ぼくは本野くんの笑いがよくわからないってだけだから」


 ……やっぱり。

 青山には、このリップクリームの効果がないんだ。


「そうか。それが聞ければいいんだ」

「ごめんね。でも、ぼくの笑いのツボは昔から変っていわれるから、気にしない方がいいよ」

「いや、そんなことないと思う」


 おれはそれだけいうと、目に涙をためて笑っている麗を連れて教室を出た。


 

「ええっ!? 青山くん、わたしの発明の効果がないの?」


 化学準備室Ⅱで、麗が大きな声で叫ぶ。

 まるで学校から切り離されたようなこの場所は、部屋も廊下もしんと静まり返っている。


「うん。青山に確認した。ぜんぜん笑ってない」


 おれはリップクリームを拭きとった唇を手の甲でこすった。

 潤いのない唇は、なんだか頼りない。


「えー、なんで?」

「いや、おれに聞かれても……」

「納得いかないなあ。じゃあ改良するかな」

「え、別に青山ひとりに効果ないだけだろ? 気にすることないって」

「青山くんみたいに、その場の空気に合わせて笑ってる人が他にもいるかもしれないじゃん」

「そうかもしれないけど」

「わたしの発明は完璧じゃなきゃダメなの!」


 麗はそういうと、白衣を羽織る。


「よーし。次はもっとドカンと笑えるような効果にしちゃお!」

「そんなのできるのかよ」

「うん。できるよ。わたし、天才だし」

「じゃあ、最初からそうしてくれよ」

「でもね~。強い効果があるってことは、それだけ反動も起きやすいんだよね」

「どういうこと?」

「とにかくものすごく笑えることをいえるけど、その代わりものすごくすべる時もある、みたいな」

「なにそれ……。それは嫌だ」

「大丈夫。確率の問題だから。すべる確率なんて10%ぐらいだって」


 麗はリップクリームを観察しながら続ける。


「翔だって、今より笑えることいいたいでしょ?」

「おれは人を笑わせたいわけじゃないし」

「じゃあ、笑わせてバズらせて、本の宣伝したくない?」

「それはしたい!」


 おれはこぶしをぐっと握る。


「よし、じゃあ改良するね~」




 教室には人だかりができていた。

 昼休みだから、片手に焼きそばパンを持った奴や、廊下で弁当を広げている女子たちまでいる。

 おれが動画を撮る、ということは既に学校中に知れ渡ったらしい。


 こんな大勢の前で本の宣伝は緊張する。

 だが、逆にいえば、この宣伝が成功すれば学校中と動画を見た人にも『黒ギャル探偵』は知られる。

 つまり二重の宣伝にもなるのだ。

 口コミの広がり方だってあなどれないっていうし。


「じゃあ、撮るよー」


 スマホをこちらに向けた麗がいう。

 リップクリーム(改良版)は塗った。


 さっきクラスメイトで試したら、改良前のリップクリームよりも笑い転げていた。

 まあ、青山には効果がなくて麗が舌打ちしていたが……。


 ともあれ、効果は絶大。

 大丈夫だ。

 別に一発芸を披露しようというわけではない。

 おれの書いた本の宣伝だ。

 そう考えて、すうっと息を吸う。


 麗が親指と人刺し指をクロスさせた。

 なんだあれ。


「いつでもOKっていう意味のハートマークだよー。今うちらの間でハヤってんの」


 麗と仲の良いであろうギャルがそういった。

 そんなの知らねえし。

 おれは呆れつつ、それから口を開いた。


「はっ、はじめましちぇ」


 噛んでしまった。

 第一声から噛んだ。

 かあっと顔が熱くなるが、気を取り直して辺りを見る。


 これは改良版のリップクリームだ。

 噛んだからといって、しらけるわけではない。

 むしろ、かなり笑えるギャグのように聞こえているはず。

 そう思って辺りを見回すと、だれも笑っていない。

 それどころか、みんな戸惑ったような表情をしていた。


 えっ?!

 なんで笑わないんだ?

 いつまで経っても周囲は笑うことはなかった。

 それどころか、「つまんね」と誰かがいったことをきっかけに、生徒たちは各々の席や教室へと帰っていった。

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