第4話 本当にすべらないリップクリーム

 五時限目の授業はきちんと出た。

 さすがにまたサボっているところを見つかれば、豪羅山に今度は腕立て五十回に加えて、グラウンド十周とかいわれそうだし。

 

 ボーッと英語の授業を聞くともなしに聞くが、眠くなってくる。

 リップクリームで潤った唇がなんだかムズムズする。


 すべらない、ということなら麗以外の人でも試してみたいところだが。

 そんな度胸も、気さくに話せるクラスメイトもいない。 

 これが本当にすべらないという効果があるとしても、ぼっちには意味がないのでは?

 やっぱ陽キャは、陰キャの気持ちがわからないんだよな。

 つまり、陰キャのおれは陽キャの気持ちはわからないし、結局、陽キャの学校生活もわからないということか。

 それは非常に困る……。

 はー、とため息をついたところで。


「それじゃあ、本野くん」


 先生に突然、呼ばれた。


「次のところ、訳してみて」


 先生がそういったので、教科書に視線を落とす。

 やべぇ。聞いてなかった。

 ちらっと麗のほうに視線を向ける。

 麗は英語と数学と科学が得意だ。


 助けてくれ!

 すると、麗はおれの視線に気づき、頭上で両手をクロスさせる。

 あれは……×か。何が×なんだ。

 麗も授業を聞いてなかったってことか。

 しかたがないな、もう素直になるしかないか。


「本野くん?」


 先生が鋭い瞳をおれに向けてくる。

 おれはすごすごと立ち上がり、それからこういう。


「わかりません」


 その途端、一瞬教室がしんと静まり返る。

 それからすぐに、教室が爆笑の渦に巻き込まれた。


 クラス中が笑っている。

 先生まで笑っていた。


 おれは何が何やらわからない。

 それからふと気づく。

 これが……麗の発明の効果か!

 そうだとしたら、すごすぎないか?


 おれは、もう少し発明の力を試してみたくなり、何かを言おうとする。

 しかし、面白いギャグどころか、何を言えば良いのかすらわからない。

 クラスの奴らは、おれの発言に注目している。

 ちくしょう……超低コミュ力が憎い……。


「本野くん、もういいわ。座って」


 先生がそういったので、おれは溜息をつく。


「はい。すみません」


 無意識のうちにそう口にした、その瞬間。

 また教室は爆笑の渦に包まれた。


 信じがたい光景に、おれはポカンと口を開ける。

 視界の隅で、笑いながら親指をビッと立てる麗が見えた。



「あのリップクリーム、ちょっと怖くないか?」


 放課後の化学準備室Ⅱで、おれは麗の背中に向かって話しかける。


「なんで?」


 麗は振り返り、ホワイトボードに書いていた謎の公式(メモ)を消す。


「だってさ、おれは普通に話してるだけなのに、あんなに爆笑されるとさ」

「気持ち良くない?」

「うーん。まあ。でも、ぜんぜん話通じてないじゃん」


 ちなみに、おれと麗の会話が成立しているのは、リップクリームを拭き取ったからだ。

 拭き取ればリップクリームの効果も消えるらしい。

 現にこうして、おれの会話に麗は笑わないし。


「ちなみに、リップクリームの効果が出てたときは、おれの言葉はなんて聞こえてたんだ?」

「えっ。そんなのわたしじゃ再現できないよ! あれは翔にしかできないギャグだよ!」

「だからおれは別に普通の会話をしてただけで……」

「じゃあ、『わかりません』っていってみて?」

「……わかりません」


 おれがいうと、麗は腕を組んでうんうんとうなずく。


「別に面白くもなんともないね」

「そりゃあそうだろうよ。『わかりません』っていっただけだ」  

「やっぱわたしって天才発明家だな~」

「いいよなあ。自己肯定感が高すぎる人間はさあ」

「別に自己肯定感が高いわけじゃないんですけど。ってゆーか、わたしは努力しまくって失敗を重ねながらも成果を出してるだけであって、根拠なく自信を持ってるわけじゃないんですけど?」

「なんでそこでキレるんだよ……。あと敬語でキレるな、怖ぇんだよ」

「だってさー! アリサたちとか、田中くんとかさあ、『麗は自己肯定感高そうでいいね。どうせ悩みもないんでしょ』とか何も考えてないパッパラパーみたいないいかたしてくるんだもん!」


 麗は、そういうとぐっとこぶしを握る。


「なんか思い出したらムカ着火ファイヤーしてきた。わたしのことバカにすると虫になる発明品でもつくろうかな」

「やめろ。ってゆーか、すみませんでした」

「本当に反省してる?」

「してるしてる」

「ぜんぜん反省してないね。わたしのことバカにしたら一番嫌いな虫になる発明品、本当につくろうかな」

「ごめんなさい! マジでやめてください!」


 おれはそういって、麗の白衣にしがみつく。

 彼女はなぜか驚き、それから少しだけ頬を染めながらいう。


「じょ、冗談だよ、冗談!」

「麗がいうと、冗談に聞こえないからなあ」


 中学二年生の頃、発明品で市内の人間すべてをぬいぐるみにした前科があるので、麗は怒らせると怖いのだ。

 あの時は、おれも被害を被ってテディベアにされて、なかなか不気味な思いをした。

 ぶるぶと過去の恐怖の記憶を隅に追いやり、それからいう。


「あのリップクリームは、成功したってことでいいんじゃないか?」

「いいけど。それで翔は小説どうすんの?」

「あ、そうだった……」

「よし! じゃあ塗ろうか!」


 麗はいうが早いか、リップクリームをおれの唇に塗った。


 なんかおれ、うまく丸めこまれてないか?

 まあ、拭けば元に戻るからいいか。

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