第3話 高校生作家とリップクリーム

 おれは、中学三年生の春に作家デビューをした。

 ペンネームは一ノ瀬伊吹いちのせいぶき


 さっきも出版社の担当編集と打ち合わせをしていたのだ。

『黒ギャル探偵』というシリーズの四巻について、話をしていた。

 おれのデビュー作であり、それなりに好評(らしい)なミステリ&サスペンスだ。


 ただ、これを知っているのは家族と、それから麗、担任教師ぐらいだろう。

 まあ担任教師の豪羅山は、脳筋だからすでに忘れているとは思うけど。

 クラスの奴らは知らない。

 そもそも話す相手がいない。

 ……泣いてなんかないからな。

 冗談はともかく。


 おれは、作家は孤高の存在であれとか思っているので、ぼっちであることはかまわない。

 しかしおれは良くても、小説を書く時の弊害となってしまった。


『黒ギャル探偵』は、女子高校生でガングロギャルが主人公だ。

 学園ものではないが、学校で事件が起こることもある。

 しかも四巻は、ずっと学園が舞台だ。

 これは担当編集が『現役高校生が描くリアルな高校生活は受けますよ』といったから。

 いや、おれが描けるのはリアルぼっち学校生活だけなんだが……。


 しかしぼっちな上にコミュ力を母親のお腹の中に置いてきたおれは、反論なんかできなかった。

 だから、リアルな学園生活を描いてみた。

 すると担当編集は、「もっと黒珠ちゃんのキラキラした青春を描いてくださいよ」といわれた。

 ちなみに黒珠というのは、主人公の名前だ。

 黒井田珠美。略して黒珠。

 おれも担当編集も、この黒珠をとても気に入っている。

 まあ、それはともかく……。


 キラキラした青春だぁ?

 んなもの書けたら苦労しねーよ!

 そんな反論なんか、おれみたいな小心者にはできるはずもなく。

 なんとかキラキラした青春とやらを書こうとしている。

 しかし、どうやって書けばいいんだよ……。


「誰かに聞くにしても、誰に聞けば」


 そこで浮かんだ顔は、麗だった。

 そういや、麗はコミュ力おばけだったな。

 昼休みに聞いてみよう。

 そうと決まれば、心も軽いしお腹もまだ減っている。

 二つ目のおにぎりにかぶりついたその時。


「くぉーら! 本野!」


 ゴリ山の声が聞こえた。

 おれはおにぎりに視線を落としたままいう。


「はいはい。似てる似てる」

「なにが似てるって?」

「ゴリ山に声がそっくりだよ。もうわかったって」


 そこでおれの前にあるいやにデカいスニーカーに視線がいく。


 麗のものにしてはデカすぎるし。

 そもそも彼女はルーズソックスと合うからという理由でローファーしかはかないんだ。

 じゃあ、これは……。


 ごくりと唾を飲み込んで、すーっと視線を上にあげる。

 そこには、本物のゴリ山が立っていた。

 ゴリ山はニカッと笑っていう。


「話は職員室でゆっくり聞こうか」


 その不気味すぎる笑顔に、無意識のうちに逃げだしそうになる。

 しかし、首根っこをがしっと抑えられ、おれは親猫にくわえて運ばれる子猫のように動けなくなった。



「う、らら……」


 おれはヘロヘロになりながら、化学準備室Ⅱの部屋のドアを開けた。


 旧校舎の隅にあるこの空き教室は、麗の研究室と化している。

 なんだかヤバそうな機械と分厚い本に囲まれた部屋には、麗がなにやら実験の真っ最中。


「今日は遅かったね。もうお昼休み半分過ぎたよ」


 麗は白衣姿でもう完全にマッドサイエンティストモードだ。


 ちなみにおれは、昼休みに小説を書くことが多いので静かな場所として麗の研究室もとい化学準備室Ⅱに入り浸っている。


「あのあと……。本物のゴ……豪羅山がきて、それで……説教と腕立て伏せやらされたんだよ……」


 そういい終えるなり、おれはその場にバタリと倒れこんだ。

 どこからどう見てもインドア派・運動不足なおれが腕立て伏せなんて、拷問以外のなにものでもない。


「あー、それは大変だったねー。まあ、でもこれで運動不足解消されるっしょ」


 麗はようやくおれのほうを見て、ウィンク。

 なぜウィンク。


 ちなみに麗の白衣の裏地は、ピンクのヒョウ柄だ。

 なんでも、「発明してる時もオシャレの心は忘れたくないの」だそうで。

 ピンクのヒョウ柄ってオシャレなの? よくわからねえ。


 そんなこんなで、オシャレ心を忘れないマッドサイエンティストのいる部屋に、おれはヘロヘロで来たわけだが。

 今日は小説を書くために来たわけじゃない。

 もう時間もないし、そもそも疲れすぎて無理。

 おれは麗にキラキラした青春とやたらを聞きにきたのだ。


「麗は陽キャだよな」

「んー。まあね」

「陽キャの学校生活ってどういうものか、教えてしいんだけど」

「なんで?」   

「小説書くために必要だから」

「あー。まあ、そうだよね。翔がそんなこというなんて小説のこと以外にありえないかあ」


 ひとりで納得した麗は、手元にある何かに視線を落とす。


「聞くより体験したほうがいいって」

「体験できないから聞くんだよ」

「ちょうど今、陽キャ体験ができる発明があるんだけどな~」

「なんだそれ」


 おれがいうと、麗は手に持っていたものをこちらに見せる。

 ピンクと黒のストライプ柄のパッケージの、口紅?


「もともと先輩が合コンでかわいい女子をゲットしたいって言う要望で作ったんだけど、合コン前に彼女できたらしくてキャンセルされたの。ぴえん」

「その口紅が発明?」

「口紅じゃないよー! リップクリーム!」

「どっちでもいい」

「これを唇に塗るとねぇ。話すことがなんでも面白くなっちゃうの」

「話術が上がるってこと?」

「ううん。そうじゃないの。実践したほうが早いかな」


 麗はいうが早いか、おれのほうに近づいてきて顔をつかんだ。


「刺さってる! 刺さってる!」


 長い爪が頬に突き刺さっている。


「じっとしてないと、もっと深く刺さるよー」


 麗はそういうと、おれの唇に何かを塗る。


「はい。OK。効果はすぐ出るよん」

「まさか……。さっき塗ったの……」


 おれがそういった途端。

 麗が笑い出した。


「めっちゃ笑えるっ!」

「なにが?」

「アハハ! 最高!」

「だから、なんの話だよ」

「いやー! もうやめてーお腹いたーい!」


 麗は目にうっすら涙を浮かべて笑い続けている。

 おれはなにがなんだかわからない。

 ひとしきり笑ったあと、麗はいう。


「それが、『すべらないリップクリーム』の効果!」

「おれは別に普段通りの会話をしているだけなんだが」

「アハハ! だからー、そのリップクリームを塗ってるとね、何話しても面白く聞こえるの」

「おれには何も面白く聞こえない」

「そりゃあ塗ってる本人には効果ないから……」


 麗はそこまでいうと、ぷはっと吹き出した。

 それから、「翔めっちゃおもしろーい」といって思い切り笑う。

 おれには一体、なんのことやらわからない。

 しかし、麗には面白く聞こえるそうだ。


 これ、麗が塗ったほうがいいのでは? と思ったが、「お腹いたい」とこぶしで机をどんどんと叩いて笑っているマッドサイエンティストには、何をいっても無駄だろう。


 うーん。にわかには信じがたいが、今まで麗が色々なものを発明してきたことも事実。

 だけど、本当にこれですべらない、つまり他人を笑わせられるのか?

 笑い転げている麗を見る。


 演技で笑っているようには見えない。

 そもそも、こいつにおれをだますような演技はできないはずだ。不器用だし。

 だけど、麗の笑いのツボは昔からよくわからないから、やっぱ信用できない……。


 そんなことを考えているうちに、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。

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