第259話 キャロットは憐れみます

「もう……わかっているでしょう。いい加減になさいませ」


「…………」


 レイナやクラエル達と離れて、二人きりになったエリックとキャロット。

 婚約者である二人の間に、何とも言えない気まずい空気が漂う。

 もっとも……収まりが悪そうにしているのはエリックだけであり、キャロットは薄笑いを浮かべていたのだが。


「アレをご覧くださいませ。レイナは……聖女様はあちらの司祭様のことを慕っています。貴方への気持ちなど欠片もございませんよ」


「……わかっている」


 キャロットの言葉に、エリックがぶっきらぼうに答えた。


 二人の視線の先で、レイナがクラエルの腕に自分の腕を絡めている。

 クラエルに向けられた輝くような笑顔は、エリック達に見せる社交辞令のものとは明らかに異なっており、恋する乙女そのものだった。


「わかっているさ……レイナは私のことなど愛していない。きっと、私が何をしたところで彼女の気持ちが向くことなどないということくらい……」


 口ではそんなことを言いながら、レイナの背中に向けられた瞳には焦がれるような恋慕が宿っていた。

 そんな婚約者の横がを見つめて……キャロットはそっと溜息を吐く。


(まったく……哀れな方ですこと。報われないことくらいわかっているでしょうに)


 キャロットが婚約者に対して抱いている感情は、ただただ憐れみだった。

 ゲームのシナリオにおいて、キャロットはエリックがヒロインに心を奪われたことで、激しい嫉妬を募らせる。

 しかし、ここにいるキャロットにそんな感情はない。

 妬み、嫉みなどの悪感情はまるで無く、救いのない恋をしているエリックに同情していた。


(まあ、気持ちはわからなくもありませんわね……レイナにはそれだけの思いを抱かせるような魅力がありますもの)


 キャロットが初めてレイナを目にした時……抱いた感情は『崇拝』である。


 レイナと出会うまで、キャロットは自分こそが次代の聖女に相応しいと思っていた。

 自分以外の女が……身分も家柄も無い田舎娘が聖女に覚醒したと聞いて、激しい憎悪を募らせたものである。

 だが……そんな感情はレイナと会った瞬間、根こそぎ吹き飛ばされた。


 美しく、清らかで、凛として強い。

 その姿はまさしく、キャロットが思い描いていた理想の聖女そのもの……否、それ以上だった。

 レイナに比べれば、キャロットなど偽物と呼ぶにも値しない欠陥品だ。同じ天秤に載せることすら許されない。

 嫉妬する気も起こらなかった……もしもレイナがエリックを選んでいたのなら、喜んで身を引いていたことだろう。


(だけど……あの御方は他の男性を選んだ。いいえ、初めから選んでいた。エリック殿下に付け入る隙間なんてなかった)


「エリック殿下……私は貴方様との婚約を破棄するつもりはありませんことよ」


「え……なんだい、急に……」


「貴方と私は同じですもの。同じ星に心を奪われた同好の士。だからこそ、きっと上手くいきますわよ。レイナにはとても及ばないけれど、私で我慢しておきなさいな」


「……別に、君が劣っているだなんて思ってはいない」


「自分で嘘だとわかる発言はよろしくなくってよ。女を騙したいのなら、まずは自分を騙せるようになってからにしてくださいませ」


「…………」


「さあ、いつまでも未練タラタラで突っ立っていないで、来客の応対をいたしますよ。いつまでも主催者がこの有様では、お客様が白けてしまいますわ」


 少し離れた場所から、パーティーの参加者がチラチラとこちらを見ている。

 王太子とその婚約者に話しかけたがっているようだが、不穏な気配を感じ取って二の足を踏んでいるようだ。


「ああ……そうだな……」


 エリックは沈痛な表情で頷いて、王太子としての上っ面を顔に張り付けて、来客の応対をするべく手近にいた人間に声をかけたのであった。

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