第253話 温泉です

「フウー……」


「良いお湯ですねえ。クラエル先生……」


 スキーを楽しんで、夜になったら温泉に入った。

 ホテルにある露天風呂は広く、濁った白い湯で満たされている。

 空からは白い雪が降っていた。勢いはそれほど強くはなく、熱い湯の心地よさを引き立て、温泉から見える雪山の景色に花を添える手伝いをしていた。

 そんな温泉にはクラエルとユリィの姿がある。

 レイナと友人三人の姿はない。男湯なのだから、当然である。


「本当に。雪の中を露天風呂だなんて寒いかと思いましたけど、かえって心地が良いですね」


「そうですねえ。すごく気持ちが良い……誘ってくれてありがとうございますね」


「いえ……僕も誘われた側ですから」


 言いながら、クラエルはそっとユリィの方に視線を向けた。

 入浴中ということもあって、当たり前だがユリィは裸である。もちろん、クラエルもだ。


 湯船の中で肌を桃色に染めて、細い手足を伸ばしているユリィの姿には驚くほどの艶がある。この姿を写真で切り取って旅雑誌に載せようものなら、きっとこのホテルは大繁盛するに違いない。


(だが、男だ……いや、別に良いんだけどな)


 クラエルが苦々しく笑う。

 二人が露天風呂に入った時には他にも客の姿があったのだが、ユリィの姿を見るや、悲鳴を上げて逃げていった。

 彼女が……ではなく、彼が男であることは説明しているのだが、それでも堪えかねたようである。

 スタッフがやってきてちょっとした騒ぎになり、ようやく落ち着いて入浴できるようになったところだった。


(中世ヨーロッパの世界観に温泉って……とか思ったけど、海外にだって温泉くらいあるよな。古代ローマにだってあったくらいだし、別に不自然ってことはないか)


「あ、クラエル先生。そっちに温泉の効能が書いてありますよ。肩コリと腰痛……それと美肌に効果があるみたいです。スベスベですよ」


「男にはあまり関係ない話だと思いますけど……まあ、そういう考えは偏見ですよね」


 美容男子という言葉があるくらいだ。男性だって、自分の美しさを磨いたって許されるだろう。


「クラエル様、いらっしゃいますかー?」


「レイナ?」


 傍にあった壁の向こう側から声が聞こえてきた。レイナの声である。

 どうやら、壁の向こう側は女湯になっているようだ。レイナの他にも、彼女の友人達の声も聞こえてきた。


「わあ、お湯が白いですね!」


「外は寒いですけど……あ、熱いです!」


「皆さん、まずは身体を流しましょう。はしたないですよ」


「…………」


 聞こえてくる女子の姦しい声。

 何となく気まずくなって、クラエルは押し黙る。


「そっちはどうですか? クラエル様?」


「気持ち良いですよ。やっぱり冬は温泉ですね」


「はい。それにしても……どうして、地中からこんな温かいお湯が出てくるんでしょう。女神様のご加護でしょうか?」


「いえ、温泉と女神様は関係ないはずですよ」


 壁越しに聞こえてくるレイナの言葉に、クラエルは答えを投げかける。


「温泉が熱いのは、地中を流れているマグマ……つまり火の川によって地下水が温められ、地上に噴き出してきているからです。もっとも、そんな世界の理を生み出しているのは女神様ですから。そういう点では、女神様の御業ということになりますね」


「ああ、流石はクラエル様です。博識ですね」


「そうなんですかー、私も知りませんでした」


 クラエルの説明を聞いて、レイナだけでなくユリィも感心した声を上げる。


「あれ? ユリィ先生。どうして男湯にいるんですか?」


 疑問の声を上げたのは、レイナの友人であるメイリーだった。


「どうしてって……私は男だから、当然じゃないですか」


「あ、そうでしたね」


「ユリィ先生が男の人って意識がないんですよね。女湯の方にいないから、どこにいるかと思いましたよー」


 シャロンやヴァネッサもまた、のほほんとした口調で言う。

 だが……そんな中で、レイナの声のトーンが一段階下がった。


「ああ……そうでしたね。ユリィ先生はクラエル様と一緒にお風呂に入っているんですね……」


「レイナ?」


「ズルイです……私だって、最近は一緒に入れていないのに……」


 ブツブツとくぐもった声が聞こえてくる。

 確かに、少し前までクラエルとレイナは一緒に入浴していた。

 レイナが学園に入学してから、流石にそんなことはなくなったのだが。


「えっと……?」


「ズルイです……ズルイです……」


「れ、レイナ様?」


「ユリィ先生は男の人ですよ」


「どうどう、落ち着いてください。翼とか出しちゃったらダメですって!」


「そんな何かを司っているみたいな槍をどうするつもりですか!? ダメですよ、壁を壊そうとしたら!」


「クマにネコにイヌにキツネに……ええっ!? 何ですか、そのやけにアンニュイな顔をした鳥のぬいぐるみはっ!?」


「いや……何が起こってんの?」


 女湯の方から不穏な話し声が聞こえてくるが……友人達が上手く宥めてくれたようで、レイナが壁を破壊して乗り込んでくることはなかった。


 クラエルは恐々としながらも、温泉を堪能することができたのであった。

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