第150話 悪党は逃げる

 ギャング達が騎士団によって拘束されている一方で、一人の男が薄闇に覆われた森の中でのそりと動く。


「あーあ……やっぱり、やられちまったか」


 特に驚いた様子もなくつぶやいて、影の主は苦笑する。

 彼の視線の先には、『白の奉竜殿』の入口で拘束されているギャング達がいた。


「だから、やめといた方が良いって言ったんだ……予想通り過ぎて笑えないな」


 嘲笑うように口にしているのは二十代の男性。その顔立ちはどことなくクラエルに似ていた。

 男の名前はギラエル。かつて、ギラエル・バーンと呼ばれていた男。

 クラエルの実兄であり、盗賊団と内通して兄を殺害しようとした張本人である。


 ギラエルはシャインクロス神聖国の司教……カーマイン・イマリーの依頼を受けて、この国のギャンググループを集めた。

 そして……レイナとクラエルを誘拐するための謀略を巡らせていたのである。

 金のために実の弟すらも売り飛ばす……その冷酷さは顔立ちは似ていても、クラエルとは正反対の性格だった。


「あーあ……仕事失敗。まあ、前金の分だけ得したってことだな」


 成功報酬は惜しいが……これ以上は執着しない。

 金は欲しい。

 女も欲しい。

 権力も欲しい。

 名誉も欲しい。

 他人が苦しむところが見たい。悔しがっているところが見たい。絶望しているところが見たい……。

 善良な侯爵夫妻から生まれたはずのギラエルであったが、彼は生まれながらに悪党だった。

 自分が得するためならば他人を蹴落とすことも躊躇わず、そして……他人が自分よりも得をしていることはしゃくに障る。


 そんな最低極まりない人間のギラエルであったが……損得に対して必要以上に拘らないように自分自身に課していた。

 失敗したとわかったのなら、さっさと引き上げる。

 逃げて、隠れて、行方をくらませる。

 ずっとそうやって生きてきたからこそ、指名手配されてからも捕まることなく、ずっと逃げおおせることができたのだから。


「すたこらさっさ……悪いなあ。俺はさっさと逃げるわ」


 一時的とはいえ仲間であったギャングに届かぬ謝罪の言葉を送りつつ、ギラエルは木々の間を掻き分けて逃げていった。

 他国に逃げ込んで、そこでまた人から盗むなり奪うなり騙すなりして、金を稼げばいい。

 そんなふうに言って、兵士の包囲を逃れて逃げていくが……。


「あ?」


 おかしい。

 ふと、気がついた。

 森の様子がおかしい。やってきた時とは違っている。

 虫の声も、鳥の声も聞こえない……恐ろしいほどに静まり返っていた。


「おいおい……これはちょっとヤバくねーか?」


「勘が良いですね」


「ッ……!」


 ギラエルが後ろに飛び退いた。

 慌てて声の方に顔を向けると……そこには誰もいなかった。


「おいおい……マジかよ」


 誰もいなかったはずである。

 それなのに……何もない空間が扉のように開いて、そこから一人の少女が姿を現した。

 白銀色の美しい髪。翡翠色の瞳。あまりにも美しく整った相貌の持ち主であったが……そこに浮かんでいる表情は恐ろしく冷たい。


「聖女レイナ・ローレルか……まさか、ここで出てくるかよ……」


 ギラエルが表情を強張らせた。

 虚空から姿を現したのはレイナ・ローレル。

 ギラエルにとっては、誘拐のターゲットの一人である。


(会わないように避けていたんだけどな……まさか、こんなところで二人きりになれるとは最悪すぎるな)


 しかし、ギラエルはレイナと関わるつもりはなかった。

 その理由はシンプル。怖かったからである。

 ギラエルは欲深な人間であったが、危機察知能力だけはやたらと高かった。

 情報収集のため、王都の街中でそっと盗み見たレイナに対して、ギラエルは底無しの恐怖を感じた。

 触れてはいけない存在。人の形をした爆弾。アンタッチャブル。

 レイナに対して異様な『圧』を感じて、ギラエルは彼女を避けてクラエルを狙うことにしたのである。


「……正直、私はクラエル様に危ないことをして欲しくはありません」


 レイナがバラの花びらのような唇を震わせた。

 その言葉はギラエルに向けられているというよりも、独り言のようである。


「許されるのであれば……クラエル様を小さな箱に入れて、ずっと胸の中に抱いていたい。誰にも触れさせたくない。独り占めしたい……でも、それはいけない。やってはいけないとわかっています」


「…………」


「クラエル様は私を父親から解放してくれました。そんなクラエル様を閉じ込めて行動を制限するだなんて、恩を仇で返すようなことをするわけにはいきません。だから、今回もクラエル様を止めませんでした」


(もしかして……逃げるチャンスだったりするのかあ?)


 ギラエルがチラチラと周囲の木々に視線を向けつつ、ジリジリとゆっくり後退する。

 まるでそういう作りの人形であるかのように独白するレイナから、離脱する隙を窺った。


「でも……怒っていないわけではないのですよ?」


「ッ……!」


 ブワリと全身の毛穴が粟立った。

 原始的な恐怖。生物としての根源的な危機感に襲われる。


「他の方々もそうですけど……貴方は特に気に入らない。クラエル様とよく似た顔で悪いことをしている人の存在を私は認めない」


「おいおい……マジかよ……」


「懺悔してから自害してください。そうすれば……貴方のような人間にも天の国の扉が開かれるかもしれませんよ?」


 ある意味では慈悲とも受け取れるセリフであったが……ギラエルは全身に脂汗をかいて顔を引きつらせたのである。

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