第7話 奇跡が起こっています
ちょうど時間が正午を回った頃。
アウスターとの交渉を無事に終えたクラエルが神殿に戻ってきた
「ただいま戻りました……ああっ!?」
神殿の扉を開けて、途端にクラエルが身体をのけぞらせる。
「ひ、光ってる……?」
そう……神殿内部が光を帯びて、光っているのだ。
祭壇が、壁が、床が……あらゆるものが淡くにじむような光を放っており、神聖なオーラに包まれていた。
王都で神官修行をしていた頃に何度か大神殿を訪れたことがあるが、ここまで荘厳でもなければ神秘的でもなかったはず。
「あ、司祭様。お帰りなさい」
神殿の奥からレイナが姿を現した。
飼い主を出迎える子犬のようにパタパタと走ってくる。
「た、ただいま。レイナさん……えっと、神殿の掃除をしてくれたんですよね?」
「はい、やりました」
「えっと……どうやって?」
「どうって……普通に箒と雑巾で掃除しただけですけど……?」
「そ、そうですか……」
普通に掃除しただけで、どうしてこんなことになるのだろう。
明らかに聖女の力を発動させてしまっている。
「あの……おかしかった、ですか? 私、ダメなことしちゃいましたか……?」
顔を引きつらせたクラエルに、レイナが不安そうに瞳を揺らす。
クラエルは慌てて笑顔を取り繕い、レイナに微笑みかける。
「いえ……あまりにも綺麗になっていたからビックリしただけです。よく頑張りましたね。ご苦労様」
「はいっ……!」
レイナがパアッと表情を輝かせた。
ツボミが花を咲かせるように笑顔になったレイナを見下ろしつつ、クラエルは頭の中で思案する。
(お、おかしいぞ……聖女に覚醒したばかり、幼年時代のレイナにこんな力はなかったはず。聖女の奇跡をここまで使えるようになるのは学園入学後のはずだけど……?)
頭を悩ませるクラエルであったが……レイナがクラエルに優しくされて、愛と幸せの力によって無意識に奇跡を発動させたことには気がついていなかった。
攻略キャラと関係を深めることで発動する聖女の力……それをモブキャラの自分と出会って一日で発動させるだなんて思うものか。
これは決してクラエルが特別というわけではない。攻略キャラよりも優れているというわけでもない。
レイナが学園に入学するのは神殿に引き取られて、何年も虐待じみた修行を受けた後のこと。
母親を喪い、父親と義母から虐待され……大神殿に引き取られて悲惨な境遇から抜け出したと思ったら、引き取られた先でも心と体を鞭で叩かれて無理やりに修行させられて。
ゲームのシナリオでは絶望の底に追いやられて人間不信に陥った後だったため、攻略キャラに心を開くのに時間がかかったのである。
本来のレイナ……純粋さを失う前の彼女を救うことができたため、本来のストーリーよりも早く聖女の力が覚醒しようとしているのである。
「お昼ご飯も作ったんです。一緒に食べましょう?」
「おや、お昼も作ってくれたんですか?」
クラエルが首を傾げる。
そういえば……食料品を買い足さなければいけないのを忘れていた。
ほとんど食材はなかっただろうに、何を作ったのだろう?
「すぐにお皿によそいますね? 待っててください」
「へ……良い匂い……?」
キッチンに入るや、途端に食欲を誘う良い香りが漂ってきた。
レイナがパタパタと鍋の方に駆けていき、シチューを皿によそっている。
「はい、どうぞ」
皿がテーブルに置かれる。
芳醇な香りがホワイトシチューから立ち昇っているが……ちょっと待て。
「ちょ、ちょっと待ってください! 食材は? 食材はどこから持ってきたんですか!?」
レイナが作ったシチューにはゴロゴロと大きな野菜や肉が入っている。
こんな物、買い置きの食材に残っていなかったはず。
まさか、裸に男物のシャツを着ただけという格好で買い出しに行ったのか……クラエルが顔を青ざめさせる。
「えっと……材料だったら、テーブルの上に置いてありましたけど……?」
「は……テーブルの上?」
「はい……その、使っちゃダメでしたか?」
「…………!?」
またしても不安に表情を曇らせているレイナであったが……その背後に光る妖精のような何かが飛んでいる。
『レイナをいじめるなー』
『聖女を泣かす、ダメ』
『はやくなぐさめるのだー』
(せ、聖霊だって……?)
聖霊についてクラエルは知っていた。
ストーリー中盤以降でレイナが召喚できるようになる使い魔のような存在である。
聖霊は戦闘時にはレイナを守り、恋愛パートでも様々な形でサポートしていた。
(もしかして、聖霊が食材を運んできたのか……?)
それしか考えられなかった。
不思議なことに、レイナ本人には聖霊が見えていないようだ。
聖女としての経験値不足か、あるいは聖霊が自分の意思で姿を見えないようにしているのかもしれない。
どこから盗んできたのだと気になるところではあるが、食材は食べてしまっても問題ないだろう。盗品だとしても出所がわからないのでは返しようがない。
「あ、ああ……そうでした。お昼用に買っておいたんです。助かりますよ、作ってもらっちゃって」
クラエルは食卓について、スプーンでシチューを一口。甘く、深みのある味わいが口いっぱいに広がっていく。
「うん、とても美味しいです。レイナさん、本当にありがとうございます」
「はい……!」
レイナが感極まった様子で涙目になる。
これまた無意識なのだろうが……レイナの背中から謎の光が差して、まるで後光のようになっていた。
(そ、早急に聖女の力をコントロールできるようになってもらわないと……)
そうじゃないと、すぐに大神殿に聖女の存在を気づかれてしまう。
レイナは連れていかれてしまい、悪辣な神官の下で厳しい訓練を受けることになる。
(どうやって伝えたものか……とりあえず、今は……)
「さあさあ、レイナさんも一緒に食べましょう。座って座って」
「はいっ」
今はとりあえず、レイナの手料理を楽しむとしよう。
クラエルとレイナは向かい合わせに座って、聖女の加護がタップリと入ったシチューを食べるのであった。
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